見出し画像

人に振り回されない自分づくり

本当は心は繊細なんです

何かストレスを感じると、心は敏感に反応します。心に傷を負っている時は、特に神経質になっているものです。例えば、過去に職場でいじめにあっていた僕は、わざと間に合わないように、「これこれをいつまでにやっといて!」と、仕事を与えられていました。当然間に合わないと、制裁されていました。だから、今でも、決められた時間がせまると、心は激しく動揺してしまうのです。

自分では、どんなに気にしないようにしても、どんなに気を紛らわせようとしても、心は正直に反応してしまうのです。本来は凄く繊細に反応しているものなのです。

そういった、心の反応の多くは人間関係に影響をもたらすものです。

心が弱まってしまうと

人生って、色んなことが起きるものなのですから。時には裏切らたり、色んなことで傷ついたり、望みが叶わないことだってあります。期待が失望に変わることもあるものです。

だから、人生を歩んでいくにあたって、時に心は深く傷つくこともあれば、傷だらけになってしまうことだってあるのです。

心が健康的な状態な時は、悪いことと自分を結びつけることはありません。心の反応が、自分を保つためのセーフティゾーン内で収まっているからです。心が正常に働くことで、思考や意識が健全であり、行動もポジディブに働いてくれるのですから。

しかし、心が弱まってしうまうと、心が激しく反応してしまい、自分の中でバランスを失い制御出来なくなってしまいます。心はたちまち安定を失いネガティブな出来事と自分自身を結び付けてしうまう思考に陥ってしまったりします。

例えば、周りの人に起きたアクシデントも、自分のせいだと考えてしまったりするのです。子供が病気になってしまったのは、親である自分のせいだとかみたいに。自ら、自分を非難してしまうのです。

それは、心の受けた傷がひどく、何事も自分と結びつけてしまう思考に陥ることで、更に自責感や自己否定へと導いてしまいます。それは、自分の中の尊厳を守るにあたって、致命的なものとなってしまいます。

他人の一言が気になって仕方ない

ここまでで、心の傷によって、心が敏感に反応してしまうもの。そのために、ネガティブな思考へと自分を導いてしまうのだということをお話ししてきました。物事に過敏に反応して、悪い方向へと思考を巡らせてしまうのです。

それは、普段ならなんでもないことまで、今までなら気にも留めなかったことまで、過敏に反応し違和感を抱きます。

僕が実体験を経て、どういったことなのか具体的に挙げるのならば、他人の一言が気になって仕方なかったことです。

挨拶ひとつでも、すこし反応が悪いだけで、自分はもう嫌われているのではないかとか、自分に対して怒っているのではないかと捉えてしまうのでした。だから、僕は人間関係をこじらせたことも何度もありました。後から分かったことは、ただ、本人が体調が悪いだけだったときもあったというのです。

更にいえば、「大丈夫です。」といわれたら、僕はもう必要ないといわれたようによく感じていました。

そういった、一言で、あれはどういう意味だったのだろうとか、どういう意図があって言ったのだろとか、鬱々と頭の中でずっと巡らせて悩んでいたのでした。

心が傷付いて弱り切っているものだから、もしも何かまた、ショックなことがあって、心が揺らぐようなことがあれば、もう立ち直ることは出来ないと思っていたのだと思います。いつも、心がびくびくしていたのでした。

心が弱くなると、過敏になってしまうのは、そいう心理が働くからだと言えます。

人に振り回されないように

こうした、繊細に、又は神経質に他人の言動に反応してしまう自分から解放されるには、どうしたら良いのか。

大けがをしたときは、ある程度回復したら、日常生活で自立していくためにリハビリが欠かせないように、心も大けがをしているのだから、心が少し落ち着いている時にリハビリをしていく必要があるのです。

少しずつでもいいから、自分と他人を分けて考えるように練習していくのです。

まずは、自分という概念を改めて考えていくことから始めていきます。自分と他人の境界線は、自分以外はみんな他人なのです。家族も他人です。友人も会社の仲間もみんな他人です。もう一度言わせて下さい。自分の両親でさえ、自分の子供さえも他人なのです。この点が忘れがちになりやすいものです。つい自分の一部のように考えがちになるからです。

だから、考え方も違えば、感じること捉え方も違います。同じ生活をしていても価値観は全然違うものなのです。だから、同じ言葉でも、各々意味が異なるのも当然なのです。

大事なのは、他人の感情は、その人のものであります。その人の感情は、その人に任せるしかないということを自分がちゃんと理解出来ているかどうかという点です。

他人に関心を持って助け合うことは、「美徳」とされている中で、関心を持って助け合う事は何の問題もありません。ただ、相手の感情を変えようとか、自分のものにしようとかは思う必要はないということです。

そして、その逆も然りなのです。相手が怒ろうが、自分が疑われようが、それはあくまで相手の感情の中の出来事なのです。それに巻き込まれて、こちらも感情的になったり、悩むことではありません。

そうやって、自分に少ずつ言い聞かせてあげていくのです。

「自分は自分。他人は他人。」

そういやって、毎日意識していくうちに、その思考も習慣となって、他人に惑わされない自分になっていくのだと考えています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?