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私たちは決して美しくなんかない

人間なんてそもそも混沌としたものでしょう?それを美しく見せようとしたってそれは無理。元々、人間は混沌としていて何だかわからないもの。

これといった形を持たずに、混沌としているもの。だから美しかった。でも、今はその混沌さに秩序がもたらされてしまって、しかもその秩序が過剰になってしまって、私たちは全然美しくない。

混沌としていて、何もかもがめちゃくちゃでごちゃ混ぜになっていた。それが人間の持つ美しさの極みだったりするけれど、それが今はない。

今の人間はあまりにも自分を綺麗にしすぎた。自分ってものに手を入れすぎた。手を入れ、そして形を綺麗に整えすぎた。だから、今の私たちからは自然な美しさが消えた。

めちゃくちゃでごちゃ混ぜでいい部分にまで手を入れた。ありのまま。自然のままでいい部分にまで秩序というものを持ち込んだ。その結果、私たち人間は人間としての美しさを欠いた。

何もかもその全てに秩序をもたらすべきではなかった。秩序、それは必要な部分に与えればよかった。でも、私たちは自分たちの生活の全てに秩序を持ち込んだ。だから、私たちは自然な人間的美しさを失った。

混沌としていて、説明のつかないもの。そこに人間は論理を持ち込んだ。そしてその論理を使って何でも説明しようとしたというか、ありとあらゆるものを論理的に説明した。だから、この世界から面白さが消えた。何でもかんでも論理的に説明するようになった。だから、この世界から面白みがなくなった。

言葉によって私たちは混沌に一定の秩序を与えてしまった。言葉によって色々を説明し、そして区別した。そのせいで私たちは生きる楽しみを失った。

混沌が美しい。混沌こそが生きているという事の証だった。混沌としていて、何も見えない。何も説明する事が出来ない。だからこそ、この世界を人間は面白く思えた。何なのか一向にわからない。そんな世界に生きていたからこそ、この人生はキラキラと輝いた。何もわからない中で、何かがわかる。だから、私たちはそうした瞬間にキラキラと光った。

わからないから、人生が面白かった。楽しかった。でも、今は何もかもわかる。そう言った世界の中に私たちは身を置いている。だから、生きるのがつまらない。生きる事に美しさを感じられない。

全て綺麗で美しく形づくってしまったその世界の中にいるから、何も面白くなくて、楽しくない。もっと自分の人生を面白いものにするためには、もっと楽しいと思える人生を生きたいと望むなら、綺麗に整備されたその世界を抜けて混沌の世界に入って行かなければいけない。

何者かである自分を捨てて、何ものでもない自分の中に落ちていかなければいけない。真っ暗で何も掴むものもない。何の秩序もない。何もかもがめちゃくちゃでごちゃ混ぜ。そう言った世界の中にこそ、美しさはある。そこで掴んだ美こそ本物の美だと言える。

人間なんてそもそもごちゃごちゃでめちゃくちゃなもの。それが私たち人間の一番自然な姿。

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