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マウンティングの正体

このnoteでは、よもや流行語になりつつある【マウンティング】についての正体を暴いていきたいと思います。

連続投稿100日目に相応しいように、本気でテキトーに書きます。


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そもそも”マウンティング”って何?


本来の意味は、「動物が自分の優位性を表すために相手に対して馬乗りになる様子」と定義されてます。

しかし、最近では本来の意味ではなく、人間関係においての意味が注目され、「自分の方が優位」「自分の方が上」「自分の方が優秀」「自分の方が幸福」と主張したり、暗に示しながら伝えたり、伝えるような姿勢のこと、として使われています。

「上から目線」のような意味で使われていますね。

イラっとしますか?
呆れますか?
悲しいですか?

もし、読んでくださっている皆さんがこのように思っているなら、
最後まで読んでください。

あなたは、近い将来「マウンティング」をします。断言します。

もしかしたら、知らず知らずのうちに、もう、してしまっているかもしれませんよ?


本田圭佑選手はマウンティング?


元サッカー日本代表の本田圭佑選手。
おそらく歴代のサッカー選手でもトップクラスに知名度のある方です。

その本田選手には多くの逸話が存在します。
ご紹介するのは、高校時代の逸話。

サッカーの強豪校「星稜高校」に入学した本田選手は、
全国からサッカーエリートとして入学し活躍していた2年生・3年生の先輩に向かってこう言いました。

「タメ口でええやんなぁ?」

さすが、天下の本田圭佑。

態度も一級品です。

この頃からサッカーエリートであった本田選手の態度は何を意味しているのでしょうか?

・偉そう?
・図太い?
・サッカーが一番上手いのだから当たり前?

「タメ口でええやんなぁ?」

この一言で、
星稜高校サッカー部から「敬語」は消え去りました。

本田選手が2年生になっても変わらず、
部員全員が敬語をやめたそうです。

そして、本田選手が3年生になっても変わらなかったそうです。

もちろん、1年生が3年生の本田選手に敬語を使うこともなく、
部員全員がタメ口でコミュニケーションを取るようになったそうです。

「こういう態度を取れば優位に立てるかも」

本田選手はこう思ったと思いますか?

サッカーが上手くなりたい、日本一になりたい、強いチームになりたい。

隣にいる誰かよりも優位に立ちたい、とか、
偉そうにして強く思われたい、とか、
そんなことを考えている暇なんかなかったはずです。

サッカーという、時間の経過とともに常に状況・環境が変わるスポーツにおいて、
効率的なコミュニケーションは必須です。
ここでパスが欲しい、でも先輩だから言いづらい・・・。
こうなっては意味がありません。

現に、今の日本代表は、先輩でも〇〇くん、と呼び、必要最低限の敬語を除いて、ほとんどの選手同士がタメ口で話しています。

この本田選手の話は、表面上の言葉だけでなく、
本田選手がどんな想いを持っているのかを理解しなければ、
見え方によって、

・自分の能力を誇示する
・態度のデカい
・偉そうで、威圧的な奴

になってしまいます。

本田選手は、ただただ自分の大切な想いを実現させるために、純粋に「行動しただけ」なんです。


「なぜマウンティングするの?」の本当の姿。


ネットで「マウンティング」と調べると、

・マウンティングする奴の特徴!
・対処法!
・スカッとする返し◯選!

などが多く出てきます。

これらが、全く意味を成さないことを説明します。

冒頭に書いた、「マウンティング」された時に抱く感情にヒントが隠されています。

なぜ、マウンティングされると、
イラっとするんでしょうか?
呆れるんでしょうか?
悲しくなるんでしょうか?

「自分が見下された」
「マウンティングするって時間も無駄だろwww」
「なんでそんな風に偉そうにいうの?(涙)」

その理由は、
自分自身が「マウンティング」している人と同じ土俵に立ち、「評価」を下しているからです。

「なぜマウンティングするの?」

この言葉の裏に隠されている本質は、

「自分もマウンティングしたい」
「自分もマウントを取った立場になりたい」

ということです。

よく、「3年生は神、1年生は奴隷」という言葉を聞いたことがありませんか?

そう、部活です。

自分は弱い立場の時に、やられていたから、
自分が強い立場になったら、同じことをしたい。

潜在的にそう思っています。

「なぜマウンティングするの?」

こう思った時、すでに、”上”に登り始めていることを理解したほうがいいです。


「すごい」って言うからなんもできないんだよ!


