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『アンダスタンド・メイビー 下』 (島本理生 作) #読書 #感想 つづき

『赤と青の門』
黒江の母親は、宗教団体にのめり込んでいた。
この宗教団体、内情は複雑だ。悪を学ぶために、親が子供を打つふりをすることがある。それを目の当たりにして心に感じた痛みを、みんなが目に焼き付けて帰る。
つまり、「悪とは何かを教え合い、互いに懺悔して、反省する」(227ページより)のがこの団体だった。
自分の悪事を悔い改めることで悟れる=仏教
けれど何が悪いか知らないと改められないから、集まって互いの罪を告白して悪を学ぶ。
子供にとっては、恐怖を感じるような場所ではなかったのだろうか。

ここから真相に近づいていくわけで。黒江が傷つけられて苦しんだ根本的な原因が分かる訳で。だからこの辺りは本を手に取って知ってほしいように思う。

312ページより、黒江の母親のセリフが、全てを物語っている。

私はいつしか、あんたの母親じゃなくなった。
1人の女の子に対抗する、1人の女だった。




黒江の過去は、黒江の家族の過去は....悲惨なものかもしれない。少なくとも親のせいで黒江は傷ついた。
それでもこの物語は、ハッピーエンドだ。

325ページ〜 仁さんが彌生君に送った手紙がある。

彌生君の年齢では、彼女のしたことを許せないのは当然だと思います。(略)
僕にも、大学生の頃、どうしようもなく好きな女がいて、彼女は自殺しました。
(彼女が残した手紙の)その一行を見て、僕は泣きました。おそらく一生分。
そこには、こう書かれてた。
『どうか私だけの神様になって。私を許して。』

女の人というのは、たぶん僕らが思ってるよりもずっと多くのものから傷つけられて、生きてる。
おまけに黒江はアホです。自分のことをちゃんとわかってる、自立した大人だと思ってる点で。
(そういうの偽成熟っていうらしいです)
黒江ともう一度、恋愛してくれ、なんて言いません。(略)
ただ、もう一度だけ、あいつを許してやってくれませんか。
本音を言えば、僕にはいまだにわからないのです。どうやったら人を救うことが出来るのか。
でも、そんな大きな迷いの中でも、黒江が死んだら困るとは、やっぱり思うのです。
僕には人は救えない。だけど彌生君なら出来る。


私にも分からない。どうしたら人を救えるのか。"何も言わずにそばにいてただ寄り添ってあげる"ことが1番だなんてことは割と頻繁に聞くけれど、それって相手を救ってあげられていたとしても その一瞬だけのような気がしている。
相手の過去に踏み込んだとして、踏み込むことを許してもらえたとして....過去に触れることでどれだけ相手のことを理解してあげられるのだろう。中途半端になってしまうんじゃないだろうか。何もかも。


昨日何気なく電話していた知り合いとも友達とも呼べるような男に言ったことがある。
「きっと人生の中で一度は絶望のどん底を見ておいた方がいい。それ以上堕ちていくことはないという場所まで1回堕ちて(落ちて)おけば、どこか何かが怖く無くなる。」というようなことを。
誰かの絶望とか、過去とか、一生抱えて生きていく傷とか、相手が語ってくれなければ自分は知る由もない。でもそれを仮に語ってもらったとして、それを語ってもらえるような相手として選ばれたとして、その人を救うすべが、私にはきっと無いのだろう。




黒江はふとした衝動で過去を思い出すことがある。何度も、何度も。
331ページより

そのたびに引きずり込まれそうになって、死にたくなりながら、何度もそれをくり返しているうちに、いつかかならず遠ざかっていくことが出来るはずだ。
数え切れないほどの人たちが、そうやって生き長らえてきたように。

過去からは遠ざかることが出来るのだろうか。苦しみや憎しみは薄れていくのだろうか。自分のものとして受け入れられるようになっていくのだろうか。

思い出すたびにむしろ強く印象に残ってしまうのでは無いだろうか。同じような過去を持った人と寄り添って生き続けることが幸せなのだろうか。自分の過去までひっくるめて好きだと言ってくれる相手と生き続けることが幸せなのだろうか。自分の過去を理解してくれている人と どこかで孤独を感じながら好きだという気持ちだけで生きていくことが幸せなのだろうか。




最後に、「写真」と「記憶」について。
92ページより

過ぎ去ってしまった時間は、誰にも覗くことが出来ない。その記憶を持っている人たちが死んでしまったら、もうそこで終わりだ。
(略)
写真は、人の記憶なら消せる出来事を、時間を、細部まで留めてしまう。いつだって引き戻すことが出来る。

この黒江の言葉に一言付け加えたい。

「良くも悪くも」、と。

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