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脳に任せられない

不安はどこからくる?

どうして、こんなにも不安になるのだろうって、自分のネガティブ思考さに、ずっと嘆いていました。未来も想像してみても、安心することが出来る核心的なものが、なにひとつ確立されていないと考えてしまうのでした。

僕は、大人になってから会社でひどいいじめにあった経験や、寝ることも許されないといった、想像も絶するような状況まで追い込まれたりといった経験をしました。そのおかげで、自ら命を投げそうというくらい自分を追い込んでしまったのでした。そうして、辿り着いた精神科の病院で診断されたのは、鬱だったのです。

それから、長い年月をかけて、回復しました。今では、そんな過去を感じさせないと人に言われるくらいまで、心を取り戻すこと出来まました。その一方で、後遺症のようなもので、いつも僕は極度な不安を感じるようになったのでした。

何かをきっかけにして、過去の記憶が蘇ってきたときに、心拍数があがり、動悸がしました。時々、現実なのか分からなくなる時がありました。自分が自分じゃない感じです。感情のコントロールが上手く出来ませんでした。そんなことで笑うのってことで、大笑いするかと思いきや、突然悲しくなって、涙が止まらなくなってしまったり、ちょっとしたことで、怒りが頂点に達したり。この時は、人間関係がトラブルばかりで、心身ともに、毎日傷心しきっていました。しばしば、一番つらい時にタイムスリップしたような夢を見るようになってしまって、うなされ目が覚めるのです。寝ることも怖くなって、寝れない日々が続くこともありました。

だから、不安はどこから来るのか、僕なりに調べることにしたのです。こうした不安という感情の原因は、過去の体験やインプットした知識から、僕の頭の中で考え作り出したものであるということが分かったのです。

更に、人というのは、そもそも生き物であるために、生き延びること前提として身体は機能していくものです。ですので、脳も、生命を維持しようと働くそうで、基本的にはリスクマネジメントであるのです。よって、嫌なことや不快なもの脅威を感じるものに対して、いいことよりも優先順位が高く、記憶に残すような仕組みがあるそうです。

だから、脳に任せてしまうと、絶対にネガティブになってしまうものなのです。だから、なにも意識せずに放っておくと、すぐに不安になってしまう。僕のような命を危険にさらしてしまうような経験を過去にしてしまうと、尚更、脳は強く警告するために、不安を強めるのです。もう、あんな目にあわないようにって。

僕の身体は、僕を守るために、不安にさせるのだということだったのです。

自分を不安にさせないために

不安になることは、悪いことではないけれど、不安でいっぱいになってしまうことは、豊かに幸せに生きることではありません。誰もが、不安になることを望んではいません。出来るのなら明るく前向きに生きたいものです。

「禅」では今ここに集中することで、不安や後悔を取り除くことが出来るという教えがあります。

例えば、不安で眠れないときは、どうするのかというと、自分がこの瞬間に肌で感じるものを意識すればいいのです。布団のぬくもりや感触を感じるといったように。

脳が無意識に考えるよりも、五感を使って何か体感することの方が、意識がいきやすいというものだったのです。

子どもの頃って、大人より不安を感じないのは、思考よりも、この感覚の方を優先して意識しているからだと言われています。

思考のシステムそのものがネガティブに導いてしまう。僕のように人は過去の起きた出来事を何ども繰り返し再生してしてしまう。それを止めるには今のある感触を味わうことに意識を向けるしか、方法はないように思えます。

目の前の起きていることに意識して、未来の不安や過去の辛い出来事は、今じゃないって、今の出来事ではないことを知らせないといけない。

僕が、極度の不安から抜け出せるようになったのは、ひょんなことから仕事の休憩中に森林浴をするようになってからです。自然を肌で感じるのです。野花に感動し、木に触れたり土に触れることで感動し、鳥といった生き物の鳴き声や風邪の音に感動する。ついこないだも、高台まで歩いてみたのです。太陽の日差しを感じて、風を感じているうちに、その時に感じていた不安な気持ちがすーっと消えていくような感覚を確かに感じたのでした。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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