「自身を知る=ひとり対峙する」では、無い。

今日からドイツは第2次の強ロックダウン。昨日までの弱に比べれば厳しいものの、春に行われた第1次よりもあらゆる面におき規制は緩い。しかし、この10か月の積もり積もった重みの先、深くのしかかるものがある。

さて、人はよく「独りの時間は自己と向き合うチャンスである」と言う。確かに黙々と自己と対峙することは、己を感じ、知るため、必要不可欠であろう。そしてそのように「精神を鍛練する」という面もあるだろう。(修行僧と聞くと「独り黙々と己に向き合い続ける」姿を想像する。実際のところは知らないのだが。)

しかし同時に感じることは、「自己」は「自身でない他の人」と関わることにより形成され、発見する、ということだ。

春にしっかり1か月、(電話こそしたものの)ひたすらに12㎡の空間に籠りきることとなったが、誰の姿も目にせず、人間と言えば自身しか感じられない中で、自己への縛りと拘りだけがエスカレートし、その先に感情を手に感じられない「無」に恐ろしく近づいたことが記憶に新しい。その後すこしずつ人と同じ空間に身を置いたり、ピアノという楽器の振動と会話することが可能な状況になると、非常に時間を掛けて、しかし確実に自身が人間であることを感じることが増え、そして驚くほど「発見」する瞬間があった。ーこの変化の経験も発見かもしれないが。

独りでいることと人と関わること、そのバランスの必要性は人それぞれであろう。しかし他の誰かと関わることはきっと確かに自身を成長させ、「知る」ことに繋がる。

そう感じながら、これまで関わってきてくださった方々、生命を吹き込んでくださってきた方々に改めて感謝してやまない。


16.12.2020


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