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カントとスェーデンボルグ

 1800年12月31日、ケーニヒスベルクで、一人の哲学者が老いていた。カントだ。
 老カントは、己の人生を振り返っていた。18世紀も間もなく終わろうとしている。明日から19世紀が始まる。激動の世紀になるだろう。だがもう自分の時代ではない。自分は過去の人間だ。だから18世紀を振り返る。啓蒙の時代だった。理性の時代だった。革命が始まる。
 近代西欧の啓蒙思想と言えば、フランスのジャン・ジャック・ルソー(注122)を思い出す。亡くなって久しいが、彼の最晩年の著作に、『孤独な散歩者の夢想』(注123)がある。サン・ピエール島のくだりが印象的だ。瞑想からの神秘体験が描かれている。
 ……ルソーも経験したのか。あの恍惚を。
 老カントは揺り椅子の中で、目を瞑って、ルソーの幸福を想像する。トレースする。意識が拡大して、成層圏にまで魂が舞い上がり、全ヨーロッパをこの手に掴む。西欧文明の全てを認識する。老カントの口許に笑みが浮かんだ。これではまるでスェーデンボルグのようだ。
 若い頃、スェーデンボルグにこだわっていた。今はそうでもない。思えば、立派な学者だった。前半の30年は科学者として生き、後半の30年は霊能者として生きた。世間的には国会議員にまでなっている。北欧社会も認めたのだ。彼は本物の天才だった。
 霊的な事は、自分には分からない。それは今も同じだ。だが死ねば分かる事だ。あの『霊界日記』(注124)に書かれている事が、そのまま展開するのだろう。恐らく間違いはない。老カントは、何度か深く深呼吸をした。そしてそのまま瞑想に入る。揺り椅子は揺れていた。
 
