k
自分がいなくなりたいから写真撮ってるんだろうな。
エモいから離れた写真を心がけてるつもり。
SNSがない時代のほうが絶対的に良かったって言えそう。
9月の方が夏らしい空模様。7、8月はもう夏と呼べない季節だった。
シンプルに楽しいんだよな。
2019年に左足の腓骨を骨折して、そのときに理学療法士さんから教わったストレッチを、アレンジを加えながらかれこれ5年続いてることになる。これまでの人生で一番継続していることのひとつかもしれない。
最近のっぺりとした感情の膜に包まれている人を見ることが多い。
あらゆる情報を0と1で表現するコンピュータの仕組みと、人間の感性・感情とは対比的に語られがちだけど、後者に強く重点を置いている人の方が逆にその複雑性を見落している気がするというか。むしろ膨大な量の処理に真摯に向き合ってこそ理解できる部分はありそう。
会話のキャッチコピー性。
離散的な、飛び飛びになっているものをいかに上手く繋ぎ合わせるか考えるのが好き。
『(ハル)』 画面に映る景色/それぞれの人生とパソコン上でのやりとりが、普段は切断されていてたまにリンクする、そのバランスが心地良い。他の映画なら役者の実力が発揮される重要な「セリフ」となる部分を文字に委託しているから、演技くささが取り払われているし文学的な味わいがあった。
夏を味わうために『ぼくのなつやすみ』をプレイするみたいな。目の前にあらわれる現実がどんどんしょぼくなっていく。
何か新しいものを習得しようとするとき、今の自分にしがみつくことから離れる意識って大事だと思う。とりあえず別人のように振る舞ってみるというか。
もっとこう、社会のマッシブさを信頼して好き勝手やっていいのかもしれない。
カオスが占める割合が極端に大きいと制御しようとする力が強まり過ぎてしまう。程よいカオスであればそこから秩序が始まる。
ゆるコンピュータ科学ラジオ「コンピュータはなぜ動くのか、2時間で原理を理解する」 動画を再生するような一見計算とは無関係に見える動作も、実際は異常な計算回数、量をこなすことで質的に違うものに見えているに過ぎないということ。この膨大な量→質的変化の流れはすごいしっくりくる。