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『イノセント』 (島本理生 作) #読書 #感想文

島本理生さんといえば恋愛小説。もちろんこの作品も恋の話である。

この本の主人公は3人。
1人目は如月歓(きさらぎ かん)。神父だ。この本にはキリスト教の思想がよく登場する。彼は昔 女性を襲ったという罪悪感から逃げるために"神"という存在を利用している。

2人目は真田幸弘(さなだ ゆきひろ)。会社の経営者であり、女性とはサラッと付き合って遊んでいるタイプである。彼は3人目の主人公である彼女と出会い、初めての本気の恋をする。本気の恋というか、初めて誰かと真剣に向き合うということをする。

3人目は徳永比紗也(とくなが ひさや)。この女性を中心に三角関係が起きるというような陳腐な恋愛小説というわけではない。彼女はいつだって安心できる場所を求めているけれど、大切な人を失ったことで誰かを信じることを怖がっているように感じた。
紡(つむぐ)という男の子がいる。訳あって義理の父親から離れられずにいる。彼から性的虐待を受けてきたのにも関わらず。そして、結婚しようと思っていた相手を3.11の震災で亡くしている。



これは比紗也が最終的にどちらの男性と結ばれるのか!??という話ではない。

201ページより

自分に関係ないと思えば、人間はどこまでも無責任に優しくなれるの。真田君はね、究極、負う気がない……じゃないね。負うっていうことがどういうことか本質的に分かってないんだと思う

主人公真田の友達であるキリコは真田にこう言っている。真田は良くも悪くも自由奔放で、"恋人"や"結婚"というような縛られた関係を望まない。ここでキリコは真田では比紗也の過去を背負いきれない、あなたが今のままでは彼女の人生まで背負って一緒に生きていくなんてできないと伝えている。
この頃の真田は、本当に性欲に純粋だ。

271ページより

遊びで付き合ったわけではなかった。本当は追いかけて拒絶されるのが嫌だった。踏み込まないのではなく、踏み込み方さえ分からなかったことも。

これは真田自身の言葉だ。彼はある程度のプライドを持っていて、常に(好きな)女性の前では男らしくいたいと思っている。これは(男性にとっては)当たり前なのかもしれないが、彼はほんの少し違っている。どこかで自分の方が女性より気持ちの量的に上でありたい、自分の方が愛に溺れてしまうことで振り回されたくない.....そんなふうに思っているのではないだろうか。



次は如月歓の方に注目する。

327ページより

「絶対に幸せにはなれない、なんて言わないでください。お願いだから、幸せから逃げないでください」
(略)
「僕は、逃げました。現実の人間関係や過去から。だけどちっとも救われませんでした。ようやく解放されたのは、あなたに出会ったからです。(略)」
(略)
「(略)愛からだけは逃げられなかったからです。知らなかったんです。愛は人が見つけるものだと思い込んでいました。だけど実際はどんなに抵抗しても、愛のほうから見出されるものだった。それくらい人間はちっぽけで、僕は無力です。(略)」

"愛の方から見出された"という考え方には初めて触れたように思う。彼の愛は独特で、比紗也の1番になれなくても彼女の幸せを願っているだけでなく、司祭だからこそできることをして彼女に手を差し伸べる。
彼は彼女のおかげで救われた。彼女に過去の罪を怒ってもらえたからこそ。
彼の献身的な愛にはある意味感動すものがある。ただ私はキリスト教の考え方に対する知識が乏しいので、触れるのはこの程度にしておく。





島本理生さんの恋愛小説の主人公は家庭環境が複雑だったり、愛し方がわからなかったり、愛され方がわからなかったり、極端に愛に依存していたり....と様々だが、彼らは(おそらく皆)自分がどこか"欠けている"と思ってそれを"愛"で埋めようとしている。できればそれは"無償の愛"が良いと思っている。


そんな彼女の恋愛小説が私は好きである。

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