記憶は保存されていく②-再勉強する曲の難しさ

記憶は良いものも良くないものも保存されるー前回そう書いたが、そこに関し常々感じるものは、既に一度なり複数回なり勉強した作品を再び取り上げることの難しさ(そして面白さ)である。

新たな作品に取り組むことに並び非常に面白い、そして必要不可欠ともいえるような勉強が、「作品を勉強しては寝かせる」ことである。(言い切ってみたが、その重要性を以前は今ほど感じられていなかったし、現在も未だきちんと実行できているとは言い難い。)

当然一度勉強していれば少なからずの情報は入っているし、勉強の度合いに依るが或る程度の段階から新たに高みを目指すことができるが故に、例えば本番までの計画に於いてハードルを低く見てしまうことがある。しかしそこには危険性もいっぱい。

慣れた物事は、ふと気づけば丁寧さが抜けていたり、疑いの味方が薄れてしまうことがある。それは同時に広く新しい視野をもたらすので、興味深くもあるが、注意が必要だ。そして(日々誠心誠意に磨き続ける中で望みたい)成長の先にある「今」から見て勉強した当時、「成長前」のデータが蘇ってしまうことがまた面白い。例えば体の使い方を見ても耳の使い方も、時を経て引き出しを開けてみると、不思議なことに更新前のデータが数珠つなぎのように一緒に引き出されるー昔の扉が開かれるのである。

それらのことによく気づき、精査し組みなおすことは、新曲の勉強と同じくらい、或いはさらに忍耐と工夫が必要なのではないか、とこの頃よく思う。無論そのプロセスを経て初めてまたひとつ作品を深く掘っていけることは言うまでもない。

偉そうに書いてしまって自身は未だに、だがどうにか常に深化を目指していたいものである。


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