スタートラインに立つための練習をしている時間はない
前回もお話しましたが、金曜日の夜のこと。
ピアニストであるフジコ・ヘミングのコンサートに行ってきました。
フジコ・ヘミングの名言
いよいよ開演というタイミングでピアノに歩み寄る姿は、
男性に付き添われてそろりそろりとしたペース。
そんな状態であるのに、ピアノに座りひとたび演奏を始めると、
客席とピアノの距離を感じさせない圧巻の表現力。
たとえ歩けなくなっても、ピアノを弾くことができる。
ピアノを弾く前から、既にその姿だけで、
未来に大きな希望を与えてくれました。
さて、肝心の演奏ですが・・・
「ショパンとリストを弾くために生まれてきたピアニスト」
と言われただけあって、
ショパンの「皇帝」やリストの「ラ・カンパネラ」は
こちら側が全身全霊を傾けざるを得ないほどに惹きつけられ、
むしろピアノへと吸い込まれていくような、そんな錯覚にさえ陥りました。
ドビュッシーの「月の光」も、音がキラキラと輝いて、月から零れ落ちる光の粒を集めたような演奏で素晴らしかった。
全体を通して、実はミスタッチも多かったのです。
けれど、そんなことはお構いなし。
間違ってもいいじゃない、機械ではないのだから。
という、彼女の名言をご存知でしょうか。
まさに、一つのミスがあーだこーだいうのもばからしいほど。その音の連なりに見えるのは、感性と風景。
実際に、演奏を聴いていると、自分でも忘れていた記憶のあれこれが呼び起こされるのです。これはとても不思議な体験でした・・・。
準備をするのに人生は短すぎる
さて、このコンサートを機に改めてフジコヘミングの人生などをたどる中で、とても素敵な言葉に出会いました。
初心者はピアノを弾くための指の練習なんかしないほうがいい。曲の中には、とんでもなく難しい部分があるでしょ。私はその曲の中で、指の練習をすることにしているの。人生は、指の練習をしているには短すぎるし、第一、意味がないもの
1年に1曲を仕上げることを目標に、自分なりの課題曲を課している私には、この一言は大きな励みになりました。
スタートラインに立つための練習ではなく、やり遂げるための練習。
それでいい、と。
そしてこれは、ピアノ以外のあらゆることにも通じるはず。
ここまで出来たら、あれに挑戦する。
ここまで準備できたら、あそこに行く。
そんなことしているには、人生は短すぎる!
どんなに準備や訓練をしても、
新しい曲に挑戦すれば必ず難所は出てくるわけで。
「役に立つ努力」「やりたいことを形にするための努力」を積むことに
意味がある。
自分には高すぎるハードルにぶつかったら、
そこで試行錯誤してみればいい。
それ自体が練習になり、それ自体が完成形に直結するのだから。
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