記憶は保存されていく①-「質」を考える

「面白いことにね、記憶というのは全てspeichern(保存)されていくんだよ。そこには残念ながら、良いもの/そうでないもの、というフィルターは無い。」

先日伺ったこの話に、妙に納得してしまった。記憶の仕組みについて無知であるし、100%というものは存在しないと常に考えるが、感覚としてどこか腑に落ちて、安心もした。

人それぞれきっと、大切で仕方なくて失うことが怖い記憶も、反対に忘れたくて仕方のないことも、様々あるだろう。そのように分類されない、特に考えることも無い僅かな動きも含めて、起きたことが本当に消えて無くなってしまうということは無いのかもしれない。もし消えるならば、それは最初から存在しているようでしていなかった、ということかしら。もしも先々1度も手に取り直したと感じることが無かったとしても、脳のどこかには存在しているのだろう(と思う)。

さて、何が言いたいかというと、勉強の「質」を大切にということ。ありふれた言葉だが改めて、質の影響は想像以上に大きい。

良い質のものが本当に栄養になっていくことに対して、「良くない」動作、耳の使い方、意識の用い方は、それが僅かな時間のことだとしても、確実に記憶されてしまう。そうしたら今度は悪い記憶を塗り替えるための練習が必要になる。

もちろん質は成長していきたいもの、特にわたしに於いてはまだ「良い」使い方が(残念ながら)できないわけで、非常に難しいことではあるのだけれども、それでも今自身にできる最良の状態を常に注意して勉強すべきである。昔言われた「良くない練習を2時間するよりも良い練習を10分するほうが遥にマシ」という言葉を思い出す。(良い練習をできるまでが大前提で、それをコツコツと積み重ねている人々が周囲にたくさんいるのは明白。)

更に世の中には気づいても避けることの難しい良くないもの、も溢れている。しかし自らつくることのできる「質」には意識していたいものである。

そしてきっとそれは、食、ものをみる目、感覚、文字の書き方や言葉遣い、日々の暮らし方、人との接し方..すべてに当てはまるように感じる。良い/良くない、そう(目指す方向に合わせてなのか)感じ判断する力もまた即興的にできるものでは無いだろうが、日々磨き、丁寧に生きたいものである。

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