すごい。

どんな時に使っていますか?

”〇〇ちゃん、△△ができるようになって「すごい」ね〜”
”若いのに「すごい」ね〜”
”先輩「すごい」っすね〜、俺はできないなあ”

褒めてるし、いいじゃないか。
モチベートされるし、いいじゃないか。

しかし、

これも「マウンティング」です。

「すごい」って、つまり、「大小の”大”」のことです。

「私は、この山で、あなたよりも下にいる」ということ。
そして、「すごい」は、その位置関係を決定づけるものです。

「下にいます。はい、終わり。」
頭の中では、こうなっています。

「すごい」という言葉は魔法の言葉です。

思考停止させる言葉です。

「社長が〇〇と言っていた。やっぱり社長はすごい。」

だから、どうした?

そんなにいいことなら、自分でやってみればいい。
社長にできたんなら、自分にも出来るんじゃないんですか?
もし差があるとしたら、単なる能力の差しかないです。
能力の差なんて時間と努力で解決できてしまうので、大した問題ではありません。

試しに、一日何回「すごい」と言っているかカウントしてみてはいかがですか?

もし、あなたが、「すごい」を連発しているとしたら、

それは、もう「マウンティングする側」に片足を突っ込んでいることを意味しているかもしれません。


いつまでマウンティングで消耗してるの?


ちょっとだけ煽ってみます。


ここまで、マウンティングについて書いてきましたが、
どうですか?
マウンティングってバカバカしくないですか?
疲れませんか?

相手が相手自身の土俵で優位性を保っている。

それはそれでいいと思うんです。

でも、なんでわざわざ自分から、相手の土俵に乗るんでしょうか?

「あいつがマウンティングを取ってきた!」
と、わざわざ自分から相手の土俵にノコノコと乗りに行って、
目くじらを立てて、
そして、疲れて。

社会はマウンティングに溢れています。

人間だもの。

よく見られたいし、相手を蹴落としたくもなるし。
それが人間です。

それが人間だけど、

それだけが人間ではありません。

僕らは神様からもらった「心」があります。
心は「価値観」を持てます。土俵です。山です。

僕たちは、自分で自分の土俵や山を作ることができます。

自分の山の中においては、上も下もありません。

わざわざ登り慣れていない、他人の山からは、さっさと下山しましょう。


マウンティングはアクションではなく、「価値観」である


マウンティングとは、
相手を蹴落とすことでもなく、自分を誇大に見せることでもなく、

「価値観」なのです。

それ(マウンティング)自体に「価値」を見出すことで、
「上下」が生まれ、感情が湧いて出ます。

・よく見せてやろう
・ムカつく
・悲しい

マウンティングは、「アクションする側」に問題があるのではなく、
「マウンティングを感じる者全員」に問題があるのです。

自分自身の「価値観」を失っているのです。

あなたには価値観があります。
僕にもあります。

自分の価値観を大切にしましょう。
相手の価値観を大切にしましょう。


わざわざ相手の価値観で生きることは無いんです。


もし、それでも、相手の価値観で生きたいなら、


あなたは、いつか「マウンティングする側」になっているでしょう。


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あとがき


沢山の人に読んでもらいたい!と思っていたので、
「マウンティングしない3つの方法」とか、
「マウンティングに負けない実践術」とか、
目を引くタイトルを考えていました。

でも、あえて、飾らないタイトルにしました。

その理由は、

「方法論」なんてものは存在しないから。

と、思っているからです。

「マウンティング」のように、
自分自身の内省と、人間関係、周囲の環境などの外部要因が複雑に絡み合っている事象に対して、
「この方法がいいです」「これが役立ちます」ということは理論上不可能なように思います。

目先の方法論にすがるよりも前に、
「マウンティング」とは、

・一体何者で
・どんな性質があって
・どんな構造になっているのか

を頭と身体で理解することが何よりも大切です。


感じ方は人それぞれ違いますが、
「幸せ」に生きていくために、理解することから始めて、
それぞれのペース、それぞれのやり方で、
自分の頭と身体と心と価値観にじわじわと浸透していけばいいなと願っています。


最後まで読んでくださってありがとうございます。


皆さんの実りある人生の一助になれば幸いです。




終わり。

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