Mayu Takeuchi / 竹内麻優

ピアノを弾きます。ドイツ国立Hochschule für Musik und Thea…

Mayu Takeuchi / 竹内麻優

ピアノを弾きます。ドイツ国立Hochschule für Musik und Theater Hamburg にて演奏修士を取得。2023年秋より再び日本を拠点に活動を開始。日々感じる心の機微を書き留めてみたいと思いときどきここにいます。

最近の記事

逆カルチャーショック

逆カルチャーショックというもの、個人的には外国に出るとき(いわゆるカルチャーショック)よりも重い気がする。 生き抜けるよう、相手にされるよう必死に外地で学んできたことを、自国で、思ってもみなかった方向に驚かれるとき...自身は視野が広がった成長のような喜びすら持っているから、余計にかなり悲しいショックを受ける。 私の場合、(良し悪しではありません) ①日本では少なからずジャーマナイズされた思考と行動を取る、ちょっと不思議な人と言われ始めたり(それを当然と受け取ってくださ

    • 【追想シリーズ】 叶わないから恋しい??

      ドイツに住んでいるとき、日本の食べ物は夢の中のもの。お豆腐、納豆、抹茶味の飴ちゃん。焙じ茶と愛しきカルピス。お醤油を少し垂らしてわさびを混ぜて、お寿司の気分。ホッとする瞬間でした。 食事という行動がうまくできずに好きでなかった時期も、時々日本の食材に惹かれることはあり、どうしてだろうと考えた。慣れ親しんだ味や思い出の優しい影響に加えて、叶わないから、というのも大きいのかしらと思った。 手に届くようになると段々と当たり前のように感じてしまうもの。当たり前と感じられる(=叶っ

      • 本番の種類というもの??

        noteの順序は飛び飛びですが…現在のお話を更新します。始めに申しますが駄文です。 先週末は初めて #100万人のクラシックライブ さんで演奏させていただきました。 この数年、特に2023年は私自身言葉通りに人生の掛かった本番の比率が圧倒的に多く、それはいつも、音楽のことは中心に考えながらもどうしても1マクロ、0.1秒が人生に取り返しのつかないものを生み兼ねない現場であり、繊細で重い緊張に独り立ち向かう場所でした。特にドイツのシステムは1発の試験の点数が人生で選べる道に完

        • 【追想シリーズ】 演奏会の再開 〜ついに留学の醍醐味を〜 (2021)

          2021年6月。 1年以上続いたロックダウン、演奏会の公開中止を経て、ついに演奏を聴く機会が(弾く機会も)再開した。本拠地の音を聴きたくて留学した面もある私にとって、とても大きなニュースだった。祖母の死を機に(渡航者隔離の関係で参列できなかったけれど)コロナ禍で初めて日本に飛び、(この世の終わりかというくらい泣きながらに)ドイツへ戻って、知っている道を目の前に「留学の第二弾が始まった」と感じた、ちょうどその頃。 「アルゲリッチ・フェスティバル」の公演たちが幕を開けた。当時は

        逆カルチャーショック

          かさぶた

          生きていると、特に独りじゃ無いと、生活の中でいろいろな声をかけられて、細かく傷ついていくこともある。独りじゃ無いという有難いことに。そんな細かい傷の上に、重なれば重なるほどかさぶたがいっぱいできていく。 かさぶたなんて無い方が綺麗だし、凹凸無く物事を受け止められる。まっさらに、真正面から受け止められれば、いつでも人のためにそこに居られるような気がして安心する。心地よいし、傷は傷のままでいてくれた方が痛みもわかって良いのに、と思う。鈍感になりたく無いよ、と叫ぶ。 それなのに

