時間 と イチゴのショートケーキ
ホールのショートケーキだと
「誰と食べようかな?」って想像する。
切り分けている最中に
誰かにイチゴを食べられても
「おいしい?」って聞けるけど
12等分 24等分
小さく切り分けて
取り分けられたショートケーキの
1ピースごとに乗ってる
たった一つのイチゴを取られたら
自分が食べることしか考えないから
「取るなよ!!」
「普通取る!?」
って、とても嫌になる。
時間も同じように
一生 っていう大きな時間の中でなら
急な事が起こっても
受け入れられるけど
年 、月 、週 、日 、時間 、分 、秒
自分の時間を細かく切り分けるほど
取られた!って感じたりm勿体無く感じる。
そんな自分に氣付くと
余裕が無くなってるのが分かる。
一生は 時間は
産まれてから死ぬまでって
大きく1つとみたら
今、何かに取られてるって思う時間も
自分の時間が無いって想う時も
大きなホールのケーキの
一つのイチゴと同じような
感覚なのかも知れない
時間は切り分けられないから
取られたらなんて無いけど
このショートケーキを食べ終わる時
そばにいる 人と 人たちと
「おいしいね」って 笑って食べたい。
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