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Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 6

Interview with Dr. A. Kondo (1998/6/13) 6


・・わかりやすいと思うんですけども。とにかく、あの、それでもってね、成功すればそれで僕はいいと思うんですね。けど、それはだから、森田療法の理論というよりも、僕はやっぱりtherapyというのはいつもその、患者のためにあるんだ。therapyのために患者があるんじゃない、と思うんですよ。それをいつもtherapistは考えなくちゃいけないと思うんですね。で、たとえば森田療法でもって、やっぱり限界がありますね。森田療法も限界がある。それはあの、psychoanalysisがやっぱり一つの限界があるようにやっぱりそこに限界がある。どんなあの、治療法もパーフェクトじゃない、と思いますね。それは特に患者の・・特別な社会によって、それぞれ違いますからね。それによってですね、やっぱり方法を考えなくちゃいけない。で、いつも、いわゆるtherapistの役割になりますけれども、creativeに、creativeというのは、患者の状況に応じて、その患者に実際に、本当に、患者が助かるように、helpできるように、そういうeffectがないとね、やっぱり、それが本当の、あの、therapistが考えるべきことになると思うんです。

(質問者)先生あの、先日、・・creativityとおっしゃっていました。もう少し。

ああ、そうね。これはね、いろんなところに出てくると思うんですね。一つの態度を取ればね、あの、今云ったように、僕は、あの、患者に対して、一切の先入観なしにね、いわゆる禅で云えば無心にして対している。無心で居ることで成り立っていますね。それは患者に対しての先入視ではないということですよね。ああだこうだというようなね。そういうものに囚われたらダメだ、そういうものとする。これは、個人的なものですけどね。それは、囚われちゃいけないのは当然ですよ。それは、いわゆるcountertransferenceとか云ってね、色々云っているわけでしょう。色々なところでね。だけど、それとですね、それからもう一つ、theoryも投げ打った方がいいと思うんです、自分のね。自分はね、Freudianであるとかね、Horney生であるとかね、森田であるとかということを、全部忘れた方がいいと思うんですね。

(質問者)identityが強いと、という風に囚われると。

そういうわけ。患者を理解することが不十分なんです。必ずそういう枠組みに入れちゃって見ていることになると思いますね。だからそういうことはやめた方がいいと思いますね。で、その時に我々何かというとやっぱり、その、一応患者の気持ちを聞きますでしょう。FreudでもHorneyでもみんなおんなじです。森田もそうですね。ポジティブに何かするということは森田のtherapistにないでしょう。ね。そういう意味でそれをやったらね、森田流に引っ張って行くということになっちゃってね、非常にね、反感をもたらす。それこそ、反感と云いましたけれども、分析においては抵抗になりますね。resistanceになるでしょう。そういうものになってよくないですよ。だからやっぱり、passiveとかcreativeとかは別としても、全てを受けて立つというかな、passiveというのは。あらゆるものを要するに全てこちらが、ある意味ではこう、本当に、素直にね、素直に患者の云うことを、あるいは患者の示す態度、あらゆるものについて全部、受け入れて行くという風な、まず聴いていくんです。Listenしたりobserveしたり色んなことがありますけど、全て含めてそういうものをactivityとしては、こちらからどうだこうだというのではなくて、自分に与えられた一つのcommunicateしていく、共感していく対象としての、対象というのは人です。objectというのは嫌いなんです。人間ですからいつも、それ忘れないで欲しい。対象っていうのはね、・・・生きている人間なんで。それ、忘れないことです、therapistはね。人間のtherapistですからね。そういうの、ちゃんと忘れない、自分でね。そうやった態度でしかも、それだけは人間であるということにしてもね。とにかくそういうものから受け取るってことね。passiveでね。しかしそのうちに、そうやって共感していきますと、その人の、患者の、その、本当の人となりっていうかね、こう、えー、何といかな、ずっと今までの時代、生育史というか、歴史があったんですよ。そうしますとそこに自分として、ああこの人は何を一体こう、追求していって、何を本当に悩んで、何で悩んで、その上人間として本当にこう、望むこと、希望すること、人間の夢があるわけですよね。夢っていったらおかしいけど。そういう人間が持っている自分のこう、自分の中にある本当にこう、自分の生きがいっていうか、そういうものを求めているもの、その姿が見えるようになりますね。感じるようになります。掴める。そういう時に、自然にその、共感しますと、自分の中にこう、・・・発見しますね。そうするとそのためにどうしたらいいんだろう、と自分が超えていますね。その時にやっぱり、あの、何というかな、自分の中にこう、患者と一緒に、あるいは患者と同じになって、こう、createしている。まあ考え方がね、イメージが浮かんできますよ。でそれを患者さんに云うでしょう。そうするとそこに患者さんがですね、患者さんが、僕は僕のtherapistに云いますね。いうことをきいてですね、そしてあの、ああなるほどこういう幻を見ていた原因はあの、と賛同を得るということ、・・・実は・・・というようなこと、これ非常にHorneyの考え方と似ているんですけどね。そういう風なその、自分の間違いということもわかるし、本当に自分というもの、こういうものを本当に、色々苦しんだけれどもこういうものを望んでいるんだと、それに対するそれをこう、やり方をcreateしていくと歓びに変わってくるわけですね。

(質問者)あくまで外から注入するんじゃなくて、内から発生するもの出てくるもの、それを大切にするわけですね。

そう。それを待つんですね。

(司会者)ああ。それは森田の、まあ臥褥を通して自然とやりたいこと、活動力を促すということですね。

そういうことです。そうです。自然に出てくるもの。そうです。つまりいつでもそこにある患者のcreativityはそこがあるんだということ、忘れないことね。まあ初めはそのことを一生懸命まあ、そこに齧り付いてやっているかも知れないけど、そのうちにそういうことは、自ずから解ってきますよ。・・(つづく)

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