見出し画像

横浜市民はなぜ「愛市心」が強いのか

みなさんこんにちは。
生まれてこのかた横浜市民、眞野いるかです。

さてさて、ちょっと前のnoteでも書きましたが、横浜市民の横浜愛には目をみはるものがあります。『横浜市民意識調査』という資料によると約8割の市民が「横浜に対して誇りや愛着を感じている」と回答しているし、リクルート「住んでよかった街ランキング」でも堂々の第1位を獲得しています。横浜市民は愛国心ならぬ「愛市心」を強く持っている人種です。

このnoteでは、なぜそんなにも横浜市民は横浜を愛してしまうようになるのか、について考えてみました。まーた長くなってしまいましたが、頑張って書いたのでよかったら読んでね!

・横浜市民は横浜市を「港町」だと思っている


「横浜をよく表すイメージとしてよく当てはまるものを3つ選んでください。」 
①海と港( 81.2 %) 
②異国情緒・国際都市(45.0%)
③観光・レジャー (31.8%)
         (2017年度『横浜市民意識調査』)



海と港に異国情緒。
横浜市民は横浜をなんとなーく「港町」だと思っています。わたしもなんとなく思ってる。

「いや当然じゃん!」って思いました?

市民以外も港町感を感じているものを、当事者たる横浜市民が意識しているのは当然のことじゃないかと。だよね。

でも、ちがうんです。
これは実は、めちゃくちゃスゴイことなんです。異常といってもいいくらいだと思う。


・横浜市のどこが港町だというんですか?


じゃあ逆に聞こう。
横浜のどこが港町だというんですか?と。

横浜市は非常に巨大な自治体です。
政令指定都市であることはもしかしたらご存知かもしれませんが、実は市民数370万人超えの、自治体としては全国第1位の人口を誇る巨大都市なのです。行政区としては鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区、港北区、戸塚区、南区、西区、磯子区、金沢区、港南区、旭区、緑区、瀬谷区、泉区、栄区、青葉区、都筑区の全18区もあります。

しかしですね、豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」が来航する大さん橋や山手の洋館、ハイカラな元町商店街にみなとみらいの氷川丸、「THE・港ヨコハマ」があるのは、「中区」の一部にすぎません。

                          (横浜市HPより)

では、そのほかの地域はどんな感じなのか?
一言でいうと、「住宅街とキャベツ畑」が正しいんですよね。
わたしの家の周りにもいっぱいキャベツ畑があります。

ではなぜこんなにも「THEヨコハマ」イメージと現状が乖離してしまうのか。

・横浜とは「死ぬほど薄めたカルピス」みたいな都市である

日本史の授業を思い出してみてください。
そもそも横浜とは開港を迫るアメリカにしぶしぶ応じた幕府が「いや〜でも東海道の神奈川宿に近い神奈川湊を明け渡すのはやだな〜......よし!対岸の横浜村ならなんにもないところだからココならいいや!」というわけで開港することになった、本当に小さな村だったんです。
 その後商業地区・関内居留地や、住宅や教会の立ち並ぶ山手居留地、中華街と「THEヨコハマ」的な地域が形成されていくわけですが、1889年時点の市域って、それでも現在の87分の1の大きさでしかありませんでした。ではなぜこんなに広大な都市になったのか。

 それは、簡単に言ってしまうとお金のため、なんですよね......。
 これまでは商貿易で食べてきた横浜でしたが、この後関東大震災やら生糸の暴落やらで徐々に立ち行かなくなっていきます。そこで、商業に次ぐ収入源を探した結果、工業で食べていくことを決意し、どんどこ市域を拡大していきます。これが京浜工業地帯のあたりです。そして税収を増やすため、農業地帯も一気に取り込んでいきます。
 そう、現在の横浜市とは、工業地帯も農業地帯も取り込んだ、カオナシ的なモンスター都市なんです。

 そりゃあ港町的箇所なんてもうほんと、一部でしかなくなりますよね。薄めすぎたカルピスかのよう。

 ここで振り返ってみてほしいんです。

 横浜市の実態を知らない人が「横浜は港町だなぁ」と思ってしまうのは当然だと思います。観光地であり、ドラマの舞台にも使われがちなみなとみらいのイメージだったり、日本史で習う「ペリー」「黒船」「開港地」イメージが、きっとそのまま頭に浮かぶことでしょう。

 でも!
 実際に横浜市で日々生活しているわたしたちは、たいていカルピスの原液部分ではなく、水の部分に住んでいます。キャベツ畑にかこまれLIFEを送っている我々横浜市民まで「わたしたち、港町ヨコハマに住んでる!」と思いこんでいるのは、もはやオドロキの域ではないでしょうか。


・いかにして市民は「洗脳」されたのか?

