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よりぬきしりんさん

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#小説

小説/『く旅れた』・番外篇

小説/『く旅れた』・番外篇

今回のコラム『く旅れた』は、ちょっと趣向を変えてみる。

筆者の懲戒解雇のちょっとした休暇を利用して、ヴァカンスの穴場であるプラベント首長国へと足を伸ばすのだ。
あまり聞きなれない地名だが、知る人ぞ知る、まだ知る人に会ったことはないが、私も知らなかった。

まだ雪が舞う当地から、国内便で成田へ、そして国際線の端っこでプラベント・エアに乗り換える。離陸の瞬間は、何度経験しても胸が躍るが、今回は、離陸

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川

たいそう前のことだ。

思い立って、ぼくがその河川敷に腰を掛けたとき、ぼくはビールの罐を片手に、このままあなたとこの川に消えてしまいたい、と激しく願っていた。

夜は更けて、昏かったはずが、川はその時まばゆく光っていた。

不意で、思いも寄らない情動であった。
その川も、あなたも、ひょっとしたらぼく自身も、今やぼくから遠くに去ってしまい、その shot は今もしばしばぼくの夢に現れ、そのたびにぼく

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優しい彼女

優しい彼女

セブン=イレブンの深夜シフトのそのひとに、元から興味がなかったと言えば嘘だ。

週に2日か3日、22時から入っているひと。やや控えめな茶髪のボブ。痩せて小柄な彼女は、いつもにこやかだ。
多忙な棚卸しの最中でも、きっと振り向いて微笑んでくれる。セルフレジに変わった後も、レシートを手渡ししてくれる。
ちょっとだけ動きはスローだが、深夜なのでこちらも急いではなく、そのちょっとしたぎこちなさに、私はかえっ

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わかれみち

わかれみち

リアリティあふれる夢を見た。

まるでこっち側が現実、みたいな言い方だけど。あっち側が現実なんじゃないかと、この時間(朝の10時過ぎだ)になっても訝しく、いちいちわざとらしくキーボードの手触りを確認しながら書いている。

起き抜けにコーヒー2杯とアリナミンVを飲んで、それでも目が覚めきれない。
こっち側に覚めているが、しばらくすればあっち側に覚めるんだろう。コーヒーもアリナミンも、こんどはあっち側

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親のしごと

親のしごと

さいきん出不精の娘を、半ば無理やりに膝頭運動公園に連れていった。
膝歩き、膝走り、膝自転車、膝スキー、膝バレーを堪能したぼくたちは、膝まづいてお弁当を食べた。お昼からは、特設イベント『楽しもう!殿中でござる』にも参加することができて、娘はたいそうご満悦だ。
進路に悩む彼女も、しっかり膝を使えたことで「旗本以上になる」という目標が見えてきたようだ。励みにと、帰りに『絶対突破 昌平黌』を買い与えた。膝

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告白

告白

えと、さ。
アタシもね、あなたが好き。
クールで素っ気ないとこが。話しかけても、ツンとしてるとこが。

だからさ、付き合っても構わないで。目も見ないで。知らない人のフリして。とにかく近づかないで。どっか行って。この世界から消えて。来世も、来来世も、縁なくすれちがいたいの。

よろしくね。

大好きすぎる

大好きすぎる

私が惚れたその人は、私が生まれた時には、この世界にはいませんでした。人並みの望みと失望とを繰り返し、30年余り、ごくごく平凡に生きてきたが、半年ほど前、退屈しのぎに立ち寄った小さな美術館の、肌寒い小展示室で、あの一葉のモノクロ写真と出会った瞬間から、私の内側には、狂おしさとしか呼びようがない魔が巣食ったのです。あるいは私が、そのような狂気を元々持ち合わせていたのでしょうか。彼女について調べ、はるか

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A Quick-boiled――寝てたまるか

A Quick-boiled――寝てたまるか

退屈で空虚な仕事を終えすごいバーボン片手に何とも汚いとしか言いようのない古アパートで安い魚肉ソーセージを齧っているとふと昨夜もつ煮屋で耳に入った国際ギャング団の噂を思い出すとともに何か凄いことをひらめいた木佐貫檀はトレンチをひらりと羽織り愛車の日野コンテッサ1300クーペを吹かし左折して山手通りへ1.4km首都高に乗り用賀から環八第三京浜目的地付近と八面六臂のドライヴィングテクニックで真っ暗な港の

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紀尾井坂にぞ散る紅葉

紀尾井坂にぞ散る紅葉

今年もまた、急な坂を転がるように、寒が来た。

当地の寒さは、2枚から3枚、少し厚手にして、そろそろ4枚というふうにはゆかない。
ある朝突然2枚から4枚、明くる日にはコート、来週はステテコ、カイロという具合だ。

リモートワークの合間、コートを羽織って散歩をすると、あっちこっちに真っ赤な葉っぱが散っている。
急な坂を転がるように、ひといきに赤くなる。
急な坂を転がるように、ひといきに散り落ちる。

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