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“死者”に手向ける花

連載シリーズ 物語の“花”を生ける 【プロローグ】はこちらから

第6回 亡き王女のための刺繍(小川洋子)

4月からのクラブ活動、何にするか決めた?


まだ・・・やっちゃんと一緒でいいよ。


そう、じゃあ手芸クラブか絵画クラブはどう?


うん、それでいい。

小学4年生になると、月曜日の6時間目にクラブ活動という時間が加わった。小学生なので課外活動ではなく、授業の一つなのだが、自分の趣味や興味に合わせて、1年に一つ、好きなクラブに入ることができた。

3年生の3学期になると、興味のあるクラブに見学に行くことができた。スポーツと理数系がまったくダメだった私は、文化系のクラブしか選択肢がなかったのだが、子ども向けとはいえ、これがなかなか充実していた。

当時、流行っていた漫画『ガラスの仮面』の影響を受けて演劇クラブもいいな、ケーキやクッキーをつくる料理クラブでもいいな、好きな布や毛糸でバッグや手袋をつくる手芸クラブもいいな・・・など入りたいクラブは山ほどあった。

クラブ活動での成果は学芸会と展覧会とで発表するのだが、演劇や音楽などを舞台で披露する学芸会の年と、絵画や手芸、書道など作ったものを展示発表する展覧会の年と、隔年で行われた。

自分たちが4年生、6年生のときは展覧会、5年生のときは学芸会なので、それに合わせてクラブ活動を選ぼうという作戦を立てた。4年生手芸クラブ、5年生演劇クラブ、6年生陶芸クラブか書道クラブ・・・

そんな感じでいいかなと思っていたのだけれど、どれもこれも自分自身が心の底からやりたいというのではなく、友人と一緒に入れればいいとか、母が推めるからとか、そんな理由だった。

当時習っていたピアノの延長でできる音楽クラブに唯一興味があったが、大好きだった音楽の先生がその年で退官するという噂があり、それにも消極的だった。

いちばん仲良しのやっちゃんと一緒のクラブでいいや。

やっちゃんはクラスメイトで習い事の書道教室でも一緒の女の子だった。幼い時分から絵画も習っていたらしく、字も絵も学年で一番というくらい上手かった。手先も器用でなんでも自分でつくった。ときには自分たちが大きくなったら住むための木の小屋をつくろうと言い出し、設計図らしきものを書き出したときは、度肝を抜かれた。

その日もやっちゃんの発案で、白い布にそれぞれのお母さんの好きな花を刺繍して、ハンカチにして、母の日にプレゼントしようということになり、やっちゃんの部屋で準備をしていた。

やっちゃんは白い布に花の絵を鉛筆でさっさっと下描きした。太い茎に沿って縦にピンクの花を咲かせる、花屋の透明の冷蔵庫でしかみたことのない高価な花だった。やっちゃんは布にも上手に絵が描けるんだ、選ぶ花もチューリップとかひまわりとかじゃないんだ。

私といえば、母が好きな花なんて思い浮かばなかった。母に直接聞いてみようかと思ったけれど、聞いてしまったら、どうして?なんで?と返って問い詰められそうでこわかった。おどろかせたいから、お母さんには内緒ねとやっちゃんに言い含められているのを守れそうにない、布や刺繍糸を買うお小遣いを持ち出すのだって、大変だったのに・・・。

何の花にしようかと考えあぐねていると、次の工程に移ったやっちゃんが、刺繍用の木の輪っかで布を挟んでネジを締め上げながら、クラブ活動、何にするか決めた?ときていきた。

優柔不断でこれといったこともできず、何もできないくせに理想ばかり高い私は、いつもの思考停止に陥っていた。もう何の花でもいい、何のクラブでもいい・・・。

4年生になった月のある日の午後、担任の先生がクラブ活動の名前を黒板に列挙した。

今からそれぞれのクラブの名前を読み上げるから、入りたい人は手を挙げなさい。

やっちゃんは私に目配せをしてきた。手芸クラブに手を挙げてね。

私は手を挙げた。

音楽クラブに入りたい人!

