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両親2人とも要介護だった⑫

ショートステイを延長しながら施設で過ごす。

ひとまず緊急避難的な方法とはいえ、

母の入所が決まり、さまざまな手続きや相談を経て

私たちは父を入れた5人家族になりました。

2013年12月初めのことでした。

年末年始は母の一時帰宅もありましたが

「施設での生活がメイン、帰宅はたまのイベント」

的な位置付けです。

私たち家族の負担が劇的に減ったのは言うまでもありません。

母が入所して賃貸の部屋に父が一人になってしまい、

いつまでも賃料を払い続けるのも無駄です。

新居への引越しは2月初めに決まったので、

賃貸の部屋は1月末で退去し

不要なものは人に引き取ってもらったり、

粗大ゴミに出したりの作業を続けました。

この数年、

一戸建て実家→賃貸のマンション両親2人暮らし→
母は施設入居→父は私たちの部屋へ→5人で新居へ

とわずか何年かで目まぐるしく引越しや

不用品の片付けに専念することになりました。

もうほとんど、一生分の片付けでしたね。

とは言え、その後に購入した
現在シェアハウスになっている戸建ての
片付け作業が未来に待っていたのでしたが(^_^;)

引越しの前日までの1週間は63平米の狭いマンションの部屋に

両親の部屋から運んだ荷物も増え、

自分たちの引越し荷物の段ボールも山積みで

ドタバタな日々でした。

引っ越し荷物の段ボールの隙間で寝起きする状態なので、

その1週間ほどは父にはショートステイで泊まってもらいました。

引越しは週末の金曜日。

ダンナや子どもたちは通常通り会社や学校へ。

長男など、引越しで家が小学校の斜め向かいになり

大喜びでした。

家族に何かある度、結局一家の主婦である私が

中心になって動かないといけない。

仕方がないですし当然なのかもしれませんが、でも

「家族のため自分のために給料が発生しない労働」

に忙殺されることは困ったことでもあります。

特に我が家はダンナの収入がいきなり低い(T . T) 

問題意識を持って考えたり動いたりする人でもない。

人のことはどうにも出来ないので、自分がどう考えて動くか。

「過去や他人は変えられないが自分と未来は変えられる」

そう考えるしかありません。

私の人生、常に何かに迷い、あちこちぶつかりながら

それでも何とかやって行く。まさにそんな毎日でした。


そして引越し当日はとても寒い日でした。

荷物が運び込まれた直後から

粉雪が後から後から降ってきて

仙台には珍しく大雪になりました。

新たに眺めの良い、便利なマンションに越してきて

私は大満足ではありましたが、ダンナにとっては

義理の父との同居で気持ちの休まらない毎日の始まりでもありました。

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↑若い頃の父です。17〜8歳ぐらいの頃でしょうか?



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