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映画、本、マンガとか

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『パーフェクト・デイズ』
間主観な関係から適度に距離をとって、もっと世界を眼差してもいい、そういう楽しみだってあるって安心した。

一方で、普段は自然と笑みがこぼれていた平山が、最後の場面ではどこか覚悟を決めて笑っているかのような表情を浮かべていたのが印象的だった。

『野獣死すべし』
狂気を宿した、というより狂気が松田優作にふれたみたいな。そんな感じだった。細長い手足と、奇妙に首を傾げた姿がとても人間とは思えない佇まいだった。

『卒業』(1967)
ともすればストーカーとも思われかねないベンのエレインへの固執ぶりは、方法はわからないけどなんとか現状から抜け出そうともがこうとする意志の表れのように見えた。

『ミスター・ノーバディ』(2009)
最後、老人ニモが「アナ」とつぶやいたのがひっかかる。少年の想像の世界にいた可能性を秘めたままの何者でもない存在としてのニモが、少年がある人生を選び取ることを決断したことでその人生が現実化して「誰か」になれたことを表しているように見える。

現実でも、自分にとって不都合なものを無意識に排除してしまったり、自分のための物語に収斂させてる部分はあると思う。しょうがない部分はあるけど。

『桐島部活やめるってよ』
登場人物たちが設定しちゃっている空間・世界に、そこにいないはずの人たちが侵入してくる。それこそ映画の撮影中に邪魔が入ってしまうような、話として消化不全で終わってしまう。でも同じ時間を異なる視点から撮り直すことで、中心−周縁の関係が徐々に相対化されていく。

直後のウテナにディオスの力が降りてくるシーンとか、まさに奇跡が降ってくることの象徴っぽい

ウテナ29話「空より淡き瑠璃色の」

7話の樹璃とウテナとの決闘をトレース?したような瑠果と樹璃との決闘。瑠果(樹璃)-樹璃(ウテナ)という関係性を考えると、「自分に降ってきた奇跡が〜」というセリフは、枝織のことを言及しながら、間接的にウテナにも向けられたものだったように感じる。

『太陽がいっぱい』
落ち着いたトーンでフィリップに殺す目論みを伝えてそのまま実行したのが怖いくらい純粋だった。

フレディを殺した後、部屋の窓から子どもたちが遊んでいるのを見下ろすトム。どこかから流れてくるピアノの音。残酷なまでに穏やかな昼下りに独り佇むトムの姿が忘れられない。

『遊びの時間は終らない』
銃を撃つときでさえ「バン!」と恥ずかしげもなく叫ぶ平田。ある仮定された状況にどれだけノることができるか。メタな視点をあえて失うということ。

平田コールを聞くうちに若干キマってくるような表情がすごかった。

『シコふんじゃった。』
弱小チームが努力して強豪に勝つみたいなスポ根ドラマの路線に安易に走ってないのがよかった。どことなくあだち充作品と同じ雰囲気を感じる。終始ゆるい音楽が流れていて気持ちよかった。

『少女革命ウテナ』19-21話。話がまとまったようでどこか後味の悪さが残るサブキャラ回。その後味の悪さは、彼女たちの中に眠るどす黒い感情と折り合いをつけながらこの後も変わらず生活を送っていくことを示唆しているように思う。

外部が二人に立ち入りすぎないことでより二人の間の強い関係性が強調されてるように映る。

「フレームの周囲には必ず死が潜んでいる」と監督がインタビューで答えていたように、本当にどこで死んでもおかしくないと思うシーンが多々あった。もしかしたら雨の中自転車で走ってる途中にトリが事故に遭うかもみたいな。その世界線と最後のシーンとが等価値のように思ってしまう。