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Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 8
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 8
・・
そう。そこなの。で、それは、passive creativity、なんて云うんですよね。
(質問者)そこはまた先生のsupervisionの中核でもあるわけですね。
そうですね。
(質問者)君は森田流にやりたまえ、とか何だかんだとテクニックの問題にするんじゃなくて、治療をする少なくとも治療に従事する
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 7
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 7
・・
(司会者)これはある意味では仏教的な人間性に対する見方ともいえますか。
そうですね。それでね、もう一つやっぱり、passiveの持っている意味はね、あの、患者さんでね、そういうことを見ているとね、やっぱりね、何か一種のregulationというかな、そういう風に、即自分の中にね、こう与えられているという
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 6
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 6
・・わかりやすいと思うんですけども。とにかく、あの、それでもってね、成功すればそれで僕はいいと思うんですね。けど、それはだから、森田療法の理論というよりも、僕はやっぱりtherapyというのはいつもその、患者のためにあるんだ。therapyのために患者があるんじゃない、と思うんですよ。それをいつもtherapis
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 5
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 5
・・理性で、refineすることができなくなるんですね。いわば、計算でしょう。計算というのは理性的なものでしょう。利益追求ということを目的にしているけれども、それをやるのは極めて理性的な冷徹な考え方じゃないとできないでしょう。商売で歌なんか詠んでいられませんからね。簡単に云えばそういうことですよ。そういうわけであ
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 4
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 4
・・ね。それでやったと思うんですよね。けど日本ではやっぱりそれから解放されてたというか、一応ですよ、明治維新以来西洋的な考えを入れて、たでしょう。それで面白いことに、明治の最初でもって僕は、明治の時代に次第に、これが入って来て、たとえば、西洋に行って勉強したりしてね、その中で、夏目漱石なんかの場合にはロンドンに行
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 3
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 3
・・ということが必要だと。
(質問者)先ほどのお話ですけども、Horneyの分析のやり方が高良先生のお考えに近くなった、興味を持たれて。
そうです。基礎的な考え方が非常にあっている。こういうものだったら我々は分析に対してね、もっと大きくね、時事新報に書かれたくらいですからね。それくらい非常にこう、今までの森田
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 2
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 2
・・当時の学者だし、特に東大の教授だし、そういうものを持っていたでしょう。で、その下でまあ、学ばれたわけですからね。呉教授という人は当時のドイツのフレッシュな、新鮮な、いわゆる精神医学を、科学的なものじゃないといけないというものがあるわけですよ。ですから、当時科学というものは明治時代からね、仏教というようなものは
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 1
Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 1
始めましょうかな。
(質問者)始めましよう。質問はたくさんあるんですが、・・・。
そうね、あなたの・・
(質問者)前にお見せしたリストの中から、森田の中にある最も禅的なものとは何だと思いますか。
禅的なもの。例えばそのあれですよね。例えば、「恐怖突入」とかね。それからまあ、事柄の意味を考えていくとね、つま
近藤章久の神経症的性格と不安 孤立型
近藤章久の神経症的性格と不安 孤立型
子供が、親を中心とする自分を取り巻く環境から安心感を得る事が出来ないので、不安になった時その不安から逃れ不安から自分を防衛する為に取る方法が発展して次第に神経症的な性格を作り出しますが、その中の依存型と支配型については前に述べました。いずれも心の中の深い基本的な不安とそれから生じて来た色々な葛藤による二次的な不安とに動かされて強迫的で時や所や相手を構わない度
近藤章久の神経症的性格と不安 支配型
近藤章久の神経症的性格と不安 支配型
これまで述べた依存型の人が、自分の不安を防衛し安全感を求める場合は主として人の好意や愛情に縋り他人に頼り服従する方法を取るのに対して、この支配型の人は、種として地位や身分や財力による権力によって他人を支配し服従させる事によって自分の安全を図り、不安から免れるという方法を取ります。
依存型の人にも先に説明したシンドバットの会った老人のように自分の無力さを訴え
近藤章久の神経症的性格と不安 依存型
近藤章久の神経症的性格と不安 依存型
この型の神経症的性格の人にとっては、他人の愛情や好意や受け入れや承認が、自分の安全にとって必要欠くべからざる重要な価値になっています。
従ってそれが無ければ、またあったとしてもそれが危険になれば不安に襲われるのです。そして更に不安に駆られて他人の愛情や好意を得ようとして必死に努力します。
自分の安全をひたすら他人の好意や愛情に頼っている意味で依存型と呼び
近藤章久の神経症的性格と不安 快楽型
近藤章久の神経症的性格と不安 快楽型
前にも述べたように母親自身が神経症的で不安であると、多くの場合幼児もその影響によって不安になりがちなものです。幼児は当然母親によって安心感を得たいものですが、母親自身が不安である為に子供に本当の安心感を与える方法を知りません。不安で怯えて泣く子供を鎮める為にこの母親が取る方法は、子供にお乳を与える事です。子供は母親の乳房を吸う快楽と食欲の満足で兎も角一時でも
カレン・ホーナイに於ける神経症的性格と不安
カレン・ホーナイに於ける神経症的性格と不安
ホーナイに於いては、彼女の最初の著書が示す様に、神経症的性格(Neurotic Personality)がその理論の基軸であった。従って不安もこの性格との必然的関連に於いて考えられている。彼女が最後に確立した見解に従えば、神経症的性格は別の言葉で云えば、「仮幻の自己」(Idealized Self)である。この内容は神経症的な「誇りの体系」(Pride
「人間とは」 近藤章久 講演 1986年 4
「人間とは」 近藤章久 講演 1986年 4
私は今日は皆さんに、ここでこういう話をしているのに、皆さんにこうして欲しい、ああして欲しいというお説教をしているつもりではありません。人間というものの事実を、人間というもののありのままの姿、その姿を皆さんが私とご一緒にはっきりとみていただきたいと思うのです。私は職業がら自分自身もまた患者の方も、そうした姿をお互いに見合って生きています。私はあなた方に
「人間とは」 近藤章久 講演 1986年 3
「人間とは」 近藤章久 講演 1986年 3
自分を省りみて、そういうことを本当に越えていくということは、どんなに至難なことであるかということを思います。自分の力でどうもできない時、一種の絶望感といいますか、自分の力の限界というものを感じます。そういう時点に立って、もういっぺん我々の祖先の残してくれた伝統をふり返ってみますと、そこに人間の本当の弱さというものをちゃんとはっきり確実にみてですね、人
「人間とは」 近藤章久 講演 1986年 2
「人間とは」 近藤章久 講演 1986年 2
しかし皆が自己主張をやりはじめますと、結局ものすごいことになってしまうのではないでしょうか。今ここにいらっしゃる方全員が、俺はこうだ、私はこうだといわれる。全部が自己主張して自分が正しいといわれるとどういうことになりますか。この状態を簡単にいえば、これは各自が自分の「我見」を主張するということになります。しかもそれを強力にやるということは「我執」と