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【追想シリーズ】 ピアノ弾き修行中の学生が、2か月振りに「ピアノ」を弾いた話 (2020) その①

ご無沙汰しております。

2020年5月に書き留めたメモが下書きに残っておりました。いまはあまり鮮明に思い出すことのできない感覚を書いていたようで、せっかくなので日の目を。(この頃には気付かなかったけれど既に壊れて行っていた時期。思い返すと強く心が痛む。流石に少し読み易く手を加えて、内容はスッキリしています。)



半分初めてで、半分知っている街だった。

突然始まったロックダウンから2ヶ月、立てば頭の天井にぶつかる12㎡の小さな屋根裏部屋から、久しぶりに出て大学に行った。
建物は知っているけれど、景色は違うし匂いも違う、同じ建物でも違う色に見える。

でもなにも変わっていない。
昨日も歩いたような感覚。

そんな通学路を進み、2ヶ月ぶりのピアノに会った。

これだけピアノに触ることが許されなかった日々も珍しい(といい)かなと思って、ゆっくりと少しずつ会話しようと思っていたけれど、つい色々弾いてしまう。

メカニックに直結した楽器なんだなあ。音作りが難しい。特にゆっくり響かせるとよく分かる。

楽器の1番奥先の方までが身体と一体になるような、身体の一部のような感覚に、久しぶりに、自分が生き物だということを感じた。ほんとうに僅かな僅かな動きで、筋肉のほんの少しの使い方の違いで、全身の連動のさせ方のほんの僅かな違いで、まるで違う音が出るので、良い意味でも何となく弾くことができなくなった。

ずっと電子ピアノで浚っていた身体は、神経系、スピードならば悪くないけれども、筋肉が落ちに落ちて10秒と持たない。(腹筋は割ったのに!) そして、電子ピアノでの練習のみになると、残念ながら自分が正しい身体の使い方をしているのか音で確認することができなかったこと、そして良い音を聴きたくて音楽しているという面もある(と気づいた)ため音楽するモチベーションを保つのがとても難しかったこと。幾らすべきことを、したいことを想像してから楽器に向かおうと思っても、楽器から得るアイデアはとめどないもので、それが無いのは難しいことと痛感する。

打ちのめされながらも、元々少ない以前と比べても僅かながらも、生のピアノの出す音はあまりにも幅が広くて何を弾いても泣きそうになった。

帰り道、この世の中だけれども、冬の真っ暗だった頃に比べて、または練習室に同じくあらゆる場所や規制が少しだけ開放されたからなのかわからないけれど、人々がちょっと明るくなったように感じた。丁寧に少しずつ、と声に出す。


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