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両親2人とも要介護だった

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母は62歳で脳梗塞で倒れて要介護認定、その後に父も認知症で要介護になりました。最初は両親でなんとか暮らしていましたが、程なく長女である私が介護のあれこれを引き受けざるを得ず……。…
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#思い出の写真

両親2人とも要介護だった⑤

両親2人とも要介護だった⑤

長男の事故後の生活も落ち着き、

両親には同じマンションの同じフロアの賃貸の部屋に

越して来てもらうことになりました。

当初の予定の1ヶ月遅れの秋口のことでした。

部屋を整えて

身体の自由が効かない母のために、

介護用の電動ベッドも運び込んで。

最初は夜は自宅に戻っていましたが、

夜のトイレ介助が父に全部任せる事もできず、

徐々に私が両親の部屋に泊まって

夜のトイレ介助もやるよう

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両親2人とも要介護だった(番外編)

両親2人とも要介護だった(番外編)

今日はちょっと番外編。愚痴っぽい余談です💦

私がずっと地元に住んでいたので

両親は何かあった時は私に頼ろうと思っていたようで、

実際にそのように言われてました。

聞き流してましたけども。

↑小さい頃の兄と私。昭和30年代です。

長男である兄は大学を出てから東京で就職し、

お嫁さんも東京の人です。

兄夫婦の子供(姪っ子)がまだ小さい時に

仙台に戻って同居する話が兄の方からありまし

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両親2人とも要介護だった⑥

両親2人とも要介護だった⑥

「子連れ住み込み女中さん」状態で

結局4年程も続いた同居での両親2人の介護生活。

両親が引越して来るにあたって、

ケアマネージャーさんから言われた言葉を今も覚えています。

「どんな選択肢をとっても家族にとって迷ったり、

これで良かったのかと様々に悩むのは当然のこと。

でも家族はその時に選び得る選択肢から

最善の選択をしているはずだから

自分たちを責めたりする必要はないです」

この

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両親2人とも要介護だった⑦

両親2人とも要介護だった⑦

同じ部屋に寝泊まりしていた約4年間は、

夜間に何度も起こされ、トイレ介助が必要で

熟睡出来ないのが一番参りました(T . T)

毎日午後9時ごろに就寝し、夜中12時ごろに最初のトイレ、

午前2時〜3時に2度目のトイレ。

2度起こされた後は

「もう起こさないで。私全然眠る暇ないじゃん」

と言っても朝方にまたトイレ介助の要求。

「もう起こさないでって言ったでしょ?」と言うと

「そんな

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両親2人とも要介護だった⑧

両親2人とも要介護だった⑧

話は少し前後します。

FBの「過去の思い出を振り返ってみよう」

それに先日上がってきた記事です。

その内容を再掲します。

*******************************
2013年12月15日
昨日、伯母のお通夜で、要介護4で車いすの母と要介護2でアルツハイマーの父を連れて仙南の柴田まで往復して来た。その顛末がまた、漫才みたいで笑える。
父が金曜夜に「誰だかから電話来たから

