青春の思惟的遊戯を超越した思想形態の確立を軸に

純粋無垢なる高校生活に別れを告げて今日で5年が経ったのか。世間の規矩に染められて遠い昔を懐かしむ余力も無くなり、今や我が身は冷厳で残忍な生の姿しか残されていない。かの時代の恋愛劇も、いつの日か子どものお遊びと同じようなものとして映るようになった。未練心はいつしか政治や社会の醜悪を見る視点にとって代われ、そのおかげもあってかいくらか容易には人に騙されないような確固とした素地が築き上げられただろう。それは昔の恋を引きずる時期は必ずしも無駄ではないということを教えてくれた。自己という対象を見つめ直し、あらゆる側面から自己を透徹した視座で客観する姿勢を養えたことはある意味で未練心やささやかな遺恨があったからこそだともいえる。人の心は良くも悪くも移りゆくものである。移りゆくからこそ新たなる、いや一世一代ともいえるような対象との邂逅もあるのだ。

高校を卒業してまもないころはその事実を受け入れることが難しかった。人は新たなる門出だといい嬉々とした表情で小躍りしていたが、私としてみたらこれほどまでに大きな別れはそうそうないと思っていたくらいだ。それだけ高校生活に別れを告げることが容易にはできなかった。ゆえに大学生活で華々しいデビューを飾った輩どもを見ては、何とも言えない気持ちになったのが思い出される。高校生活が思っていた以上に充実しすぎていた分、大学生活では初めから下降域を目指していたのか、斜陽族のような立ち位置にしかいられなかった。どこかのグループや集団に属して自分の存在意味や価値を周囲に認めてもらおうなどという世間人になるための訓練は到底受けたくもなかった。仮にもそこで得られたことはあったかもしれない。しかし一方では他者に安易に迎合したくない身であるせいか、そのような場面に素直に乗り込もうという発想もなかった。本当に究極のへそ曲がりである。

では、そんな自分がいったい何に拠り所を求めていたのか。それはまぎれもなく書物など、思想体系が散りばめられたあらゆる媒体だ。私が大学に入ったのが2015年。今から5年前のことである。第二次安倍政権が前年の夏に「集団的自衛権の行使容認」を閣議決定したのち、戦後70年を迎えた2015年の夏に「安全保障関連法」を強行採決させた。重要な法案であるにもかかわらず、十分な審議時間を経ずして採決させたことに対して人々は民主主義の崩壊を危惧した。国会前には連日のように大勢の市民が反対の声を上げ続けた。10代の最終盤で目撃した「体制vs反体制」の構図は私のその後の思想体系に多大なる影響を及ぼした。それまでは完全なるノンポリ少年だった。ニュースを見ても脳内の思考回路を経ず、その出来事を鵜呑みにしては再考することもせずに右から左へと流すだけ。現政権の思惑通りに自分もいつの日か考えない人間に成り代わってしまうのではないかと思った瞬間、私の中で何かが変わった。

テレビで集会の様子を見るのと、実際に国会前で集会の様子を見るのとでは明らかに実感が異なっているのに気がついた。なぜ人々は現政権に対してこれほどまでに怒りを感じ、シュプレヒコールを上げ続けるのか。彼らの中での問いの噴出に対して自分が実際に感じたことといえば、私も「人を大切にしよう」とか「命を大切にしよう」とか「平和な世の中を生み出していけるような存在でありたい」とか、誰もが普遍的に持っている素朴な思いが私の心に映じてきたのである。ジャーナリズムの方向をいったんは諦めて、今は介護の現場にいる自らの歩みもこの流れをくめば決して不自然な選択ではない。弱者の視点で物事を見つめることに対して、この私にできることはないか今でも常に模索し続けているつもりだ。

悪政下にいると、どうしても脳内の思考回路が倦怠化する。というか麻痺するといったほうが適当なのか。世のなりゆきや政治動向に傾聴する暇もないほど日頃の職務に忙殺されては、そうした視座が養われないのは至極当然のことである。「働き方改革」「コミュ力」「グローバル化」などというカギ括弧付きの、一応やってみましたよ的なものに騙されることなく、常に自らあらゆる問いの噴出に真摯に向き合う。思惟的遊戯に満ち溢れた青春という名の牢獄を経て、世間の規矩に染められた今でも、いやこれからもその心持ちは大切に持ち続けていたい。

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