 その男は吃音だった。でも機械工学が好きだった。将来、エンジニアになる事を希望していた。航空機の研究もした。若い頃、木の模型を飛ばし、研究者たちと議論していた。あの頃、熱かったのは、アイザック・ニュートンが発表する科学論文で、毎週チェックしていた。
 ニュートンは、たった1人で、この世界を塗り替えつつあった。いや、科学文明というものを、明確にデザインして、構築しつつあった。とてつもなく巨大な知性だった。文明を構想する理性というものを、間近に感じて、震えたものだ。自分も少しでも近づきたいと思った。
 だから科学を志した。家は裕福だった。ストックホルムで祖父が鉱山を経営していた。父はスェーデン王室に出入りする牧師だった。環境は整っていた。素養はあった。一つ変わっていた事があるとすれば、聖職者から瞑想呼吸法を習い、初歩の修行を体得していた事だった。
 とにかく、若い頃はしゃにむに突き進んだ。イギリスに渡り、時計、楽器、家具、レンズなどを修理しながら、科学を学んだ。数学、物理学、鉱物学、化学、冶金、地質学、結晶学だ。特に結晶学で功績を上げた。全てラテン語の論文だ。しまいには科学雑誌まで創刊した。
 1735年発表の『哲学と鉱物学の著作』(注125)は、国際的な名声をもたらした。
 科学的熱狂に憑りつかれていた。自分でもどうかしている。手を広げ過ぎだ。
 50代になって転機が訪れた。いや、行き詰まりだったかもしれない。そんな時、ニュートンは昼、科学者として振る舞い、夜、錬金術師として振る舞っていたと聞いた。真夜中は別の顔か。さもありなん。ミネルヴァは夜飛び立つのだ。まだ本当の真理を掴んでいない。
 1744年4月6日の夜、ベッドから転がり落ちた。霊視が始まった。霊聴が始まった。この時は一時的だったが、「彼」の姿も垣間見た。無論、人には言えない。秘密にした。だが動揺して吃音も酷くなった。そして1745年4月、真昼のロンドンのレストランで天啓が下った。
 「食べ過ぎるな」
 要するに、「彼」はそう言った。真昼のレストラン、昼食時の出来事である。たらふく昼食を食べ、ワインを飲んで満足していた時、不意に「彼」が現われて、そう言った。
 自分の体から見えざる水蒸気が上り、体中の毛穴から、恐ろしい煙が出て、地面に落ちて、地虫に変わった。そしてテーブルの下をはい回り、バン!と爆発して、全て消え失せた。
 今思えば、アレは魂の浄化だったのだろう。仏教で言う処の六根清浄か。
 「いいか、食べ過ぎるんじゃないぞ」
 「彼」は二度言った。大切な事だからか。
 近代北欧、巨大霊能者、スェーデンボルグ誕生の瞬間だった。57歳で霊道が開いた。
 その後、「彼」から霊界を証明せよと難題を言い渡された。それから、長年勤めていた鉱山会社の役員を辞めて、霊界探索の旅に出る事にした。小屋に閉じこもって、数日間、仮死状態に入り、霊界を探索する。その間、使用人には、絶対に人を部屋に入れないように厳命した。
 この頃から、ラテン語での著作を止めて、母国語であるスェーデン語に切り替えた。国際学術語としてのラテン語の退潮もあるが、霊界探索の先駆者であるイタリアの詩人ダンテ・アギリエリ(注126)に倣って、母国語で書く事にした。一種のルネサンスのつもりだ。
 この霊界ものは広く一般人に読まれた。今までは科学論文ばかり書いていたが、大航海時代のコンキスタドールにでもなったつもりで、「航海日誌」をつけて、世に問い続けた。現実世界の新大陸やアフリカ大陸の探究ではなく、本当の世界の探究だ。これは注目を集めた。
 ある時、フリードリヒ大王の妹で、スェーデン女王ロヴィーサ・ウルリカ・アヴ・プロイセン(注127)から、死んだ彼女の弟の件で下問された。一種のテストだろう。霊能力が本物かどうか試された。質問には答えている。見事、試験をパスしたのか、何も言われなかった。
 この時、彼女と死んだ弟しか、知り得ない手紙の情報について、答えている。
 この頃から、面会したいと言う希望者が殺到し始めた。吃音もあり、断っていたが、単に霊的な事に関心があるだけの野次馬も多かった。ニュートンの『プリンキピア・マテマティカ』をちゃんと解説できる者なら、面会してもよい。そうでもない者なら、お断りだ。
 霊能者という事で、馬鹿にする輩も多いのだ。ニュートンの古典力学も分からない者から、こちらの頭脳を疑われるのは、面白くない。吃音で苦しんでいるこちらに、手間暇かけて、古典物理を説明させる気か。まともな学術論文の一つでも持って、会いに来て欲しい。
 後にカントという若者が、この時、学術論文を持って会おうとしていた事を知った。手紙を見た記憶がないが、よく読まないで捨ててしまったかも知れない。この事は、後で高くついた。批判者になるのは構わないが、真実を広げる事を、阻害しないで欲しかった。
 1759 年 7月19日、スウェーデンのストックホルムで、大規模な火災が発生した。300戸が全焼し、2,000人が家を失った。400km離れたヨーテボリにいたが、夕食会の時、その様子が見えた。そして自分の家の三戸前で、火災が止まり、ほっとしたと周りの人に伝えた。
 この話は、ヨーテボリの知事の耳にも届き、次の日に呼ばれた。出頭して、詳細な報告を求められたので、知事に全部伝えた。その次の日に、郵便で知らせが届き、先に報告した通りの内容だったため、大きな驚きで以て、世間には受け止められ、広く伝わった。
 何か自慢したかった訳ではない。火事で自分の家が燃えそうになったから、騒いだだけだ。たまたま400km離れた場所にいただけだ。近くにいても、同じように騒ぐだろう。距離に関係なく、行動は一貫している。なぜこれほどまでに、この話が広がったのか分からない。
 伝えたい事が伝わらず、思わぬ事の方が伝わって、広がるという事を、この後、何度も経験する。このストックホルムの大火事の件は、その嚆矢だった。だが仕方ない事かも知れない。人と感覚が異なるので、どうしてもズレが生じる。このズレを埋めるのが今回の仕事だ。
 宇宙人、火星とか金星、他の惑星、天体に関する霊的探索もそうだ。
 霊界の話までは、ついてこれる者はいたが、18世紀の北欧社会で、宇宙人の話はキツかったかも知れない。幽体離脱して、地球を飛び出し、魂だけで他の天体まで行って、帰って来る。それを詳細に報告しているのだが、もはや誰も確認のしようがない話だった。
 これは前人未踏かと言えば、そういう訳でもなかった。先駆者はいた。
 まず幾つか段階があり、一般人でも、夢で宇宙までは行ける。地球の衛星軌道上くらいまでは行ける。これが第一段階。宇宙船に招待されれば可能だ。だが地球から離れる事はできない。宇宙を旅するためには、スターゲート、星辰の門を潜れないといけない。これが第二段階。
 心の修行が進んでいる人なら、夢の中で、宇宙人の宇宙船で、他の天体まで行けるかもしれない。いわゆるワープに、耐えられる認識を持たないといけない。だがこの次の段階として、宇宙船も要らない段階がある。魂だけで宇宙を航行する。これが第三段階。
 究極の幽体離脱とも言えるが、これはシャンバラとか、桃源郷のマスタークラスでないと不可能だ。人類でも限られた者にしかない能力だ。かくいう自分も、人類一番乗りだと思って、天体に行ってみたら、すでに仏陀、キリスト、ソクラテス、孔子がスタンプを押していた。
 四聖は伊達じゃない。ただ人類の四聖に肉薄するレベルまで来ているという自覚はあった。それだけに、この仕事は重いと感じた。間違いがあってはならない。だが間違いも犯すだろう。認識が完全ではなく、四聖ほどではない事は分かっていた。一段下だ。
 人生においても、人を救うという処にまで届いていない。一介の霊的探究者に過ぎない。これは四聖の人生と比較しても分かる事だ。世間的には名声は手にした。だがそれだけだ。
 今1人、気になる人物がいる。アイザック・ニュートンだ。この者は恐ろしい。間違いなく、人類を進化させている。人類の文明を一段高いステージに押し上げようとしている。知性と理性だけで、そうしているのか、果たして霊的な深い洞察もあるのか。いや、あるだろう。
 ニュートンが夜の顔として、研究していた錬金術は、本当の話だろう。恐らく、本気で取り組んでいる。同じ人間が、かくも二つの顔を持つ。分からない事だらけだ。錬金術は、理性であって、理性ではない。これは似非科学として、斬って捨てていいのか、判断に迷う。
 ただ長く鉱物を扱ってきた者として、ゲーテの宝石論ではないが、鉱物にも生命は宿るという事は確信を持って伝えられる。哺乳類のような動物と異なる生命スパンを持った生きる石は、この宇宙に存在する。それを賢者の石と呼んでいいのか、疑問は残るが。
 翻って考えてみると、この星、地球も、生きる石とも言える。生命が宿っている事は、宇宙に出て、初めて分かった事だ。星は無機物、無生物ではない。人間の魂より偉大で、神様より偉大ではない。魂→星→神のような序列は、この宇宙には存在する。
 ああ、この世界は、何と不思議な事に満ちている事だろう。人は旅人だ。永遠の旅人だ。

