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Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 2

Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 2


・・当時の学者だし、特に東大の教授だし、そういうものを持っていたでしょう。で、その下でまあ、学ばれたわけですからね。呉教授という人は当時のドイツのフレッシュな、新鮮な、いわゆる精神医学を、科学的なものじゃないといけないというものがあるわけですよ。ですから、当時科学というものは明治時代からね、仏教というようなものはね、それはね、廃仏毀釈で持ってね、とにかく明治の最初に仏教なんかね、みんなね、潰さなくちゃいけなかった。だから仏像なんかもそうなんです。西洋的な文明と反対だと考えて、要するに胡散臭いということでみんなぶっ潰しちゃったんですね。それがやっぱり僕は無意識に影響していると思うんですよ。だからやっぱりその当時の、僕ははっきり云えますけれども、あの、明治の初めから特に東大は、初めからね、ばんしょうとりしまり所、ばんしょとは野蛮人ということですよ。忘れちゃったけど、それがね、何か調べてみたらわかるでしょう。それがね、初めから翻訳ということをやっているんです、それでね。だから西洋の文化をはじめに取り入れたのは東大ということだ。だからね、そういう点で特に科学的な先端を作った秀才が集うでしょう。で、時期的に云って、ちょうど大正の終わり頃からまあ、昭和の初めにかけて森田さんはまあ、大学で活躍しているわけですけどね。だからその時代というもののつまり束縛で、日本の仏教とか宗教くさいということは本当に、何というかな、無意識にタブーになっているわけですよね。そういう状況があったという事を我々考えて。ですから、口が裂けてもね、仏教に学んだなんか云えないでしょう、特に禅なんかに。学説たるや科学的じゃないということになるでしょう。当時は科学的だということが一番新しいこと、真理だと思っていますからね。そういうような研究があったために禅と同じようなものが。しかしながら、現実に、今見れば、ほとんどそういうものと、日本人のいわば、ずっと仏教を取り入れて禅宗が来て、我々の長い精神史の中にそういうものがもうありましてね。そしてその精神、仏教的な考え方というもの、禅の考え方が隠れている。非常に以後すごく浸透しているでしょう。だからね、あのーやっぱり、明治の血を受けた人達にはね、やっぱりあるんですよ。でそれがね、僕はやっぱり知らない内に常識というかな、そういうものとしてあるんですね。無意識に浸透した禅の考え方というものが。当時のたとえばあの、明治のね、下級武士の中にも浸透していて、でまあ、そういう意味であのー、一つのたとえば「腹」とかね。「腹を作る」ですね。腹が出来ているとか出来ていないとか、そんなこと云っていますよ。その「腹」なんかという言葉なんかも呼吸から安定するものですよね。まあ、常識というかね、当然なことと思われているわけですね。その意味でね、森田さんとしてはやっぱり禅から学んだなんか云えないでしょう。とにかくそういうのは迷信だとか、云われるわけですよね。当時のあれからいって西洋的な考え方が正しいというのですからね。仏教なんかは。まあその意味で、僕はまあそんなことは、まあ社会的な状況だったからもちろんいろんなことが間違っているということではないんだけど、当時のあれに従っていたわけですけどね。やむを得ないと思いますね。

(質問者)面白いですね、先生。最近、森田療法以外の方に感想を聞いたことがあるんですよ。そして中には、森田は・・。

今の人からみればね、「囚われ」とかね、言葉はダサいですね、確かに。一種の死語になっているでしょう。それくらい我々は西洋的な考え方になっているわけですよ。頭はね。でも昔、僕の若い時にね、何というか頭だけ共産主義の思想を科学主義の思想をね、頭だけ鶏みたいにね、頭だけ赤くなってその、あとはね、その全部赤くなっていないんだね。つまり心身ともに全部そういう感じになっていないということで、そういう表現がありました。で、僕はやっぱりね、日本人の科学的なこと、たとえば今の現代人の本当に科学的な、西洋的なものが浸透しているか、僕はね、そう思わないですね。頭は確かにそうなっている。科学的だと思っているんですよ。けどもね、実際、行動だとかね、心情的なものを見ますとね、僕はちっともね、西洋的になりきっていないと思うんですよ。一種の一部のインテリのね、何というかな、共産主義、社会主義みたいなものでね、そんなものがね、本当に全部ね、成り切っていないと思うんですね。だから、そういう意味ではね、日本人が今、日本人を支配しているものは何かというとね、それはね、あの、むしろ科学的なものとね、表面はね、科学的なものですよ。だけどね、心情的にいうとね、そういうことがない国民だと思いますね。だからやっぱりね、今そういうものが、たとえば、はっきりしないためにね、僕に云わせれば混乱みたいなものが起きていると思いますね。

(質問者)ありがとうございます。次の質問に移っていいですか。先生は、高良先生に近いですね。慈恵に入局されて高良先生の近くに。森田療法における高良先生の役割、あるいは貢献というのは先生からみてどう思うんですか。

これは、彼が成されたことは二つです。一つはね、高良先生のお話はね、割合にね、あの、高良先生の人柄で、あんまりね、あの、森田の精神を伝えられたんだけども、森田の精神をね、どっちかというとやさしく分かり易くというか、それから昔のような言葉をあんまり使わないで、いわば科学的な考え方をした我々に、あの、伝達しやすいというかな。そういう風に説かれたと思うんですよね。だからあの、何かこう、先生のお話はカラッとしてスッキリしている。分かり易くやられた結果、ある人は、高良先生は森田を少し西洋化していると云う人もいますけども、やっぱりね、森田が明治的な人間であるとすればね、高良先生は大正的なね、大正デモクラシー的なね。そういう自由人だったと思うんですね。だからそういうベースの元にね、あの基礎の元に、森田療法を理解したと思うんです。ですから先生の中にはね、これは個人的なことになりますけども、たとえば分析なんかに対しても、Horneyに会われてHorneyと話されてから非常に分析に対して、Horney的な分析ですね。HorneyはもちろんFreudを批判した人間ですが。人間の中には本来の自己というのがあって、そういうものがやっぱり、自己疎外されているという状況というものが神経症、ノイローゼだと、こう云っているわけですね。そういう考え方が、そういうものを取り戻すということが必要だというわけですね。それにはっきり還っていく。あるいはそれを進んで成長させて行く、・・(つづく)

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