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本能寺の変1582 重要Point ◎第18話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要Point ◎第18話 

4光秀の苦悩 5分かれ道 3/3 

はじめに ←目次 ←重要Point ◎目次 ← 
重要 ◎目次 重要 ◎目次小 
重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 通し ◎目次 テーマ別 まとめ ◎目次 
その一因 
見えてきたもの 目次 
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済 
 16 ◎ 17 ◎ 18 ◎ 
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。
*加筆修正 

◎P18   ◎第18話

信長の人物像 信長は、目的意識の高い男である。
       東の武田。西の毛利。これらを下せば、・・・・・。
       「天下布武」は、成る。そう、見ていた。
       天下統一後、さらなる夢へ。
       イエズス会の宣教師たち。
       信長は、「伴天連ども」に会うのを心待ちにしていた。
       そして、その夢は、次第に膨らんでいく。

信長の志向
  天下統一後、さらなる夢へ。
       そして、その夢は、次第に膨らんでいく。

光秀の人物像 守るべき者 光秀には、守らねばならぬ者たちがいた。
       明智は、絶頂期にあった。光秀は、その家長。

光秀の後継者 後継者光慶
 
光秀の家族  嫡男光慶
       光秀には、守らねばならぬ者たちがいた。
       家族がいる。一族がいる。多くの家臣たちがいた。

志向の相違  信長と光秀。ここが、二人の分かれ道であった。
       この辺りからである。
       二人の目指す方向に、微妙なズレが生じてきた。
       二人の距離は、少しづつ、離れていく。
       本能寺の変。天正十年1582、六月二日。
       これが、その一年二ヶ月ほど前の状況であった。
       時は、刻々と流れて行く。

守るべき者  光秀には、守らねばならぬ者たちがいた。
       あの時は、何も無かった。「なれど」、今は、違う。
       家族がいる。一族がいる。多くの家臣たちがいた。
       明智は、絶頂期にあった。
       光秀は、その家長。全てが、己の一身に懸かっていた。
       「守らねばならぬ」 極めて、自然な流れである。

光秀の苦悩 
 自身の年齢のこと。
       後継者光慶のこと。
       守るべき者たちのこと。



 ⇒ 次へつづく

NEW!!

目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

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 視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!


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