50 解決しようとしない
昨年(2023年兎年🐰)の1月23日、長年たいせつに使っていたお気に入りのうさぎ🐰モチーフの置き時計が落下、壊れた。日付もタイミングも状況も、それ意外考えられないというほどのサインを受け取り、同時に重要なお知らせだと確信した。
その年の春、自分のエネルギー状態が変わってしまった。同じく夏、私の人生から「時間は流れている」という概念が消えた。
どーやら、その答えはこうだ。人は、肉体よりも魂が優位になると「時間の流れが消え去る」らしい。
以降、私はそれを体感として味わっている。言葉にすると「ずっと今が続いている」と言えばいいのかな…。あまりうまく言葉にできない。。
その証拠に、2023年の12月末にある人から「今年もあっという間に終わっちゃいましたねー。」と同意を求められた時、頷けない自分に気づいた。
私の2023年は、毎日発見があり濃かった。
生きるのがたのしくなって、目に映る景色は輝いていたし、ココロのパレットには好きな色だけが乗っかっていた。時間の経過を感じることなく、常に「今」のことしか頭に留めておくことができなかったのだ。だから“あっという間に終わった”という認識は無い。
あっという間に時が過ぎ、記憶に残らない毎日を送っているというのは黄色信号だと思う。私も経験がある。それは、“今”ではなく「過去を生きている」か「未来にばかり意識が飛んでいる」時だった。
今のことだけ考えていると時間を認識しなくなる。
いや…、時間が無くなったから今しか味わえなくなったのかな…。最近、またも過去味わった感情たちを思い出すのが困難になってきた。
*
前置きが長くなったけど、、今日の記事はつい昨日私の身に起こったこと。
私にとっては「2023年兎年の1月23日にうさぎ🐰の置き時計が壊れた」のに匹敵する出来事だったので記録に残しておこうと思う。昨日は、奇しくも1年前と同じ1月23日。
あぁ、不思議🙄。
さてさて、、
今日もいつもの整骨院でカラダメンテ。
私にしてはめずらしく早歩きで最寄り駅から徒歩20分の距離をぐんぐん攻めていた。
今日も絶好調٩( ᐛ )و✨
その日の気分や、立ち寄る場所の有無によってコロコロとルートを変えている私。
最短距離の騒がしいエリアを通過したり、商店街を通り抜けたり、住宅街を経由してぼーっと道草しながら歩いたりする。今日は気がつくと、銀行ATM経由→住宅街コースだった。
一戸建てやアパート、歯科医院やドラッグストアもある。一定間隔で植木があるのに、幹と枝だけなこともあって何という木なのかは私にはサッパリ分からない。片側一方通行の車道の両脇には人がすれ違える程の歩道がある。
大好きな音楽をワイヤレスイヤホンで楽しみながら
前方を眺めぼーっと歩く。
すると何気なく送る視線の10mほど先で、おばあさん👵が直立不動のまま後頭部から勢いよくスーッと倒れた。起き上がる様子がない。危ない倒れ方だと思った。ココロは焦るけど私の頭は意外に冷静だった。車が来ないことを確かめておばあさんに近づく。
ちなみに、私はこーゆー場面に出くわすことが多く、なぜか一部始終を目撃している。丁度、車載搭載カメラが事故発生の数秒前から録画を開始するように、いつも転倒数秒前からの一部始終を私の脳は記録している。
劇場で案内業務に従事している時も「目の前で人が倒れる」頻度は、同僚のそれとは比べ物にならないくらい多かった。ホントに不思議。起こる事象は毎回異なるからある程度は驚くけど、この“直前に見つける感覚”には流石に慣れてきた。
😃「どこか痛いとこありますか?」
👵「右手が・・・」
😃「つまづいたんですか??」
👵「いや…体を支えきれなくて・・・」
お話はできるみたいで安心した。
目立ったケガは無いけど頭を打ったように見えたから、隣りにいたオトモダチらしきおばあさん👵と相談の上、救急車🚑を呼ぶことにした。
私は救急隊員と電話で話しながら状況を説明したり、おばあさん👵とも同時並行で会話。そーこーしてる間に、さらにもう一人オトモダチのおばあさん👵も現れたりして大忙しだった。
救急車の要請を済ませ、仰向けで道路に寝転んだままのおばあさん👵と話していたら、オトモダチのおばあさんが「予定だいじょうぶ?」と私に尋ねてくれた。
「整骨院…間に合わないな…🙄」
ふと自分のことが意識にのぼった。確か遅刻したらキャンセル扱いになったっけ…。いや…、全額だったか半額だったか支払わなくてはならない。。
ちーーん😥
でも、そーゆーキッチリした整骨院だからこそ私は気に入っている。それが施術にも客層にも反映しているから😌
時計を見ると9時50分。今から歩き出しても間に合わない。仕方ないか…。今日は諦めよう😃
10時予約の整骨院に連絡し「救急車🚑が来るまで残るので遅れます」と言うと、予期せぬ返答が。
「10:30が空いてるのでそのままスライド
しましょう。10:30なら間に合いそうですか?」
「✨✨え・・・(*´艸`*)♥✨✨
いーんですか?助かります!