 と、いうことで、ここからはこの「港町ヨコハマ幻想」が市民の頭の中にいかにして作られていったのかを検討していきたいと思います。


・横浜市民を生み出す装置①「横浜市歌」

 都道府県や市町村などの自治体は「都道府県歌」「市町村歌」を持っていることが多いのですが、われらが横浜にも「横浜市歌」があります。1909年の横浜港の開港50周年を記念して制定され、なんとかの有名な森鴎外が作詞を担当した、由緒正しき(?)1曲です。
 通常、都道府県歌も市町村歌も行政にかかわる式典や行事、庁舎内での利用等に利用されるにとどまり、住民が接する機会はあまりないようです。それゆえ認知度も低く、例えば静岡市の「わたしの街静岡」認知度は37%、川崎市の「川崎市歌」認知度なんて14%にすぎません。こりゃもうきっと、歌える人なんて公務員か当の作曲家くらいのものでしょう。(偏見)

 しかしですね、ここに「歌える率」がものすごい自治体があります。そう、何を隠そうヨコハマです。
 横浜市民の横浜市歌歌える率、聞いてください、なんと驚異の72%(「はまれぽ.com」調べ)
 これは認知率じゃありません。「歌える人」が7割なんです。これは全国的に見ても異常と言っていい数字でしょう。なぜこんな奇跡が起こるのか。

 答えはカンタン、「横浜市歌」の履修は義務教育の中に組み込まれているんです。
 『横浜版学習指導要領』の「音楽科編」を参照してみると、「横浜市歌が広く市民に歌われていることや、歌詞に込められた歴史や横浜の発展を願う人々の思いを理解して、歌うようにします。」という文言があり、「音楽」のカリキュラム内で「横浜市歌」を取り扱うことが指示されているんです。わたしも小学校で毎年習いました。
 また、行事の際にも「市歌」を歌うことになっています。横浜市立大岡小学校の例を見てみると、1年間に前期始業式・入学式、開港記念集会、前期終業式、後期始業式、卒業式・修了式と合計7回「横浜市歌」を歌っています。小学校の6年間を通しては42回、さらに練習を含めれば2、3倍は歌います。中学校でも扱われるため、横浜市立の中学校に進んだ場合、さらにその後3年間継続して歌うわけです。このように義務教育課程で何度も歌わされるため、われわれ市民の意識に大きな影響をもたらすこと間違いありません。市立学校に通う生徒にとっては「君が代」よりも「横浜市歌」を歌う機会の方が多いんですから。

 では、その影響力絶大な「横浜市歌」とはどのような歌なのか、その歌詞を見ていきましょう。

   わが日の本は島国よ 
   朝日かがよう海に 
   連りそばだつ島々なれば 
   あらゆる国より舟こそ通え

   されば港の数多かれど 
   この横浜にまさるあらめや 
   むかし思えば とま屋の煙 
   ちらりほらりと立てりしところ 

   今はもも舟もも千舟 
   泊るところぞ見よや
   果なく栄えて行くらんみ代を
      飾る宝も入りくる港

 
 内容としては、まず日本は朝日の輝く海に連なる島国だから、みんな船で来てくれよな!」と、日本について述べています。次に、「島国だから日本には多くの港があるんだけど、横浜港に優る港はないだろうね」と自慢。それから「開港前の横浜村はとま葺きの家が煙を立てているのがちらほらと見える程度の寒村であった」と振り返り、最後には「そんな横浜だけど、今となっては多くの船が停泊しているほど繁栄しているし、当然これから先もずっと栄えていくぜ!」と締めています。開港からあまり時期の経っていない時期に作られたこともあり、世界中から船が行き来し、貿易港としても優位性のあった当時のことを歌った内容となっています。

 注目したいのは、「横浜”市”歌」とはいいつつも「横浜”港”歌」であると言えるほどに「横浜港」を中心に描いた歌であるということです。当然キャベツ畑は一ミリも出てきませんね。
 ですが、これを日々歌わされる子供たちとしては、タイトルが「横浜市歌」なんですから「これは横浜”市”についての歌なのだ」、つまり「横浜市は港町なのだ」と受け取ることになります。このようにして、「中区」という市の一部にすぎない地域が、「横浜市歌」という装置を通してまんまと横浜市域全体にまでそのイメージを拡張するのです。

