見出し画像

両親2人とも要介護だった⑤

長男の事故後の生活も落ち着き、

両親には同じマンションの同じフロアの賃貸の部屋に

越して来てもらうことになりました。

当初の予定の1ヶ月遅れの秋口のことでした。

部屋を整えて

身体の自由が効かない母のために、

介護用の電動ベッドも運び込んで。

最初は夜は自宅に戻っていましたが、

夜のトイレ介助が父に全部任せる事もできず、

徐々に私が両親の部屋に泊まって

夜のトイレ介助もやるようになりました。

食事の支度と洗濯、

デイサービスに通う時の荷物の準備、

介護施設からの連絡ノートを読んで押印する、

連絡事項や必要なことは通信欄に記入する、

そして持ち帰った着替えの洗濯。

それが毎日の私の必須の仕事でした。

下の子も小学生になって

ようやく空いた時間が出来たからと

6月から月曜〜金曜までの

パートの仕事も開始したはかりでした。


夜のトイレ介助のために

両親の部屋に入り浸り状態で

自分の本来の家には

戻る暇も無くなってしまった感じでした。

そこに小学1年生の

チョロチョロと落ち着きのない

長男もくっ付いて来ていて

その状態はまさに

「子連れ住み込みの女中さん」

と言うのがいちばんピッタリでしたね💦


週に4日程のデイサービスと

週一度のヘルパーさんの訪問、

そして2〜3ヶ月に一度は

ショートステイで何とかやり過ごしていました。

何だかこの頃の事は、

細かい所の記憶があまりありません。

実質的な介護同居を始めた当初は

「父か母のどっちかがこの後体調を崩し、

この状態はせいぜい2年程度だろう」

と考えていました。

ところがドッコイ、でした。

私の介護同居

「子連れ住み込み女中さん状態」

はこの後まる4年ほども

続く事になりました(T . T)


そして今思い出しても残念だったのが

その時丹精込めて世話していた

ベランダガーデニングの

植物の世話が出来ず

ほとんどを枯らしてしまったこと。

好みのプランターを集めて、

ベランダのこの場所でも

育つ植物を吟味して植えたのに……(T . T)


余談ですが、

この私のベランダガーデニング、

地元情報誌に写真入りで

取り上げられたこともあったんです。

マンションの管理組合からは

「避難路を塞いでいないか?」

と何度か注意を受けたんで、

(ちゃんと避難路は空けてました)

「青葉区 Sさん」と仮名で

ベランダ外の風景もぼかしての掲載でした。

取材、何度も断ったんですけどね〜。

画像1

↑ベランダのプランターを背景に子供たちをパチリ。

サポートをいただけるならば、それはそれは大感激です❣️毎日発信を続けることが、自分の基礎トレーニングだと思っています。サポートを励みに発信を続けます💓