それなら間に合います😍!!」
救急車🚑が到着して、担架に乗せられたおばあさん👵とオトモダチのおばあさん、救急隊員にご挨拶して見送り、その場を後にした。
ふぅ~。とりあえずこれで私はお役御免。
歩きながら、ふと考える🙄。
そー言えば前回の整骨院のお会計時。今日の予約を取る時、受付で「10:00と10:30が空いてます。どちらにします?」と言われたのを思い出した。私はいつも10:30なのに、なぜか10時にした。そしてなぜか今日まで10:30の枠も空いたまま。
それになぜかあのタイミングであの道を通った。。不思議🙄
***
この地球では、人と人とが織り成す“ご縁”の糸は本当に完璧。必要なキャストは必然で配置される。それに、その場に居合わせた全員にとって最適解をもたらす。
「倒れたおばあさん👵は災難じゃないか」とか 「整骨院に迷惑じゃないか」など、、一見すると、現時点においてはマイナス要素も見て取れるかもしれないけど、未来に立って振り返ると必ず完璧なタイミングで全てが起こるべくして起こっていることが分かるはず。
“全員にとって最適解”というのは、例えば「悪事がバレる」「痛い目を見る」「病気が発覚する」とかいうのも含まれる。なので、最適解だからと言って皆が「心地良い」かと言うとそうでないことも多い。
それが以前、私が記事の中で話した…
【“地球観念”で生きる者にとっては「天罰」として、“宇宙観念”で生きる者にとっては「おくりもの」として届く】という現象なのだ。
その記事はコチラ↓↓
倒れたおばあさん👵の視点で見るとすごく分かりやすい。おそらくこの日、おばあさん👵の人生劇場において、アユミは「救急車を呼ぶ人物」としてキャスティングされたに過ぎない。…と現時点で私はそう思っている。
アユミの人生劇場から見ると、特に(この世的な価値観で言うと)良いことでもないし悪いことでもない。でも、実はもう少し先の未来ではさらに異なる出来事として意味を持つことになるかもしれない。。
それは多分、今の私には分からない😌(…と思う。)
突発的なアクシデントやトラブルに遭遇することって日常で起こり得る。そーゆー時「解決しようとしない」というのは大事だと思う。他のあらゆる事象も同じ。
この日で言うと、私は目の前で起こった出来事に対して心のままに行動する。すると整骨院の予約には間に合わなくなる。でも“連絡を入れる”という最低限の対処をする。
ここで、私という人間の稚拙な頭で思考して事態を掻き回すと、川の水は変な渦を作る。停滞し、濁り、事態が複雑になったり、今より揉めたり、あらぬ方向へ流れていってしまう。
かつて、どーにかしようと画策しながら右往左往することによって、“あがく”私がいた。 川の水(物事)が流れたい方向に流れさせてやることができなかった。できないばかりか、その川の流れに逆らって泳いでみたり、上流からカヌーが来たので良かれと思って波を起こしてみたらカヌーは転覆し大事故。みたいなこともあった。
「ただ流れを見て、乗る。」
これが以前は分からなかったー😰💦
目の前で起こる出来事に対して自分のやれることは全部尽くして、あとは流れに身を任せる。すると、なぜか収まるべきところに収まる。この日(2024年1月23日)遭遇した出来事で、改めてそんな事を思った。
これは私にとって大きなメッセージだった。
1月に起こることは、今年1年を象徴する出来事だとも言われる。
私の2024年が始まった✊
さぁ…、どーなることやら(*//艸//)♡
今年もキラピカな1年になりますように✴️
Ayumi☽