・横浜市民を生み出す装置②「開港記念日」

 千葉県には「県民の日」が、埼玉県には「埼玉県民の日」があります。しかし神奈川県に「県民の日」はありません。代わりに横浜市民が持つのが「開港記念日」です。
 1859年6月2日に横浜港が開港したことを記念し、 1周年にあたる1860年の6月2日に山車や手踊りで街中あげて開港を祝ったのが、 開港記念日の始まりだと言います。今日でも市をあげての祭典が執り行われており、市内の小中高生を対象によこはま動物園ズーラシア、金沢動物園、市民プール、横浜美術館などを、多くの施設が無料となります。
 当然開港記念日には市立学校は休みになるわけです。嬉しいよね。すでに「開港ありがとう!」「横浜市サイコー!」という気持ちになっちゃいそうです。
 ですが流石の横浜市、抜かりなくもう一手間加えて駄目押ししています。それが市立小学校で開港記念日の前に開かれる「開港記念集会」です。

 実際にどのようなことが行われているのか小学校のホームページを参照してみると、

◉横浜市立川和東小学校
「昨日の朝会で、横浜開港記念日(6月2日)、(中略)についての話をしました。社会科部の職員がスライドを用いて開港当時の横浜の様子を話したり、途中クイズを出したりしながら進めました。子どもたちは興味深く聞きながら、最後に全員で横浜市歌と校歌を歌い記念日をお祝いしました。」

◉横浜市立十日市場小学校
「6月2日の開港記念日について全校集会をしました。アイスクリームやテニスなど、横浜発祥のいろいろな文化をクイズを通して楽しく学びました。これを機会に、ご家庭でも横浜について話し合ってみてはいかがでしょうか。」

◉横浜市立川上小学校
「6月2日の開港記念式に先がけて、5月25日に開港記念集会を行いました。/横浜のまちが、どのように発展していったのか、スライドを見ました。/ペリーが、黒船でやってきた・・・6年生が社会で学習する内容もありました。/横浜に関わるクイズをしました。みなさんは上の写真の答え、分かりますか?横浜には、多くの「日本ではじめて」がありますね。/最後に横浜市歌を歌いました。これからも、自分たちが育ったまちを大切に思っていけるとよいですね。」

 このように、学校ごとに多少の差異はあるものの、「開港記念集会」は

①6月2日の休校日は「開港記念日」であることを確認
②開港の経緯や「横浜もののはじめ」など、開港期の横浜について学ぶ
③「横浜市歌」を歌う

といった内容となっています。

 つまり、開港記念日の前に「開港記念集会」を設けることで、休みになる理由が駄目押しのように強調され、「学校が休みになるのは港のおかげである」という意識を植え付けられるわけです。そして、そのような状態の中で開港の歴史を学び、例の横浜礼賛ソング・「横浜市歌」を歌うことでさらに横浜市に対する愛着が養われていくわけです。これはもう、洗脳待った無しでしょう。


・横浜市民を生み出す装置③地域副読本『わたしたちの横浜』

 みなさん覚えていらっしゃいますでしょうか。小学校3・4年の社会科・理科では住んでいる地域を題材にした「地域学習」が行われています。「まちたんけん」とか「住んでいるまちの地図をつくってみよう!」とかやるアレです。今横浜で行われている地域学習は「横浜の時間」と呼ばれているそう。
 そしてこれに対応するために各自治体で作成されているのが地域副読本『わたしたちの横浜』


 内容を見ていきましょう。
 まず見開きが「みなとみらいへでかけよう」という、みなとみらい地区のイラスト背景に「横浜市歌」の歌詞を掲載したページ。

右上の「青い風にのせて/あの子が笑い/よこはまの港に/150年後のみらいがきた/遠い海から吹く/風にのせて/明日はだれがやってくるかな」とかいういうポエムも効いています。

 この見開きが象徴的なように、内容を見ると「”地域”副読本」の体裁をとりつつも、やはり「港町横浜」推しであり、扱われている地域としても明らかに中区のみを扱ったと思われるページ4分の1弱を占めているんですよね。『わたしたちの横浜』を使った地域学習の時間は、地域性よりも横浜市全体としてのアイデンティティを共有させるものであるといえるでしょう。

