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近藤章久の神経症的性格と不安 依存型

近藤章久の神経症的性格と不安 依存型


この型の神経症的性格の人にとっては、他人の愛情や好意や受け入れや承認が、自分の安全にとって必要欠くべからざる重要な価値になっています。

従ってそれが無ければ、またあったとしてもそれが危険になれば不安に襲われるのです。そして更に不安に駆られて他人の愛情や好意を得ようとして必死に努力します。

自分の安全をひたすら他人の好意や愛情に頼っている意味で依存型と呼びましたが、簡単に云えば甘える事による防衛と云っても良いでしょう。

(1) 依存型の特徴

① 自己中心的な我儘

例えばAさん、依存的な態度の人はこうした我儘な態度を家人に対してばかりでなく、ちょっと意外に思えるかも知れませんが他人に対しても向ける場合が多いのです。

例えば、たまたま或る人が依存的な型の人に対して愛情や好意を示すと初めは大変喜び感謝します。しかしその内愛情や好意やそれに伴う保護などを当たり前の事のように思って来ます。

そればかりでなく、もし愛情や好意が自分が要求する時に与えられなかったり又は自分が欲しい程与えられなかったりすると酷く感情を傷付けられ怒ったり恨んだり逆に憎んだりします。

又、相手に対してもっと深い愛情をもっと手厚い保護をと次第に要求を大きくして行き、その要求に応えないと同じように不満・怒り・憎悪などで反応するのです。

そして、人がその態度を批判したり自分を避けるようになると酷く敏感に反応し「自分はやっぱり人に愛されない不幸な哀れな人間である」と思い絶望感に浸ります。そして、不幸を託ち愚痴を云い他人の関心と同情を求めます。

このような依存型の人の態度は、丁度アラビアン・ナイトの船乗りシンドバットの話に出て来る老人とそっくりです。

② 弱者の論理

この老人は、自分の不幸・無力感を訴えてシンドバットの同情や関心を引いて助けを求めます。しかしそれを与えられたらたちまち感謝どころでなくてシンドバットを自分の思うままにこき使い、自分の要求のままに支配する訳です。あの弱々しい哀れな老人が、たちまち鬼のように暴君な支配者になってしまいます。

これと同じ態度が依存的な型の人に見られるのです。自分は無力であると感じて他人の愛情や好意や同情や関心をあれ程切実に求めている者が、それを与えられると途端に自分の要求を当然な権利として主張するばかりか、それを限りなく主張し続けるのです。しかし、この依存型の人の心理を理解するとこの間の事情がはっきりします。

まず、依存型の人にとって安全であるという事は、他人の無条件の愛情を得て何でも自分の思うままになる状況を持つ事なのです。

しかし、依存型の人は自分を無力だと決めています。無力だから他人に自分の安全を計ってもらう為に愛情や好意を求めるという訳です。ここには、弱い者は強い者に助けて貰うのが当たり前で従って強い他人が無力な自分を助けてくれるのは当然という考えが潜んでいます。

更に、他人が自分に愛情や好意を持ってくれて自分が望んだ何でも自分の思うままになる状況を与えてくれた以上、他人は自分が思うままにする事を認めた事になるのだから、他人は自分の要求するままにもっと多くの愛情や好意を与えて当然であるという考えがあります。

謂わば、弱者の権利・強者の義務を主張する論理です。この論理は一応表面は、弱者と強者、持たざるものと持つものの平等を主張するように見えます。しかし事実は、弱者が強者を支配する事になります。

こうしてみると、一見弱々しく哀願的で人に気を遣い従順に見える依存的な型の人には、当人は無意識ですが、他人に対して極めて支配的な自分の必要の為に道具に使って平気な考えがある事がわかります。

③ 受動性

依存型の人は、大変受身的な傾向があります。

この型の人は、他人から愛情や好意を与えられる事によって自分の安全感を感じている人ですから、いつも他人から貰う・受けるという受動的な態度になる訳です。この型の人が積極的になる場合は、他人からの愛情を受ける為に人の顔色を伺ったりお世辞を云ったり作り笑いをしたり媚びたり哀願したり愚痴を云ったり助けを求めたりする場合であります。

愛情というものは、この型の人には不安から身を守る為に大切なものですが、この型の人は自分が愛情を受ける事には関心を示しますが、他人に愛情を与えるという事には何らの関心も払いません。

相手の個性や人格をそのありのままの姿で認め受け入れ尊重し信じて、お互いの生命を成長させ合うような愛情は、この型の人にとっては無縁なものです。

つまり、この型の人は他に愛情を求めていながら、本当に他を愛する事を知らないのです。この事はまた、この型の人に次のような不幸な結果をもたらします。

それは、自分が人を本当に愛さない為にその気持ちを他人に投影して他人も自分を本当には愛さないという不信感を持つからです。

④ 独占欲

もっと激しく他人の愛情を求めるこの激しさは、他人の愛情を独占しようとする傾向に走らせます。他人の愛情や関心が自分だけに向けられる事が安心の元なので、その人の気持ちがちょっとでも他のものに向けられたと感じると激しい不安に襲われて異常な嫉妬心で反応します。

⑤ 自分が無くなる

依存型の人は自分の不安から免れる為に他人の愛情や好意に依存します。その為に他人のご機嫌を伺い他人にとりいり何とかしてその愛情や好意を得ようとします。その為に表面他人の云う事に逆らわず云う通りになり、大人しく服従的な態度を取ります。所謂イエス・マンと云われる態度はその良い例です。

こうした受動的な態度を取る為に他人に気兼ねをして自分の考えた事や感じた事を表現しなくなります。うっかり表現して他人の機嫌を損ねその愛情や好意を得られなくなりはしないかと不安になるからです。

こうした事を続けていますと、次第に理由のわからない憂鬱な無気力な状態に陥り頭痛や吐気や不眠や疲労感などの身体症状も出て来ます。それどころか甚だしくなると自分が何を考え何を感じているのかわからなくなり、何も決断する事が出来ず絶望的な無力感・弱小感が深くなります。つまり自分がどんどん小さく弱くなって「自分が無くなって行く」感じがするのです。

それですから、自分で積極的に活動したり何かを創造したり自分を主張したりする事が出来なくなって、他人が明らかに無法な攻撃を仕掛けて来るような場合でもそれに対して戦ったり抵抗する事が出来ずみすみすその暴力の犠牲になってしまいます。当然怒りを感じるのですが、それを表現する事が出来ず相手に服従します。この事は更に無力感・劣等感を強めるばかりでなく、そんな無力な弱い自分が情けなくなり相手に対する敵意は自分に向けられ激しい自己嫌悪を感じる事になります。

⑥ 力による羨望と劣等感

一方、自分と反対の攻撃的で強い自己主張をする人に対しては、残酷で自分に同情してくれないと思い恐怖と敵意を感じます。しかしその反面その強い自己主張の力に対して内心羨ましさを感じるばかりか憧憬や賞讃を感じている事が多いのです。ですから夢や自分の幻想の中では、自分が全てのものに君臨しあらゆる人間を支配し意のままに酷使する事を想いますが、実際には極端な場合は支配的な人間に進んで服従しその犠牲となる事を通して相手と同一化しその事によって被虐的な喜びを感じる事もあります。

そうした極端な場合を除いても強い自己主張を行える人に対し激しい劣等感を感じるのは普通であり、これも自己嫌悪を呼び起こします。

こうして自分についての無力感・弱小感・劣等感・自己嫌悪が深くなって行きますが、深くなればなるほど自分で自分の安全を守る自信は無くなりますから、依存的態度はますます強くなって行く訳です。

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