 不意に揺り椅子が止まり、老カントは夢から破れた。口元に笑みが広がる。何と言う夢を見てしまったのか。スェーデンボルグを意識し過ぎたか。それにしても、大胆な夢だ。
 自分は、思想の表街道で、道を切り開いた。理性の道だ。だがスェーデンボルグは、思想の裏街道で、道を切り開いた。霊性の道だ。古くは、ヤーコブ・ベーメの『アウローラ』から始まり、スェーデンボルグに受け継がれて、また次の世紀にバトンタッチされるのだろう。
 近代西欧には、二つの道がある。その伏流水は、古典古代にまで遡れるかも知れないが、一つだけハッキリしている事がある。アイザック・ニュートンは、どちらにも足を置いている。この科学文明のグランド・マスターは彼だ。間違いない。現行文明の設計者だ。
 そういう意味では、このカントとスェーデンボルグも、ルソーでさえも、ニュートンの配下にいて、現行文明の構築に、手を貸しているだけに、過ぎないのかもしれない。だが最後の神が到来し、全てを塗り替え、その姿を隠す時、その最も深き闇から、一体何が誕生するのか?

注122 Jean-Jacques Rousseau(1712~1778) Genève
注123 『Les Rêveries du promeneur solitaire』1778 Jean-Jacques Rousseau
注124 『Diarum, Ubi Memorantur Experientiae Spirituales』1745~1765 Emanuel Swedenborg
注125 『Opera philosophica et Mineraris』1735 Emanuel Swedenborg
注126 Dante Alighieri(1265~1321)Firenze 『La Divina Commedia』1321
注127 Lovisa Ulrika av Preussen(1720~1782)Konungariket Sverige

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺030

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