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ポスターから見えた日本のステレオ社会
先日、久しぶりに駅前の家電量販店へ足を運んだ。そこは酒類も数多く取り揃えてあるから、日本酒が飲みたくなったときに手軽に買えると思い、これまでにも何度か訪れている。
お会計のためレジで並んで待っていたときのことである。ふとあるポスターが目に入ってきた。そこに書かれてあった文言が気になりしばらく考え込んでしまった。
「コロナに負けるな」「コロナに打ち勝て」
どこかで聞いたことのあるような
米抗議デモから見えてくるもの
6月に入ってからというもの急に蒸し暑くなった。身体にまとわりつくようなじめっとした肌ざわりが早くも真夏の到来を予兆させるかのようである。おまけに季節柄には合わぬマスクをつけての外出にもうんざりしている。顔はもはや蒸しパン状態。背中をしたたる汗は例年以上であるから脱水の兆候にも例年以上に注意しなければならない。
アメリカでは過去数十年で見たことのない規模のデモが繰り広げられている。ミネソタ州ミネア
空疎なイメージビデオとは一線を画するアーティストの言葉
小欄は一週間ぶりのご無沙汰である。何を書こうにも思い浮かぶのはコロナの話題ばかり。頭の中を覆うコロナ災禍に平常ではない心の絵模様を重ね合わせながら、一体いつの時代を生きているのかという時代錯誤を感じずにはいられない。とっくの昔から政権の愚策を見抜いてきたつもりであるが、今はそんなことを考えるのもあほらしいと思えてしまうくらいにどこもかしこも感覚が鈍麻してきたような気がする。おそらく私だけではないだ
もっとみる目で見た街の様子、人の様子
緊急事態宣言の発出から最初の休養日を迎えた。今日は日中、銀行に寄ってその後スーパーに買い物に行った。
銀行に着くと訪れた人たちが皆ロビーの前で待っている。密接を防ぐために支店内への出入りを制限していた。どうやら感染防止の措置らしい。支店に入ると間隔を開けて椅子が並べられていた。
キャッシュカードの有効期限が切れて、新しいカードが届いたものの思わぬことに磁気不良で使えない。口座からの引き
青春の思惟的遊戯を超越した思想形態の確立を軸に
純粋無垢なる高校生活に別れを告げて今日で5年が経ったのか。世間の規矩に染められて遠い昔を懐かしむ余力も無くなり、今や我が身は冷厳で残忍な生の姿しか残されていない。かの時代の恋愛劇も、いつの日か子どものお遊びと同じようなものとして映るようになった。未練心はいつしか政治や社会の醜悪を見る視点にとって代われ、そのおかげもあってかいくらか容易には人に騙されないような確固とした素地が築き上げられただろう。そ
もっとみる愛嬌のあるローカル線
自分を見つめる時間欲しさに三度長野を訪れている。昨日の夕方、特急あずさ号で松本へ。松本からは篠ノ井線の快速列車に乗り継ぎ長野に着いたのは21時を少し回ったころだった。
ローカル線の場合、ドアの開閉はボタン式がほとんどだ。長野駅で降りる際に、後方にいた女性が親切にボタンを押してくださった。ところがドアが開かない。どうして開かないのか。ボタンを押す女性の手をよく見ると、どうも「閉まる」のボタンを押し
画一化の進行に対するアンチテーゼ
通常国会がスタートした。疑惑ばかりの現政権。もうなんの希望も抱けぬことは言うまでもないが、ここまで劣化が極まればあとは没落の一途を辿るしかないのではと思ってしまう。そもそも矛盾に満ちた人たちが、矛盾に満ちた政策を打ち出したところでことがうまくいくことは一つもないのである。カジノ、桜、それに加えて例の学園の問題は一体どうなったのか。まさか「まだそんなことを言っているのか。早く暮らしのことについて考え
もっとみる思潮〜2019年の総括〜
最近印象に残った言葉がある。戦前の治安維持法下で軍部による独裁や言論弾圧を激しく批判したジャーナリストの言葉で、名前を桐生悠々(1873-1941)という。「他山の石」に次のように書いている。
《人間は他の動物なみに概して安心せしめられるよりもおどかされやすい動物である。特に群衆心理が手伝った場合には常軌を逸して、狂態をすら演ずる。狡猾なる政治家はこの群衆心理を利用して自家の利益に資する。
ある少女の視線から感じたこと
年末の買い出しにと思い休みの日に池袋へ行ってきた。御用納めの日だったせいもあって、西武の地下街は私と同じように買い出しに来ている人たちでごった返していた。狭い空間にいると年末の空気感を味わえない。あえて人混みに飛び込んでみることで、今世の中はどんなふうになっているのかを素直に感じ取ることができる。
今年はなにかと池袋に足繁く通った。単純に西武が気に入ったというのもあるのだが、ジュンク堂という大き