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ねい
2019年4月8日 15:31
母が二泊でうちに来ていました。仕事を辞めてから、軒並み家族も体調不良で春の寒暖差の影響をバシバシに受けていました。その最中にはるばる静岡からやってきた母も、やはり不調なのでした。 東京に来て、田舎の車生活と年齢の影響で如何に母の足腰が弱っているかを、本人もわたしもよくよく知りました。 61の母はわたしの手を見て、綺麗な手だねと言いました。それはわたしが二十歳の頃から、何度も聞いてきた
2018年9月14日 10:40
実家の家業を手伝うようになって、4年が経つ。 過去に母が鬱になったときから、その未来を予感していた。せざるを得なかった。 正式には、アプリ会社での広告担当を辞めた1年半前に ウェブ事業部責任者として始まった。 事業部といっても、小さな会社である。しかも 売るものを作らねばならず資金繰りの荒波を超えて、新商品の選定と同時に補助金の交付を皮算用しながら進めるという手探り極まりな
2018年8月16日 11:25
前半の人生で最も立ちはだかった壁は 母であった。 母の未熟さを仕方がなかったと諦めこの人なりにわたしを愛してくれたんだと分かった日のこと。 母は数年前に措置入院をせざるを得ない酷い鬱を発症したが、元々その傾向はわたしが物心つく前後からあった。大人になってから親戚周りの話を聞いて納得した。母は結婚によって、幼少時から抱える孤独を紛らわそうとした。しかし結婚当初から夫と、その