あの日の二人へ

北風が木々の枝葉を揺らし、人影のない公園にいっそうの寂しさを漂わせる。

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背高の時計に、少しだけ錆びれたブランコと滑り台。そして剥げたベンチ。あの頃と何も変わっていない。

なぜ私の心はこれほどまでに移り変わっているというのに、この公園だけは何一つとして変わっていないのか。

誰もいないベンチに座って一人瞼を閉じる。そしてこの4年半の身の回りで起こった出来事を思い起こす。良いことも悪いことも、みんな同じ時の流れの中で起きたことだ。ひたすらに目を閉じては回想に耽る。そうしていくうちに、このまま眠ってしまいそうな感覚にとらわれた。

2015年7月以来、4年半ぶりに牛浜駅に下りた。昔の面影は今も健在だ。ちっとも変わっていない。ゆっくりと足を踏みしめながら歩道を歩く。そして息を吸い、吐いて、また吸って。身体に染みとおる空気も変わっていない。とうに歳月も過ぎ去ってしまったというのに今さら何を思うのか。

だが実地に下り立てば、この間の苦悩もまた違った形で表出するものなのかもしれない。

地続きの歳月を恨めば、呼吸することなどもままならず、さりとてかつて付き合ったことのある対象のことを思ってみても起こったことの幾多の事実をして変化せしめることはできない。そんな堂々巡りを繰り返しては、時の流れだけが心境の移ろいをたおやかに描き出してくれたというほかないのである。

五日市街道にかかる青梅線の踏切を往来する車を見ながら、この4年半の感情のグラデーションに思いをはせる。自分は一体何を思い続けて、この間ここまで生きてきたのだろうか。

自らの問いの噴出の決定的な出来事となった対象との恋愛劇。生涯忘れ得ぬ拠り所のすべてを喪失した、いわばその契機となった出来事を想起するとき、私はこの熊牛公園も同時に思い起こすであろう。

かつてロマンスを味わった人と、また再会する可能性もにわかにあっただろうが、結果逢わずに済んだ。

暮れゆく空の色よ。昔日の法悦をまた次の世で。あれから独り身としてなお変わらぬ者からの最初で最後の艶状だ。

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