はい。


「亡き王女のための刺繍」(『口笛の上手な白雪姫』 小川洋子 幻冬舎文庫)という作品を読んでいると、記憶の底に沈んでいたこんな思い出が浮かびあがってきた。

* * *

どんなに薄い縁の人であっても赤ちゃんが生まれたと聞きつけると、出産祝いを贈らずにはいられない「私」は、りこさんのお店で刺繍入りのよだれかけを注文する。

りこさんは、「私」の母親の代から贔屓にしている子供服専門の仕立て屋で、先生と呼ばれた先代の亡き後を継いで、店を営んでいる。

りこさんは特に刺繍が得意で、先代もその腕前には一目置き、手や口を出すことはなかった。代金が多少高くなっても仕立てた服に刺繍を依頼する客は多く、他店で買った洋服に刺繍をして欲しいと持ち込む客もいた。りこさんの刺繍は「上から付け足したのではなく、布の向こうに隠されていたものたちが何かの拍子にこちら側にあらわれてきたという自然さをまとって」いて、「幼い者が受け取るべき愛の印になった」。

りこさんの店で仕立てた数々の服を着るとき、「私」は母親の前で“王女”でいられた。特にりこさんがほどこした刺繍は自分を見守ってくれる「守護天使」であり、「邪悪なものを追い払う護符」であった。しかし13歳のピアノの発表会で着たドレスを最後に、それらを着ることはなかった。

王女とお針子

この物語は「私」の視点から回想的形式で、少女時代に着用した服へのやみがたい愛着と、それを仕立てた年上の女性への憧憬と複雑な思いとが、綾のように語られている。

生まれてくる赤ちゃん(「私」の妹)のためのベビー服一式をりこさんの店で誂え、それを「私」が受け取りに行く。

 隅から隅まで何もかもが全部真っ白だった。これを汚さないで家まで持って帰るには、どうしたらいいのだろうかと不安がよぎるほどだった。その白さの中、首元や袖口やソックスの折り返しやよだれかけの縁に、更に深い白色の花が、たった今咲いたばかりとでもいうような瑞々しさで刺繍されていた。流線型をした六枚の花弁を持つ、小さな花だった。それらが茎を交差させ、花びらを重ね合わせて幾つも連なりながら、生まれたての赤ん坊を祝福する時を待っていた。
「何ていう花?」
私は尋ねた。
「ツルボラン」
と、りこさんは答えた。
「ツ、ル、ボ・・・・・・」

「ボーイでもガールでも大丈夫なように、白いお花にしたの」
「ふうん」
「図案集の1033ページに載っている」
「そう」
「冥界の地面に咲いている」
 りこさんはどこか中途半端な方向に視線を向け、大きな手の細い指で私の頭を撫で、誰に向かってと言うのでもない口振りで「もうお姉さんね」とつぶやいた。そうして紙箱のふたを閉じ、リボンを結んだ。
「めいかい、って何?」
「落とさないように持って帰るのよ」

「亡き王女のための刺繍」(『口笛の上手な白雪姫』 小川洋子 幻冬舎文庫54〜55ページ)

りこさんは、誕生を寿ぐベビー服に死者の世界に咲く花を刺繍する。

店で母親と先生の長話しがはじまってしまうと、「私」はりこさんの手仕事をのぞいたり真似したりしながら、母親から決して食べてはいけないと言われているお菓子を、休憩室でりこさんからもらってこっそりと食べる。あるとき、ゼリーを包んでいたオブラートが喉に引っかかって「私」が飲み込みかねていると、りこさんは、早く飲み込まないとお母さんに叱られるわよといって、無理矢理飲み込ませた。

