#幸運な病のレシピ
父と暮らす:認知症は幸せなのかもしれない。「記憶が失われること」と「心が狂うこと」とは違う。自分を知っている人がいなくなるという孤独。心を狂わせない食事。
年取って辛いことはなんだと聞かれた老人が「若い頃を覚えていることだ」と映画「ストレイト・ストーリー」で主人公が応える。
なぜ、老人にとって記憶が失われることが悪いことなのだろうか?
僕は悪いことではないと思う。もう十分頑張ったのだ。静かに暮らすことがふさわしいじゃないか。
人が覚えている必要のないこと(覚えていると都合の悪いこと)を忘れるのは当たり前の反応なのだと考えるほうが良い。黒歴史は忘
父と暮らす:妻との諍いの50%は両親、25%は子供、残りは僕の給料のやすさ。新しい「家政学」
両親と顔を合わせれば、子供いつ出来るかとそんな話題になった。次男が生まれるの時は僕が独立て間もなくて、2人目の子供はいらないと言った。妻は僕の両親と10年話をしなかった。こういう話はよく聞く。
チョット考えてっもらいたい。もし、「年金を払っていない人」がいたらどう思う?父母の世代は子供が老後の世話をしてくれたのだ。つまり子供の数は今で言えば年金の加入と同じなのだ。いやもっと重要だった。
僕らは
父と暮らす:2014年の父母との和解
家族で共に生きるとは、変わってしまったお互いの間で新しい関係を築き、ともに生きること。
この頃から、母の具合は悪くなり、大変な時期になる。何種類もの薬を処方され(数年前からであった)、身体の状態は悪くなっていく。自分では料理を作れなくなり、一緒に話をしていても昨日まで覚えていたことを忘れる、何度も鍋を焦がした、風呂もわかせない。毎日着替えを探す。ほぼ毎日つきっきりで暮らすことになる。父は車の運転
父と暮らす:最後の日々
いずれ生命は死を迎えます。しかし、その死の迎え方はこの80年で大きく変わったと言えるでしょう。
2020年3月に父を看取りました。91歳でした。母が2016年になくなってから、毎日父の食事を作りました。なんとか認知症(自分を見失う状態)にならないでもらいたいと思い食事を作り続けました。今の僕の食事はこの5年間の父の食事の延長にあります。
最後の1ヶ月は背骨の圧迫骨折で動けなくなり、ベッドで過ご