本番の種類というもの??

noteの順序は飛び飛びですが…現在のお話を更新します。始めに申しますが駄文です。

先週末は初めて #100万人のクラシックライブ さんで演奏させていただきました。

この数年、特に2023年は私自身言葉通りに人生の掛かった本番の比率が圧倒的に多く、それはいつも、音楽のことは中心に考えながらもどうしても1マクロ、0.1秒が人生に取り返しのつかないものを生み兼ねない現場であり、繊細で重い緊張に独り立ち向かう場所でした。特にドイツのシステムは1発の試験の点数が人生で選べる道に完全に影響するということもあり、加えていただいた演奏会もどうしても毎回が人生のオーディションであることを感じてしまうもの。
そこに日頃のレッスンの震え上がる方向の(笑)厳しさが重なり、楽しむということは難しかった毎日でした。学生という感じなのでしょうか。(もっともっと常にトップレベルに厳しく戦い続けている人たちはいるのに何をわたしは言っているのかと思いながら、ここで比べることはやめます。)

そのような先で、今回のように共演者と舞台に立ち、緩やかな雰囲気のある本番は久方ぶりでした。お客さまと実際に会話もしながら真剣にお届けすること、ピアノ弾きも正面を向いてお客さまの顔が見えること、そこに点数や成績、批評家の記事があるものではなくて、ただ目の前にいらっしゃるお客様のためだけの時間。新鮮です。

しかし、舞台の性質こそ変われど同じなのだなあと思ったことがあります。

いつ何時も一期一会であること、ただただ真剣に音楽に対し人に対し誠実でありたいこと、聴いてくださる方々の存在で初めて演奏が演奏となり得ることと、常に演者が音楽そのものに対して、その場にいらっしゃる方の時間や人生に対して、そして音楽の未来に対しても、その先に人類の未来に対しても(壮大に書き過ぎましたか…?) 大きな責任を持っていること。

いま、継続と共に手探りながら新しいチャレンジも始めていますが、必ずその初心を、中心を忘れずに頑張りたいと思います。

いつも教えてくださる方々に、話を聞いたり存在で心を戻してくださる方々に、気づかせてくださる機会に、感謝しかありません。ありがとうございます。

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