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まずは、 とりあえず行動してみる。

パリに住みだして2年目、フランスのトレンドフォーキャスティングの会社 (トレンドを予測する会社) で2ヶ月ほどのスタージュを終えた私は、2社目のスタージュ (インターン) 先としてKENZO社に採用された。
確か2002年1月のことである。

ケンゾー社といっても創業者である高田賢三氏は既に1999年にはブランドを退かれていたので、私が働くことになったウィメンズウェアのコレクション部門には日本人はひとりもおらず、クリエイティヴ・ディレクターのジル・ロズィエと8名のデザインチーム (仏人、英国人、オーストリア人、オランダ人、デンマーク人、コートジボワール人)と一緒に働いた。

日本人のいない会社でのスタージュは2社目で、フランス語力向上のために敢えて選んだ環境だったとはいえ、フランス語でのコミュニケーションは正直キツかった。

既に面接の時から、面接官のポリーヌとディアンヌは私のフランス語で大丈夫だろうか、という懸念があったらしい。でも、ポリーヌがたまたま前スタージュ先のデザイナー、ロールの大親友ということで面接後ロールに電話して私の仕事ぶりを確認したらしい。ロールから「お墨付き」を得たポリーヌはすぐさま私の採用を決定した。

もしポリーヌとロールが親友でなかったら、きっと語学力のせいで採用されていなかったと思う。

現にこの採用の前月にバレンシアガのバルナベと1回目の面接をしているのだが、語学力のせいで採用されなかったのだ。(その後、一年後に再び面接して、その時は無事に採用された。)

最初のスタージュ、無償とわかっていても(結果的に退社時に少しだけ謝礼をいただいたのだが) 一生懸命頑張って働いていてよかった!

ケンゾー採用後も、言葉が本当にわからなくてお互いコミュニケーションをとるのが難しかったが、持ち前のコミュニケーション能力と粘り強さと日本での専門学校教員としての経験をフルに活かし、どんな小さな仕事でも一生懸命こなした。

彼らも忙しい中にも関わらず辛抱強く私の話を聞いてくれたし、仕事もたくさん回してくれ、ランチタイムやプライベートでもいろいろ誘ってくれたおかげでフランス語も少しずつ慣れてきて本当にありがたかった。

最終的にはバレンシアガのスタージュが決まるまで、約9ヶ月くらいお世話になったが、最後の2ヶ月は報酬も普通のスタージュの額の何倍か、少し多めに頂くことが出来た。

当時のデザインチームの8人のうち6人は17年経った今でも何だかんだ連絡を取り合っている。そのうち3人とはその後、別の会社でも一緒に働いたし、他の3人にはニューヨークで働く時に必要なビザの申請の時に推薦状を書いてもらったし、つい最近、3週間前にもプライベートでポリーヌと食事した。

パリやNYに限らず、ロンドンやイタリアのファッション業界はとても狭いので、一旦ラグジュアリー業界に入ると、だいたい同じデザイナー達がいろいろな国のブランドをぐるぐる転職している。

だから、パリ生活のごく初期にラグジュアリーブランドであるケンゾー社で経験を積めたことによって引き続きラグジュアリー業界に残れたことは本当にラッキーだった。


時には勇気を出して、まずは行動してみることも必要

本当はフランス語が完璧になってからフランスの会社で働いた方が良かったのかもしれないが、私はその頃既に30歳になっていたので、早くデザイナーとして一人前になりたかったし、ゆっくり語学学校に行けるほど貯金もそんなになかった。

自分の中では3年以内にフランス企業に就職できなかったら日本に帰ろうと本気で思っていたので、フランス語が完璧になるまで待っていたらもう、すぐ3年なんて経ってしまう。

だから無理矢理フランスの会社に入ってしまって、強制的にフランス語を話す環境をつくった。実際やってみたら結構キツかったが…。

時には完全に準備出来ていなくても、実際にやってみることが大事なのだ。そこからチャンスがやってくることもある。失敗したらその時に体勢を立て直せば良いだけだ。




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