ハンカチにイニシャルを刺繍する家庭科の宿題が出ていたが、忘れていて明後日に提出期限が迫っている「私」は、りこさんに頼み込んで手伝ってもらう。自分では決してできない見事な刺繍の仕上がりにうっとりしていると、うっかりして指先に刺繍糸をひっかけてしまう。その瞬間、糸がするするとほどけて、夢か幻のようにイニシャルは消えてなくなった。

このように「私」の回想に登場するりこさんの「私」に対する言動や態度は、ある種の毒気を帯びている。半世紀が経った今も、りこさんは「ストーブの火を強くするわね」といったのに、寒さがいっそうつのってくる店の中で、「私」は「りこさんは本当にストーブの火を強くしてくれたのかしら」と思う。

りこさんの「りこ」は、お針子の「りこ」。どんなに高い技術があろうとも、先生に雇われている一介のお針子にすぎないという自覚が、りこさんにはある。一方「私」は、店にとってはご贔屓のお嬢さま。「私」が店の仕立てたベルベットの服を着れば、その写真は店のウィンドウに飾られ、先生は「私」を王女さまみたいと褒めそやす。ご贔屓の母親は先生を「助役の二号さん」といって蔑んでいるのに。

りこさんは店の作業台から母親と先生のやりとりを眺めながら、「助役の二号さん」とその「お針子」に向けられた蔑みを感じとり、自分を慕ってくる無邪気な“王女”を心のどこかで疎ましく思っていたのではないか。そんな想像をしてみる。

冥界に咲く花 アスフォデロス、ツルボラン

冥界に咲く花で思い出すのがアスフォデロス(アスフォデロ、アスフォデルとも)。須賀敦子の作品に、「アスフォデロの野をわたって」(『ヴェネツィアの宿(文春文庫)』)というものがある。

オデュッセウスが、トロイとの戦いで踵に矢を当てられ死に至ったアキレウスと死者の国で再会し、息子の様子をきかれるままに答えると、アキレウスは何という反応もなくアスフォデロスの咲く野を歩き去っていったという「オデュッセイア」の一節に、須賀は病弱な夫の歩く姿を重ねた。

アスフォデロスについていくつかの辞書、事典で調べてみると、ツルボランはその日本語名だということが分かった。漢字では「蔓穂蘭」と記す。外国語の当て字風でもある響きが、遠い土地の花であることを思わせた。

アスフォデロス(ツルボラン)は、1.5mほどの長さの茎に沿って、下から上へと密に白い花を咲かせる。いくつか見た写真では、ユリの花芯とツツジの花びらをかけ合わせたような姿形で、上の方の花が未開花の状態だとつくしのようでもあり、「ムーミン」にでくる「ニョロニョロ」のようでもある。これが曇天の野でゆらゆらと風にそよいでいると、ここはどこだろうというような幻惑さと空虚さがある。

須賀の「アスフォデロの野をわたって」に対して追悼エッセイを寄せた詩人多田智満子によると(『KAWADE夢ムック 文藝別冊 追悼須賀敦子 霧の向こうに』河出書房新社)、古代ローマ時代には、アスフォデロス(ツルボラン)を門前に植えて魔除けにしたり、墓前に植えて死霊への供物にしたりする風習があったという。

ギリシャ神話では、最高神ゼウスの兄弟ハデスが治める冥界(死者の国)の野に咲く花と言われている。死者はまずヘルメスによって冥界の入り口にまで導かれ、生者と死者を隔てる川を渡り、ハデスの館にたどり着く。そこで3柱(神は柱で数える)の判官によって生前の行いについて裁きを受け、多くの死者はこのアスフォデロス(ツルボラン)が咲きみだれる野にさまようと想像された。オデュッセウスはこの野でアキレウスに再会したとされる。

冥界を治めるハデスといえば、姪のペルセフォネを見初めて強引に連れ去り、妃にしたという話しを、高校時代、英語の副読本か何かで読んだ。たしか、ペルセフォネがニンフ(妖精)たちと花摘みに興じていると、美しい黄色の水仙が目に止まり、それを摘もうと近寄って手を伸ばした。その瞬間、大地が裂けてその裂け目から神馬に乗ったハデスが現われ、泣き叫ぶペルセフォネを連れ去った。

