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「もしもの備え」よりも「いつもの備え」が大事1

「もしもの備え」というお題企画を拝見しましたが、私にはあんまり無いな、と思いました。
常にいつも必ず「いつもの備え」にしているからです。
「いつもの備え」を日々実践しているなら、そうなります。実践している本人が言うのですから、間違いない話です。
備えるのが普通の状態なのが、一番です。
敢えて言うなら「いつもの備え」を地味に続けるのが大事です。

「いつもの備え」が大事

寝言をほざく有識者は無識者で有害者

私が強調しておきたいのは、「いつもの備え」を地味に続けるのが大事であるということ。

例えば靴。特に女性の靴。
「いつもの備え」を地味に続ける、という視点がどれだけありますか。

県や市の愚かな有識者や愚かな公務員のような、寝言を言っている暇は無いのです。

「もしもの備えがロッカーにあれば良い。」
「スニーカーを鞄に入れておけば良い。」
「スニーカーどころじゃない。」
「安全靴じゃないといけない大震災もある。」

ごちゃごちゃ寝言ばっかりほざきやがって。
激甚大震災時に、そんなに女性を見殺したいか。
防災意識と男女共同参画意識、その両方が低い。
その両方とも低く愚かだから、寝言で誤魔化していると言わざるを得ない。

寝言をほざく県や市の有識者を、有識者ではなく無識者であると私は見做します。
有識者が喋るたび、防災が悪化するという害まであるため、無識者かつ有害者だと見做します。

最重要なのは「防災の日常化」

防災意識で最重要なのは「防災の日常化」。
「もしもの備え」でなく「いつもの備え」です。
「もしもの時のための靴をロッカーにでも入れておけば、それで良いんじゃないですか。」
そういう誤魔化しは寝言なのです。

発災直後が如何に「着の身着のまま」であるか。
「着の身着のまま」は着用するもの全てです。
靴だけは例外、なんてことは絶対にありません。
絶対に無いのです。
「履きの身履きのまま」なのが現実です。
それが現実なのです。嫌という程に。

防災鞄ごとロッカーが瓦礫に埋もれてしまおうと、靴を履かないといけないのです。
飛散した細かい破片で怪我するわけにはいかないからです。

「ハイヒールを脱いで裸足で逃げれば良い。」
そんな寝言は破傷風等の災害関連死を出すだけ。
どんな激甚大震災時であろうとも、いつもの靴をいつものように履き続けるのが現実です。

だからこそ、最重要なのは「防災の日常化」。
日常時から、帰宅難民にならない程度の、普通に平らな、普通の靴を普通に履くのが重要です。
TPO、TPOと念仏を唱えたところで、意味なんて一切ありません。
愚物が賢しらぶるなと思います。

タラレバの特例化でなく、普通化

そもそも、「大震災が来たら」という「タラ」がよろしくないのです。

大震災時以外はTPOがどうのこうのとパワハラをして、平らでない靴を履かせるつもりな老害は、一掃しなければなりません。
「大震災時にのみはスニーカーを認めてやる」という高齢男性は殲滅あるのみです。

女性活躍の障壁は、高齢老害によるパワハラや、マイクロアグレッションなどに他ならないのですから、タラレバの高齢老害を殲滅しさえすれば、自動で女性活躍になるはずです。

重要なのは、タラレバの特例化でなく、普通化。
婦人靴のノーマライゼーションです。

妊婦でなくても。母親でなくても。
怪我が無くても。障碍が無くても。

如何なる女性であろうとも、帰宅難民にならない平らな靴を履くのが重要なんです。
それが「いつもの備え」となります。

「要救助者になっても、誰かに助けてもらったらいいんだ。助け合いだ。」というのは寝言です。
助け合いだからこそ、助ける側のほうに一人でも多くいなければいけないのです。

リンク

私が過去に書いたものをいくつか挙げます。

#もしもの備え

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