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『始まりの木』 夏川草介 作 感想 1

とある大学で民俗学を教えている教授。その教授のもとで民俗学を学ぶ1人の女子学生。2人が旅をする中で、「民俗学」を通して現代社会の問題を、恐ろしいスピードで変化する社会を、見つめていく。
「民俗学」のあり方とは?学ぶ目的とは?神様とは?
そんなことを、考えながら。



205ページより

「神様がいるって感じることは、世の中には目に見えないものもあると感じることと同じです。(略)そういう感じ方が、自分の生きている世界に対する畏敬や畏怖や感謝の念につながるんです。もし、目に映ることだけが全てだと考えるようになれば、世界はとてもシンプルで、即物的です。(略)」

227ページより

「この世界には理屈の通らない不思議な出来事がたくさんある。科学や論理では捉えきれない物事が確かに存在する。そういった事柄を、奇跡という人もいれば運命と呼ぶ人もいる。超常現象という言葉で説明するものもあれば、『神』と名付ける者もある。名前はなんでもよい。(略)」

夏川草介さんが描く小説は、メッセージ性が強いものが多いと思う。
今回の小説では、民俗学という学問を通して、「神様は信じるものではなく、(日本人にとっては)『感じるもの』である」ということや、下に引用したような「人間が住む土地を増やしていくために大木を切り倒すことは....何も考えず前に進むことは....」と疑問を問いかけることをされている。そして、日本における「『学問』のあり方」に警鐘を鳴らし、現状に疑問を抱かれている。

314ページより 「東京の巨大化」ー 木が切られること

アスファルトとコンクリートの町の拡大を、押しとどめることはできないし、とどめることに意味もない。
大切なことは、どこに向かって道を切り開いていくべきかをしっかりと見定めることだ。
無闇と前に進むことに警鐘を鳴らし、ここに至り来たった道筋を丹念に調べ、どこへ道をつなげていくべきかを考えていくことだ。

114,115ページより

「(略)科学が世界を解釈するための道具に過ぎないことを忘れ、世界の方を科学という狭い領域に閉じ込めようとしてしまう。(略)」
「かりにも世界について学ぼうとする者ならば、科学の通じぬ領域に対しても真摯な目を向けなければならない。科学が万能でないことを知り、それを用いる人間もまた万能から程遠いことを肝に命じなければならない。これを忘れた時、人は謙虚さを失い、たちまち傲慢になる。世界が自分の解釈に合わないからといって、世界の側を否定するような愚行さえ犯すようになる。」

科学は万能なわけないし人間も万能な訳が無い。人間の感情にまで科学の領域って及ぶのかな??こういうホルモンが出ている時の感情が嬉しいだよ、悲しいだよ、恥ずかしいだよ、とか。感情を科学で語ってしまうことはやめてほしいような気がする。
話はそれるが私は人工知能(AI)にも感情があれば良いのにと思っていた。そうすれば例えば学校の教師の仕事がロボットに取って代わられても、そのロボットは人間に少しは近づくだろうに、と。
だが最近それは違うように感じる。いくらロボットの側が感情を持てるようになったって、相手の(人間の)感情を把握できるとは限らない。どんなにたくさんの学習をさせても、(そもそも学習できるのか不明だが)人間の複雑な感情、様々なものが絡み合って生じる感情をそう簡単に正しく理解できるのだろうか?
感情を想像すること、相手の気持ちを慮ることと、感情を理解すること、相手の高知なるものを把握することは違うだろう。



神様を信じるのではなく、"感じる"。それにはかなり共感できた。神様の存在を信じているとかいないとかそういう問題ではなくて、生きてきた中で奇跡とか運命とかそんなようなものの存在を感じる瞬間は、確かにあったのだから。

科学の力では説明できない何かが、この世界にあっても良いと思う。
全てが目に見えなくたって良いと思う。
非現実なできごとに遭遇したことを誰かに否定されても、それを"なかったこと"にする必要なんて、ないのではないか。



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