          自分とは

          もし世界に私しかいなかったら、その身体と精神はただの現象に過ぎなくて、 他人と接することで初めて“自分“が生まれるのだろうなあ。 上空からハンブルクの街を見て、そんなことを思った。星の近い夜空から降りれば、数々の光の灯る大きな街。知っている建物も探しながら、世界の都市のひとつ、歴史が紡がれて来たのだなあと眺め入る。 自身の中にドイツという要素がどのようにどのくらいあるのかを考えたとき、この不確実さは自分が誰なのかわからなくなる感覚と似ているなあと感じた。写真を見て、誰だろ

          【追想シリーズ】 引っ越し in Hamburg (2021)

          渡独して最初に住んだお家。 幸運にも建物に先輩方がいらして、大学から近くて、大安心。家賃もお安く、何より、家の見つからないドイツで、見つかったということがラッキーだった。 ただ、小さな屋根裏部屋であったそこは、大きく3歩歩けば隅から隅まで移動できてしまって、背伸びをすれば天井に当たる小さな空間。安心するけれど感情も閉ざしやすい。そこに対人禁止令と、寝返りを打つこともできない2年半で、少しずつやられていきました。決定打は、外に出ることにもの凄く大きな精神力が必要となったこと。家

          【追想シリーズ】 引っ越し in Hamburg (2021)

          お久しぶりです。 aus Japan

          Note をご覧くださっていらした方々、お久しぶりです。前回の更新から3年近く経っていました。知らぬ間に、1ヶ月前から日本在住です。 (先日、こちらの投稿に先駆けて下書き分のみ復活させてしまいました。) こちらのアカウントを始めてほんの数回で大休止に入ってしまい、御免なさい。 申し訳無さを端に置いて書きますと、言葉を纏めたくない時期に身を任せておりました。 自己の内側に向かい、9割方は精神を沈める、そんな書く行為に心を埋めれば、足が抜けなくなることもある。それは良い面も

          お久しぶりです。 aus Japan

          【追想シリーズ】 「アートは仕事だ」ードイツの様子から (2020)

          「アートは仕事である!」 2週間前、ドイツ全土での再ロックダウン(ライト)が決まった際に芸術を仕事とする人々が叫んだ。危険性が指摘されていないであろう全劇場が「娯楽は我慢しろ!」と閉鎖されたのだ。 それを聞いたとき、 確かに提供側の生活も掛かる中、娯楽と一掃され皺寄せのようにのし掛かることは問題だが、『娯楽』という言葉に反抗する(ように見えた)のもどうなのかと、 みな必死に全神経、精神を注ぎ込み『娯楽』を生み出すことに命を削り続けているのに、不思議な感覚だなあと、 少し

          【追想シリーズ】 「アートは仕事だ」ードイツの様子から (2020)

          【追想シリーズ】 その5秒に心を解かされる (2020)

          唯一の会話は途切れ途切れのネット上。 外に出ると家族連れがパン屋に並んでいて、羨ましくて泣いた。 そんな夏の日々、言葉を交わすようになったのは、大学の守衛さん。 彼に初めてお会いしたときは少し怖く、厳しい印象が強く残っていたけれど、練習室に通う毎日の中でお会いするようになり、毎朝毎晩声をかけてくださった。 ほんの、 「おはよう」「どのお部屋?」「調子はどう?」 短い会話ではあるのだけれども、誰かと声を交わせられることが嬉しくて。 その夏以降お会いすることは減ってしまったけ

          【追想シリーズ】 その5秒に心を解かされる (2020)

          【追想シリーズ】 初めてドイツでの国際コンクールを受けて🎹 (2020)

          ※当時のメモを元に書き直しており、現在感じていることとは違うことも一部記してあります。(写真はベルリンにて準備した際のもの) 2020年8月末、コロナの流行が一瞬落ち着いたころ、初めてドイツでコンクールを受けていた。会場は偶然にも普段勉強していた大学であり、アクセスや練習室など、慣れた環境だった。 それまで国際色豊かなコンクールを受けたことのなかった私にとって、日本人はただひとり、世界各国から来たピアニストたちと場を共にするのは初めての経験。 結論を言うと、準備の不十分さ