事態を知ったペルセフォネの母親で麦の豊穣を司る神デメテルは、激しい怒りに駆られて娘をさがして世界中をさまよったため、五穀が実らなくなった。それを憂えたゼウスがヘルメスを遣いに立て、ペルセフォネを母親のもとに返すようにとのハデスに命じた。

それに応えたかのように振る舞うハデスは、ペルセフォネに榴の実を差し出す。空腹にたえかねたペルセフォネはその実を食べてしまう。冥界の食べ物を口にしたものは、冥界の神になるという掟に、従わなくてはならない。

ペルセフォネはハデスと結婚したが、ゼウスのとりなしで、柘榴の実を食べた分だけ(12粒中4粒)、つまり1年の1/3を冥界で暮らしさえすれば、それ以外は母神とともに一緒に暮らすことが許された。

少女としての“死”を迎えたものに手向ける花

ツルボランに導かれて、おもいがけずギリシャ神話の世界に踏み込んでしまったが、ここで、りこさんが「私」の妹のベビー服に、死者の国の花ツルボランを刺繍したことに思いを馳せてみる。

ツルボランが暗示する“死”とは何か、“死者”は誰か。作品のタイトルが「亡き王女のための刺繍」であることを考え合わせると、刺繍は妹にではなく、“王女”=「私」に向けられたものだと考えられる。

ここでいう“死”とは実際の死ではなく、少女としての“死”、大人の女性になっていくことのメタファーではないか。少女から大人の女性への転換や変貌は、本人の意思とは関係なく、さまざまな形でやってくる。ペルセフォネが突然、ハデスによって冥界へと連れ去られ、母神デメテルから引き離されたように、「私」は9歳のとき、妹が生まれると母親の関心が妹に移り、母親と引き離された。

そして、身体そのものが変化する思春期を迎えると、「私」はもう子供服そのものを着ることはできなくなる。13歳の冬、ピアノの発表会に着た「生地はレモンイエローのシルクで、襟にはビーズの縁飾り、背中には大きなサテンのリボンがあしらわれ、ハイウエストの切り替えから裾までスカートがふんわりと広がって」いるドレスを最後に、店で仕立てた服を着ることはなくなった。このピアノの発表会で弾いた曲は「亡き王女のためのパヴァーヌ」だった。

ドレスの色「レモンイエロー」は、ペルセフォネが冥界に連れていかれるきっかけとなったあの黄色の水仙とも重なる。ちなみに黄色の水仙も「死の花」と呼ばれ、「ダフォディル」の名はアスフォデロスに由来するという。その冥界でペルセフォネがハデスの計略により結婚させられて、少女ではいられなくなったように、このドレスによって「私」の少女時代は終わった。

ツルボランの刺繍の入ったベビー服を手渡すと、りこさんは「もうお姉さんね」とつぶやいていることから、確実にやってくる「私」の少女としての“死”に、ツルボランを手向けたといえる。

そしてそのつぶやきが、「中途半端な方向に視線を向け」「誰に向かってと言うのでもない口振りで」で発せられたものであることを考えるとき、「私」に向けた言葉でありながら、同時に、「私」ではないもう一人の誰か、おそらくありし日の自分に向けたものではなかったか。

りこさんがどういう経緯で「お針子」をしているかは語られていないが、「私」は初めてりこさんにあったとき、りこさんは二十歳そこそこだったのではないかと推測している。そのときすでに刺繍の腕前は相当なものだったことから、なにかしらの事情で、とても早くから「お針子」として働いていたのではなかったかと想像してみる。

十分な少女時代を経験することなく、“王女”として扱われることなく、“死”を迎えてしまったりこさんの人生を思うとき、ツルボランはそんな自分への哀惜と手向けの花でもあった。