 また、文言にも何らかの意図を感じる部分があります。
 1章「大好き横浜」では横浜開港後から150年間の主な輸出品や横浜市の国際姉妹都市が紹介されていますが、「横浜は、国際文化都市、国際観光都市として広く世界に知られ、」「わたしたちがくらす横浜は、世界でも有名な港町です。」という、横浜の国際性や「港町」イメージを助長するような文章が多数見られます。

 確かにかつてはジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』でも登場するなど「世界でも有名な港町」であった横浜ですが、その後どんどん凋落しており、実は貿易港としても海外からの知名度は高くありません。また、「日本らしさ」に欠け、観光地候補からも外れてしまいます。留学生の友達にも話を聞いてみましたが、東京観光をして時間が余ったから寄ろうかな、くらいの認識のようでした。

 それでも子どもの絶対である教科書が「世界でも有名な港町」だと言えば子供はそういうものだと理解します。このような文章で、市民に「国際的な港町横浜」というイメージがまたまた刷り込まれていくわけです。

 

・わたしたちは文化装置を通じて横浜市民になった

 「想像の共同体」という言葉があります。
 べネディクト・アンダーソンという有名な社会学者の唱えた概念で、「国家」などといった概念は想像されたものである、というのです。たしかに国家というものは目に見えるものではなく、日本だのアメリカだのがある、というのが決まりだからそんな気がしているだけであり、国境などは人が勝手に決めたものです。

 そんな私達がいかに自分の国に所属しているかを感じるのか、というと、国語や共通の歴史、国歌といった文化を共有したり、オリンピックやワールドカップで自国を応援したりという経験によります。

 現在でも国への帰属意識や愛国心が強い、あるいは強化を図っている国で特にこれらの文化的装置は大切に扱われています。例えば、アメリカ。いわば人工的に建国され、人種としての「アメリカ人」が存在しないアメリカでは国歌を歌う機会が非常に多く、学校の集会ではもちろんのこと、公の場や野球場などでよく歌われています。公立校の生徒は毎朝始業時に星条旗に向かって起立・敬礼し、「忠誠の誓い(pledge of allegiance to the flag of the United States)」を暗唱させられたりもしているのです。
 また、戦後の高度経済成長を支えるために外国人労働者を多く受け入れたことで現在4人に1人は祖父母のいずれかが外国人といわれるフランスもまた移民大国ですが、建国記念日に当たる「革命記念日」にはシャンゼリゼ通りで大統領立ち会いのもと国歌の演奏や空軍のアクロバット飛行、軍事パレードが行われるほか、全国的にダンスパーティーや花火大会が行われ、国を挙げたお祭り騒ぎとなります。
 このように、人種としては多様であっても文化を共有することによって各々が心の中にアメリカを、フランスを形成し、「国民」としてのアイデンティティを獲得してゆくわけです。

 さて。
 こう考えてみると、横浜には「国家」レベルで所属意識を高める文化装置が散りばめられているのにお気づきではないでしょうか。

 横浜港について歌った歌を繰り返し「横浜市の歌」として歌わされたり、「自分の関係する港が開港した日」だからこそ得られる休日を得たり、港中心の地域教育を施されたりする中で、心の中に「自分の所属する港町」が形成され、所属意識が生まれます
 そしてそれは、わたしのような田舎に住む市民に対しても愛市心を育てるのにめちゃめちゃ有効なわけです。海なんてはるかかなたのキャベツ畑でも、「されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや♪」と何十回も歌っているうちに、「ここは港町......。私たちの横浜、最高じゃん......。」というお気持ちになってきます。全く関係のない土地にやってきた移民が国歌を歌ったり、建国記念日を祝ったりしながらアイデンティティを獲得していくのと同じです。
 
 また、上では教育方面メインでお送りしたため書ききれませんでしたが、横浜には横浜DeNAベイスターズと横浜F・マリノスという市民人気の強いスポーツチームがあることも強いですよね。オリンピックやワールドカップを応援することで愛国心が増すように、観戦しながら愛市心ましましなこと請け合いです。(ちなみにベイスターズは応援歌のひとつとして横浜市歌を採用しています。)

 そう、国歌としての「横浜市歌」を歌い、建国記念日としての「開港記念日」を祝い、「国史」としての地域教育を受け、わたしたちは「愛市心」に満ちあふれた立派な(?)「横浜市民」になったのではないでしょうか。



この記事が参加している募集

コンテンツ会議

そのお心が嬉しいです・・・!スキは非会員でも押せるので、もしよかったら押していってくださいね。