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両親2人とも要介護だった ⑩


震災後、1年半ほど経ったある日、

私は何の前触れもなしに

両親の部屋で寝泊まりするのを

やめてしまいました。

「あ〜も〜限界❗️
もうここで寝起きするのやめよう!
私が世話しなくてもどうにかなるわ❗️」

と突然心が決まり、

その日から自分の本来の家に戻って

寝る事にしてしまいました。

両親には何の断りもなく、です。

もちろん食事の支度はするし、

部屋にいる時はトイレ介助も毎日の洗濯や

デイサービスの支度もします。

だけど夜まともに寝られず、

何度も夜起こされてトイレ介助するのは

もう限界でした。

自分が気持ち悪いからと言って

夜中何度も眠っている介助者をおこして

トイレ介助をさせる。

それを日常のこととして

周囲に負担をかけ続けることが

普通になってしまっている母と

これ以上同じ部屋に寝起きする事は無理でした。

食事の支度は本来の自分の家のキッチンで

出来上がった食事をお盆に乗せて両親の部屋まで運ぶ。

食事が終わった頃食べ終えた食器を取りに来て

またお盆に乗せて持ち帰る。


子どもたちは長女が中学生、長男はまだ小学生です。

本来ならば自分はもっと子どもに対して注意を向け

エネルギーを注がなくてはならない時期です。


私が別の部屋で夜寝ても

母は部屋にたったひとりになる訳ではなく、

父もいての生活です。でも父も認知症です。

細くて折れそうな身体で体重の重い母の介助は

かなりの負担だったとは思います。

だけど私ももういっぱいいっぱいで

これ以上両親の介護同居はムリでした。

これ以上頑張ったら心がプッツンして、

包丁を振り回して大声を出して暴れ回りそうな感じでした。

(どんだけ〜💦)

日常の食事の支度、洗濯、デイサービスの準備。

身体介助を始め、ケアマネさんや施設との連絡、打ち合わせ。

毎月の必要な費用の支払いのためのお金の計算と入金と振込。

通院の付き添いと飲み薬と注射薬の管理。

それを両親2人分です。

両親の日常生活を支える全ての作業が

私一人の肩にかかって来ています。

やるべきことはやりますが、同居してまでの介助はしない。

自分が壊れてしまわないために

私が決めたことでした。

もちろん母からは「こっちに泊まって手助けして欲しい」

とは言われました。

私が突然、何の説明もなしに

夜間の泊り込みをやめてしまったのです。

両親も戸惑うでしょう。

だけど夜間に3度は当たり前の

トイレ介助では私は寝る暇もありません。

昼間、ゆっくり寝られる訳でもありません。

母や父の毎日も大切ですが

自分のことは自分で守らなければ、

遅かれ早かれ私は体か精神をダメにして

入院することになってしまうでしょう。

4年間、出来るだけのことはやって来ました。

もう本当に疲れちゃいました。だからもういいでしょう?

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↑脳梗塞になる直前の母と長女。長女はお祭り装束で大喜びでした。青葉祭りにて





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