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上手く生きられないのは本当に私のせい?(強い刺激にさらされ続けた子供の脳)

幼い子供が、親と一緒にカラオケに行った。その時、その子はカラオケでかかる大きな音にびっくりして、嫌だ!と言ってその小さな手で耳を塞ぎながら、嫌だ!嫌だ!を繰り返す。

大人にとってカラオケで流れる音量はさほど気にはならない。でも、幼い子供からすると、あのカラオケの音は強い刺激になる。

何故、子供が嫌だと言って、その小さな手で自分の耳を塞ぐのか?それはその音が自分にとってあまりにも刺激が強いからであり、それは自分を守るための行為であると言える。でも、当の親と言えば、自分が歌う事の方が大切で、嫌がる子供を自分の方に抱き寄せ、そのまま歌う事を停止する訳でもなく歌い続ける。

その間子供はずっと目をしっかりとつぶって、小さな自分の手をめいいっぱい広げて自分の耳を覆う。

幼い子供にとっては、カラオケで流れてくるチカチカとした映像でさえも強い刺激になるのだ。子供は必死になってあの地獄のような個室で自分の身を守る。親の欲求を満たすため。

でも、そうした子供の行動の理由を知らない親は、カラオケは楽しいよ、怖くなんかないよとそういい、しっかりと目を閉じ、耳を塞ぐ子供の目を強引に開けさせ、そして必死になって耳を塞いでいるその手をこれまた強引にほどき、その子供が嫌がる強い刺激を受けさせようとする。

これを何回か続けていると、子供の脳がある意味ショートする。つまり、感覚麻痺状態に陥る。

あれだけ嫌がって目も、耳も塞いで泣きわめいていた子供が、何も言わずにカラオケの個室の中で遊び始める。親がいくらマイクでシャウトしようが子供はお構いなしで、その部屋を走り回って遊んでいる。

こうした子供を見て親はこう思う。少し前までは嫌だと言って、早く帰ろうと言って、カラオケもろくに出来なかったのに、今はほんと成長したなと。

ここで勘違いして欲しくないのは、子供は成長して、その場に順応できるようになったわけではないという事。子供は、ただ強い刺激にさらされ続ける事で脳が感覚麻痺状態に陥っているというだけ。決して慣れたのではない。その事を親は何も知らない。親というのは何もかも皆自分に都合よく、その場にある事を理解しようとする。

感覚麻痺。これはとても危険な事。何も感じないという事なのだ。刺激に強くなるという事は決して素晴らしい事ではない。何も感じないという事が起これば、その子はこの世界で何をしても感じない子になってしまう。そうなれば、その子にその後起こる事は著しい感受性の低下、それによる無気力、無関心とともに、そう言った子供というのは過敏で傷付きやすくなるともいわれる。

脳がまだしっかりと出来ていずに未発達な内に色々な刺激を受けてしまうと、色々な所で支障が出てくる。でも、その事をしっている人は少ない。

子供は子供。大人は大人でそこにはしっかりとした境界線を引くべきだが、それが今は出来ていない。その為に、今の子供とは日々強い刺激にさらされ続けるという事になる。

元々脳が未発達な状態なのだから、その脳が過剰な刺激を受け続ければ一体どうなるのか?という事は大体予想はつくし、想像もできると言いたいところだけれど、この想像が残念ながら出来る人が少ない。

今この世界には無気力な若者が溢れている。彼らはただやる気がないのではない。ただ共感性が低く、人の痛みが感じられないのではない。これは性格的な事だけでは片づけられない。

彼らは生まれた時から無感覚で、無関心だった訳ではない。色々な刺激に幼い頃からさらされ続ける事で、感覚そのものが完全に麻痺してしまったと言える。何を見ても心が動かない。何を見ても皆同じで、特にそこに違いを見出す事も出来ない。何もかもが全てフラットに見えてしまい、しまいには、自分の生きているこの世界ですら平坦で面白みのないつまらないものとそう思う様になってしまう。

感覚が麻痺し、それにより強い刺激を求める事で人間的に破綻してしまう可能性もある。そうなれば、当然自己肯定など出来なくなる。自分を強く否定する様にすらなる。

私たちを取り巻く世界は皆、自分たちに何か問題があると、その原因を全てその当事者に求めようとするけれど、それは大きな間違いだったりする。

私たちが今無気力で、何に対しても無関心であるのは、私たちだけの問題ではない。何もかも私たちだけのせいにするのも辞めて欲しい。

何もかも自分たちのいい様にしておいて、その被害を子供が被り、その影響で今が立ち行かなくなっている。今が思う様に出来なくなっている。でも、親も社会もそれを認めようとはしない。自分たちのしてきた事は正しい事だとそう言い、悪いのは、無気力、無関心になった私たちだと親もそして社会もそう口を揃えて言う。

はっきりと言っておくが、私たちは好きで無気力になった訳じゃない。好きで無関心になっている訳じゃない。

何かに気力を持って臨もうと思ってもそれが出来ない。何かに関心を持とうと思ってもそれが出来ない。

そう言う事を大人は何も理解しない。この社会も同じだ。

この世界は私たち子供から何もかも奪っておいて、その私たちをまだ更に傷付ける。

本当に悪いのは私たちなのだろうか?無気力、無関心になった私たちなのだろうか?他に共感を示す事が出来なくなった、人に寄り添う事が出来ずに自己中に走ってしまう私たちなのだろうか?

私たちはそうしたくてしてるんじゃない。中にはそうしたくてしている人もいるだろう。でも、私たちは違う。本当はそうしたくはない。でも、そうすることしか出来ない状態になってしまっているのだ。

私たちをこうしたのは一体誰だ?そして何なんだ?この地獄のような世界に私たちを突き落としたのは一体何なんだ?


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