こんなとりとめもないことを考えながら、りこさんに頼んだイニシャルの刺繍がするするとほどけて消えてしまったシーンをもう一度読むとき、これまであまり意識することはなかったけれど、少女時代がそれほどまでにはかなく、取り返しがつかないものであったことに、はっと胸をつかれた。

* * *

大好きだった音楽の先生が退官した後に入ってきた先生は、若いサバサバした女性の先生だった。大好きだった先生も女性で、クラシック音楽が似合う上品な年輩のご婦人といった感じだったが、新任の先生はコーヒーとチョコレートとYMOをこよなく愛し、当時流行していたオーバーオールのジーンズのスカートを履いていた。

初授業の日、教科書の最初のページから何かを歌ったり笛を吹いたりするのではなく、プリントされた楽譜が配られた。タイトルには「君に、胸キュン。」とあり、皆、目を丸くした。

これを5月の運動会で演奏するので、みんな、来週までにはアルトリコーダーで吹けるようにしてきてね。

音楽の楽しさを教えようとする熱意がある分だけ、厳しい先生だった。期限まで自分が想定したレベルに演奏が到達していないと、何それ?ちゃんと練習してきたの?といって指揮棒を床に投げつけた。

退官した上品な先生とのギャップが激しすぎて、クラスの大半が先生に反発した。けれども、私は血が湧き踊った。こんな先生初めて!怖いけれど、おもしろそー!!

その先生が音楽クラブを担当すると聞いて、入ろうと決めた。やっちゃんとの約束を破ることになってしまうのは、後ろめたかったけれど、音楽の先生に出会ってしまったという感動の方がまさった。

音楽クラブの名前が読み上げられて、手を挙げたのは、私だけだった。

クラスのみんなが、えーという驚きの目でみた。よりによって、あの先生のクラブに入るなってどうかしている。でも、あいつ、やっちゃんとつるんでいるんじゃなかったっけ?そんな目だった。

みんな入るクラブが決まると下校した。やっちゃんに声をかけようとしたけれど、かけていい言葉などなかった。それからやっちゃんとは卒業まで口をきくことはなかった。

結局、4年生から6年生まで3年間、私は音楽クラブで過ごした。年ごとにクラブを変えることはできたけれど、その先生に見込まれて最後の年は部長を務めた。一方やっちゃんは手芸クラブ、陶芸クラブ、絵画クラブと渡り歩き、行く先々で、職人、アーティスト顔負けの作品を残し、ときには都のコンクールで大きな賞を獲ることもあった。

卒業式の日、やっちゃんに呼び止められた。あのときの裏切りを詫びると、きれいな紙に包まれた何かを渡された。紙の折り目一つひとつに、やっちゃんのモノづくりにかける繊細な魂が宿っていた。家に帰って開けてみると、あの年、母の日にプレゼントしようとしていた花の刺繍のハンカチが現れた。

私の裏切りで刺繍を続けることはなかったけれど、彼女は最後まで仕上げていた。でも、なぜお母さんにプレゼントせずに、私にくれたんだろう?たしかピンクの花のはずだったのに、どうして白の花なんだろう?そんな疑問が頭をよぎったが、彼女は遠くの私立の中学に進学してしまったので、それをたずねる機会を永遠に失った。

それからずいぶん長い年月が経って、大学に入ったころだったか、やっちゃんが刺繍した花は、グラジオラスという名の花だったことを知った。そして白のグラジオラスは、西洋の文化では棺に横たわる死者に手向ける花だということも。



アスフォデロス、ツルボラン、黄色の水仙については、ジャパンナレッジのオンラインデータベースによる辞書、事典を参照した。



第5回 水仙は、心の静寂清明な一点を映し出す 『月光は受話器をつたひはじめたり越前岬の水仙匂ふ』(葛原妙子)

第7回 花に生かされ、花に奪われたラブストーリー 『うたかたの日々』(ボリス・ヴィアン)

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