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両親2人とも要介護だった ⑩

両親2人とも要介護だった ⑩

震災後、1年半ほど経ったある日、

私は何の前触れもなしに

両親の部屋で寝泊まりするのを

やめてしまいました。

「あ〜も〜限界❗️
もうここで寝起きするのやめよう!
私が世話しなくてもどうにかなるわ❗️」

と突然心が決まり、

その日から自分の本来の家に戻って

寝る事にしてしまいました。

両親には何の断りもなく、です。

もちろん食事の支度はするし、

部屋にいる時はトイレ介助も毎日の

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両親2人とも要介護だった⑪

両親2人とも要介護だった⑪

母や父の毎日も大切ですが

もうこの辺りで今後の生活の仕方を組み替えなければ

私たち家族全員がめちゃくちゃになってしまいます。

ケアマネさんにも「母が入所できる特養ホームはないか」

探してもらっていましたし、私たち夫婦も

入所出来そうな施設はできるだけ資料を取り寄せたり

見学に行っていました。

ただどこも入所待ちの人が100人単位でいるところばかりです。

この頃は母と常に一緒に居る認

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両親2人とも要介護だった⑫

両親2人とも要介護だった⑫

ショートステイを延長しながら施設で過ごす。

ひとまず緊急避難的な方法とはいえ、

母の入所が決まり、さまざまな手続きや相談を経て

私たちは父を入れた5人家族になりました。

2013年12月初めのことでした。

年末年始は母の一時帰宅もありましたが

「施設での生活がメイン、帰宅はたまのイベント」

的な位置付けです。

私たち家族の負担が劇的に減ったのは言うまでもありません。

母が入所して

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両親2人とも要介護だった⑬

両親2人とも要介護だった⑬

父との同居で5人家族の毎日が始まりました。

私には憧れの新居でしたが急に環境が変わった父の戸惑い、

そして義父との初めての同居になったダンナの

ストレスもいかばかりだったでしょう。

でもね、ダンナに関してはフツーに大人なんだからさ、

自分自身のストレスやイライラは自分のやり方で工夫して

解消するなり過ごしやすくする知恵を働かせるなり。

それが一人前の大人のすることだと私は思っています

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両親2人とも要介護だった⑭

両親2人とも要介護だった⑭

両親が住んでいた家を出てしばらく経った頃。

隣の家から「ゴミを放置して行く人がいる」

と苦情が入っていました。

空き家を放置する訳にもいかず

父に時間をかけて説明して売却することになりました。

今後の介護費用を考えても空き家の維持を考えても

もう売却するのがベストの選択でした。
↑その頃はまだ「不動産を活用して家賃収入を得る」なんてこと
知らなかったんですよ〜。ちょっともったいないこと

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両親2人とも要介護だった⑮

両親2人とも要介護だった⑮

母が何とか特養ホームに入居出来、

すったもんだの怒涛の引越し作業も済み

3LDKのマンションでの父も入れた5人での生活。

母の介護の負担が減り、多少は落ち着いてきた父。

でもやはり認知症は徐々に進みます。

新しい場所に引越して、以前通りにデイサービスで週に4日。

私は日中はパート等の仕事がありますし

四六時中父を見ている訳には行きません。

介護度の都合から父が受けられるのは

週に

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両親2人とも要介護だった⑰

両親2人とも要介護だった⑰

父を通所デイサービスとショートステイを組み合わせて使える

「小規模多機能ホーム」という所に入所させる事に決め、

新しい施設での父の新たな毎日が始まりました。

初めの頃は週に2日くらいは帰宅し、

昼間はデイサービスで夕方は帰宅する、

それ以外の日をショートステイに。

その施設にも馴染んできたようなので、

徐々に帰宅の日を減らしました。

スタッフさんたちの適切な関わりで

父も施設では

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両親2人とも要介護だった⑱

両親2人とも要介護だった⑱

数年前に救急搬送され、盲腸炎の緊急手術。

2ヶ月ほどの入院を経て退院した母。

退院はしても元の施設に逆戻りしただけで

自宅に戻れる訳ではありません。

私たち夫婦でその後よく話していたのは

「あの時亡くなっていたら、

私たちもちょっとは悲しかったかもしれない」

ということ💦

 あまりにも長期間になった母の介護生活、そして酷くなる父の認知症とそれに伴うお金の心配。私たち家族の負担があ

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両親2人とも要介護だった⑲

両親2人とも要介護だった⑲

母が亡くなり、病院との打ち合わせどおり

葬儀の場所に搬送され、お葬式のやり方や

日時等の詳細も決めました。

母は亡くなりましたが、正直私は涙など全く出ませんでした。

「やっとやっと終わった❗️本当に長かった❗️」
そう思って心底ほっとしただけでした。

後悔や自責の念もありません。

自分がやれる事は自分なりにすべてやったのです。

母が亡くなったことは施設に入っている父には

結局知らせ

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