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【追想シリーズ】 「アートは仕事だ」ードイツの様子から (2020)

こんにちは。まだ昔の下書きから投稿しています。ごめんなさい。“(2020)“なんて付くのは、この投稿がラストである予定です。
忘れつつある当時の思考、それもそれで読めることに意味があるような、ないような。



「アートは仕事である!」

2週間前、ドイツ全土での再ロックダウン(ライト)が決まった際に芸術を仕事とする人々が叫んだ。危険性が指摘されていないであろう全劇場が「娯楽は我慢しろ!」と閉鎖されたのだ。

すみません。出典薄いです。

それを聞いたとき、
確かに提供側の生活も掛かる中、娯楽と一掃され皺寄せのようにのし掛かることは問題だが、『娯楽』という言葉に反抗する(ように見えた)のもどうなのかと、
みな必死に全神経、精神を注ぎ込み『娯楽』を生み出すことに命を削り続けているのに、不思議な感覚だなあと、
少し遠目から見てしまった自分がいた。


しかしその後、用事で久しぶりに街を歩いたとき。至る所にできていた数百人の人集り、賑わうデパート。ロックダウン、飲食や音楽のダメージ、首相の言葉から想像した緊迫とあまりにも異なる様子に、拍子抜けした。あれ?変わりないのになぜ一部の仕事は制限されているの?と。

娯楽は大切なもの。食事での栄養摂取とは別物でも、生きる事に/精神の栄養に欠かせないもの。音楽も、人と話すことも、お買い物も、誰かとの食事も、かけがえのない『娯楽』を守るためには、人はなにをすべきなのか。



未だ緊張感が無いと言えば嘘になるけれども、人々が外に出て楽しめるようになった現在の様子。振り返ると、その有り難さと嬉しさが身にしみますし、意味というものは、失ったときだけにわかるものではなくて、そこにあるときにわかるものだと信じたいです。

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