          【追想シリーズ】 初めてドイツでの国際コンクールを受けて🎹 (2020)

          【追想シリーズ】 ピアノ弾き修行中の学生が、2か月振りに「ピアノ」を弾いた話 (2020) その②

          録音をした。 準備の期間の殆どを占めていた相棒である、電子ピアノとエアピアノ。加えて机に向かうことでできること、それらすべて100%、ピアノがしっかり弾ける環境(でも出来ていなかったのでそれ)以上に勉強しなきゃいけないと思う。そして全ての時間を費やして必死に向かった。 しかしいざホールで弾くと、ピアノという楽器を弾くことができなさすぎて、唖然とした。正直気づいていなかった現実を、打ち付けられた感覚。楽器を鳴らせないという感覚が体に染み付いて、わからなくなった。 今に始ま

          【追想シリーズ】 ピアノ弾き修行中の学生が、2か月振りに「ピアノ」を弾いた話 (2020) その②

          【追想シリーズ】 ピアノ弾き修行中の学生が、2か月振りに「ピアノ」を弾いた話 (2020) その①

          2020年5月に書き留めたメモが下書きに残っておりました。いまはあまり鮮明に思い出すことのできない感覚を書いていたようで、せっかくなので日の目を。(この頃には気付かなかったけれど既に壊れて行っていた時期。思い返すと強く心が痛む。流石に少し読み易く手を加えて、内容はスッキリしています。) 半分初めてで、半分知っている街だった。 突然始まったロックダウンから2ヶ月、立てば頭の天井にぶつかる12㎡の小さな屋根裏部屋から、久しぶりに出て大学に行った。 建物は知っているけれど、景色

          【追想シリーズ】 ピアノ弾き修行中の学生が、2か月振りに「ピアノ」を弾いた話 (2020) その①

          「自身を知る=ひとり対峙する」では、無い。

          今日からドイツは第2次の強ロックダウン。昨日までの弱に比べれば厳しいものの、春に行われた第1次よりもあらゆる面におき規制は緩い。しかし、この10か月の積もり積もった重みの先、深くのしかかるものがある。 さて、人はよく「独りの時間は自己と向き合うチャンスである」と言う。確かに黙々と自己と対峙することは、己を感じ、知るため、必要不可欠であろう。そしてそのように「精神を鍛練する」という面もあるだろう。(修行僧と聞くと「独り黙々と己に向き合い続ける」姿を想像する。実際のところは知ら

          「自身を知る=ひとり対峙する」では、無い。

          記憶は保存されていく②-再勉強する曲の難しさ

          記憶は良いものも良くないものも保存されるー前回そう書いたが、そこに関し常々感じるものは、既に一度なり複数回なり勉強した作品を再び取り上げることの難しさ(そして面白さ)である。 新たな作品に取り組むことに並び非常に面白い、そして必要不可欠ともいえるような勉強が、「作品を勉強しては寝かせる」ことである。(言い切ってみたが、その重要性を以前は今ほど感じられていなかったし、現在も未だきちんと実行できているとは言い難い。) 当然一度勉強していれば少なからずの情報は入っているし、勉強

          記憶は保存されていく②-再勉強する曲の難しさ

          記憶は保存されていく①-「質」を考える

          「面白いことにね、記憶というのは全てspeichern(保存)されていくんだよ。そこには残念ながら、良いもの/そうでないもの、というフィルターは無い。」 先日伺ったこの話に、妙に納得してしまった。記憶の仕組みについて無知であるし、100%というものは存在しないと常に考えるが、感覚としてどこか腑に落ちて、安心もした。 人それぞれきっと、大切で仕方なくて失うことが怖い記憶も、反対に忘れたくて仕方のないことも、様々あるだろう。そのように分類されない、特に考えることも無い僅かな動

          記憶は保存されていく①-「質」を考える