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#日記

氷菓18話『連峰は晴れているか』

個人的に一番好きな話。
高校生がちょっとした疑問を解消するための手段として図書館のアーカイブを利用するのが「ちょうどいい」と感じた。

推理だけじゃなくて、人の気持ちに対しても深く想像を巡らすことができる奉太郎の一面が現れている。

FF12に惹かれるのは、そこにイヴァリースという世界が存在しているのを強く実感するからだと思う。

色んな種族、身分の人が街に根を下ろして生活している。ミストの影響で様々な地形が形成されている。歴史の文脈の上に人々が立っている。主人公たちの物語とは無関係に世界が在る。

『パルプ・フィクション』

重要なキャラが次の話であっさり死ぬ。さっきまでは主役でも別の軸ではただの脇キャラ。

一度ストーリーが完結したあとで、そういえば的なノリで話が前に巻き戻る。途中の話を、補足情報として観てる側は知る。

2人にとっては文字通り朝飯前の出来ごとだったのか。

『パーマネント・バケーション』

冒頭の、人通りと路地裏を交互に移すシーン。どちらにも同じ時間が流れているようですごくよかった。

出会った人から何か箴言をもらうわけでもなく、ただ他者を他者として認めてるような。

不穏な音楽、物語が収斂していかない感じはヴェンダース作品っぽい。

クロノクロスをレビューする動画を見ていたら、「中心的なメッセージ、テーマが見つかりづらいがゆえにストーリーがやや収拾がつかなくなってる」と考察されていた。

その収拾のつかなさ、メインから離れることがクロスの特徴じゃないかと思う。

クロノ・クロスは仲間キャラが45人もいる。物語の本筋に関わらないキャラの方が多い。

バーティカル(時間軸)に進むのではなくパラレルにズレる世界を冒険する上では相性がいいのかも。

『アンドリュー NDR 114』

途中、アンドリューと似て非なる人格チップを埋め込まれたロボットが、「知性より人格を持つ方が楽しい」と言っていて、それと対照的にアンドリューの人間らしさ、内面の複雑さをとても感じた。

H2 25巻
栄京広田が三振した後、父の遺言を回想しながら空を見る虚ろな表情がすごく好き。

『フェリスはある朝突然に』

学校をサボっても許される兄フェリスにストレスを抱く妹ジーニーに対して、"You could ditch."(君だって学校をサボれる)と返す薬中の男。

このcouldの使い方がなぜかとても好き。誰だって学校をサボったっていい。とりあえず口にしてみる。

ゴンたちのシリアスな雰囲気と、ゾルディック家や幻影旅団の日常的な雰囲気とのギャップ。異常に見える集団の内部にはその集団なりの日常がある。

みんながみんなシリアスにならなくていい。自分とは違う人間がいることを自覚する。

蜘蛛の手足それぞれが意思を持っている。

クロロを失いたくない手足。全体としての蜘蛛を成り立たせようとする手足。

後者にしても、完全な手足ではない。

クロロが拉致された後、それぞれの前提、見ている絵が食い違い始めるあたりにドラマを感じる。

『ヒカルの碁』

インターネット囲碁で佐為に打たせてあげるのは物語的に本当によくできてると思う。(当時の)最先端の技術を通して千年前の棋士が甦る。

『職業としての学問』で、マックスウェーバーは主知主義的合理化を説明する上で文明人と未開人を比較している。

文明人は電車が動く理由を知らなくても、それがどう動くかを「予測」すればいい。

本の主題ではないけれど、自分の内側にある無力感につながる。手を加えなくても生活できてしまう。