映画『マチネの終わりに』を観た話。

シャツが好きだ。
白いシャツを普段よく着る。

しかし、そういうときに決まってボタンの掛け違いをやってしまう。例えば、急いで家を出ないといけなくて慌てて白シャツを着るとか、バイト先の制服であるポロシャツを着る時とか、わりとよくある。もし掛け違えてもさすがに鈍感ではないのですぐあてがい直す。だから、そのまま掛け違えた状態で過ごすことはないけどそのちょっとしたミスにいちいち私はストレスを感じてしまう。

きっと、私達の人生もこれぐらいに気軽な間違いとかすれ違いひとつだけで、どんどん変わってしまうようなもろいものなのだと思うし、この作品を観て現にそうなんだなと痛感している。


映画『マチネの終わりに』

2019年11月に公開された日本映画。主演の福山雅治と石田ゆり子がパリ・東京・ニューヨークを股にかけるラブロマンスだ。実際私も劇場公開時に映画館へ足を運んで観ていたが、今回レビュー記事を投稿するにあたり改めてAmazon prime videoで作品を視聴した。

主人公はクラシックギター奏者の世界的なクラシックギタリストの蒔野聡史(演・福山雅治)。彼は、デビュー20周年を祝う演奏会後のアフターパーティーで、ジャーナリストの小峰洋子(演・石田ゆり子)に出会う。彼女はフランス・RFP通信に所属しており、聡史の大好きな映画『幸福の硬貨』のイェルコ・ソリッチ監督の娘だった。話が弾み、すぐに意気投合していく2人。しかし彼女には婚約者がいたこともあり、結局その夜は何事もなく終わる。そこから2人は、パリ東京間という遠い距離に阻まれながら、互いへの仄かな想いを積み重ねている日々を送ることになる・・・。


こういった「大人のラブロマンス」系映画を見るのが生まれて初めてだったので、正直なところかなり新鮮だった。毎年大量にライン生産される画一型の学園ラブコメディ映画(やドラマ)によって、青春と恋愛の価値がデフレスパイラルを起こしている昨今。このような大人が腰を据えてじっくり見られるロマンス映画はなかなか無いのではないだろうか。

物語中盤、2人が東京で再会を果たすその時、本当に些細で、しかし許すことのできない決定的な「ボタンの掛け違い」が起きる。せっかくの物語だったのに、ここでずたずたに切り刻まれたような気分になってそれ以降集中力を欠いてしまった。まあ、綺麗なだけのラブストーリーにはチリ紙ほどの価値すら生まれないとも理解しているので、私はそのやるせなさを飲み込んだが。

激しい雷雨の中、ホテルのエレベーターで洋子がパニックに陥るシーンは、作品前半に起きるパリでの自爆テロ、そしてシーンの直前に起きた「ボタンの掛け違い」。この2つが洋子に与えた計り知れないショックを観客に比喩的に味合わせる意味を持っており、とても印象的な場面だった。だが正直、この一連の展開によって作品全体に嫌悪感を抱いた人も一定数いると思う。私もそうである。

また、最終局面にかけての展開もやや都合がよすぎるというか、そんなことした癖にそんな振る舞いで良いのか?と首をかしげてしまう点があり、正直スッキリとした気分で話を終えられるかどうかは保証できない。私個人は、良い作品だとは思ったのだがどうしてもモヤモヤが残った。


人生は時にいきなり不条理に襲われる。
それが当たり前である。

蒔野もある時、自らの演奏や実力に限界を感じ、唐突に壁にぶち当たる。洋子も自爆テロで同僚を失い、蒔野とも一度大きく引き裂かれてしまう。これ以上ない悲しみと無力感を背負いこみ先が見えなくなることもあった。しかし、どんな不条理も乗り越えればいつかは笑い話になる。本当に問題はその時まで、再起を信じ、自分がどう自分を演じて成長していくかなのだと、この作品を観て思った。

ラストシーン、幸福の硬貨を手にしたとき、
画面の前の貴方は何を思うのだろう。

これで終わりか、と思うのか?
それとも、これでよかった、と思うのか?


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というわけで、今回は映画「マチネの終わりに」のレビューでした。

引き続き、読者の皆様から映画レビューのリクエストを受け付けております。この作品をレビューしてほしいというリクエストがありましたら、下のURLから「募集のお知らせ」に飛んでいただき、コメント欄の方に投稿をお願いいたします。瑞野が責任を持って、レビューさせていただきます。




おしまい。



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