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私たち人間が受けなくてはいけない報い(コロナの裏で)

幸せすぎる国に生きているから、私たちは危機を感じない。明日一体どうやって生きて行ったらいいのか?というようなそう言った危機を私たちは味わったことがない。

明日という日が怖くて、その身を震わせながら、夜を超えた事もない。その重い銃を自身の肩に背負った事もない。そうやって自分の身を一睡もせずに夜通し守ったこともない。

毎日温かい布団に包まれて、私たちは眠る。いつどこで誰が襲ってくるのかわからないそう言った緊張状態の中で私たちは生きた事がない。だから、自分を守るといった防衛本能が低い。

どんな状況でも、何とかして生きて行くというそう言ったサバイバル的な意識が私たちにはない。そんなサバイバル的な意識を身につけなくても、私たちは生きていける。

必死になって生きなくても、この日本にいる限り、生きていけてしまう。何のサバイバル的な意識も持たずに生きていけてしまう。そんな国に生きているから、私たちは必死になってこの自分に与えられた生を生きようとしない。この自分に与えられた生に特別な感情を抱く事もない。必死になって生というものについて考える事もない。命というものと真剣に向き合う事もない。

この平和ボケしている日本に生きているから、私たちは生きるという事に対して真摯に向き合おうとしない。生きるってのは、もっと命がけな行為であるはずなのに、それすらも私たちは感じる事が出来ない。何もかも私たちは鈍ってしまっている。

今世界中でコロナが発生しているが、このコロナが私たち人間に知らせようとしているのは、生とはそう簡単な事ではない。生きるとはそう簡単な事ではないという事なのかもしれない。

日本に限らず、平和ボケした人間に対し、コロナはもしかしたら、もっと真摯に自分の生に対して向き合え!とそう言っているのかもしれない。

生きるという事は、私たち人間にとってとても壮絶な体験であり、そして又とても残酷な行為であるという事。それをコロナは私たちに伝えようとしているのではないだろうか?

生きるという事が一体どういったことなのか?私たちはこの困難な危機の中にありながら、それを今一度考えなおさなければならないのではないだろうか?

何もせずに生きていられるほど、生きるという事は簡単な事ではない。それがこれから、私たちの眼前に突きつけられていく事になるのかもしれない。そしてこれまで、生きるという事に対して真摯に向き合おうとしなかった私たちは今この時代において、それぞれが報いを受けなければいけない。そんな時を私たちは今迎えているのではないだろうか?

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