見出し画像

31歳 10万字の小説に初挑戦中【完成】 感想

3月中に完成させようとしていた、掲題の小説が完成した。
内容は、魔法が存在するハイファンタジーで、利己的な主人公が利他的にしか生きられないヒロインを救う話。
結果として完成したのは、キャラ設定を全く生かすことはできない(何なら忘れている)、一回登場するだけの友情出演のキャラクターたち、心の闇も勝手に暴露しだすキャラクターたち、そして簡単に心の闇を克服して、あっさり敵を破る、ストーリーも単調で、葛藤をしているようでしていない、筆者に忘れられ一生回収されない伏線たち。
といった論評をもらいそうな内容になった。

結果できたのは8万4千字程度。
けれど、事前につくっていたプロットは全て書ききった。

書いているうちに文字数はあまり問題ではないことに思い至る。
不格好でも自分が作ったプロットやキャラクターを描ききる、
それが大事なのだと思った。

8万字程度だと、長編小説とは言わないかもしれない
400字詰め原稿用紙で200枚ほど

それでも継続するという意思がないと、書ききることができない枚数ではあると思う。
その中で気がついたこと、思ったこと、得られたことがいくつかあった。

プロット

プロットを作る人と作らない人がいるというが、
私にはプロット無しに長編を書ききることはできないと感じた。

プロットがあってもなお、執筆の最中に辻褄が合わないことが発生した。
これからまた小説を書く上で、プロットを地図として持っていないと、
書き進めるうえで怖くてしょうがない。
きっと物語は破綻してしまう。

掲題の小説に挑戦する前は、プロットはあってもなくてもいいと思っていた。
というより、私は面倒だから書きたくなかった。
けれど、どのハウツー本でもネットでもプロットをまず作ろうと教えている。
だから、本気で小説を書き切りたいと思った私は、納得しないまま、先人に倣い、プロットを作って長編に挑戦した。

結果、作って大正解だった。
プロットがあったから止まらずに進められたし、プロットがあったから書きたいシーンから先に書いて、飽きが来ないような工夫もできた。
それに、物語がどのあたりまで進んでいるのか、その見通しが立つ。
そうすると、今日はこれくらい書こうとか、あと少しでキリがいいから一気に書いてしまおうとか、自分を奮起させることもできた。

プロットがあると、先がわかってつまらないという人もいる。
その気持ちは確かにわかる。
プロットを考えている時は本当に楽しい。

けれど、小説を完成させることを一番の目的だとすると、
私にはプロットが必要なのだと思う。
それがわかっただけでも、長編に挑戦した意味があったと思う。

余談だが、
プロットを書かないこと自体がすごいことなのかはわからないけども、
森博嗣先生といった方たちが、異次元の存在で、
自分には真似できないということをやっているということに、
今回の挑戦で気づくことができた。
今まではそれすらもわからなかった。

ひとつの作品を完成させること

抽象的なこういうお話をつくりたいというイメージを、
具体的にキャラやストーリーを使って表現する。

これがとんでもなく大変なことであることを知った。
知ったというと、今までどう考えていたの?とも思われるかもしれない。
言い換えると、知識としてではなく経験として実感した、ということ。

わりと有名なビジネス本の「イシューからはじめよ」では、
マッキンゼーの教えに「コンプリート・スタッフ・ワーク」という言葉があるのを教えてくれる。
これは、
『自分がスタッフとして受けた仕事を完遂せよ。いかなるときにも』
という意味らしい。

筆者はマッキンゼーという単語からもわかるように、プロフェッショナルの世界で生きてきた。
年俸制で時間外労働という概念がないその世界では、努力は一切評価されない。結果こそが全て。
『この結果があるレベルの価値に到達しないと、その仕事はいかなる価値ももたず、多くの場合マイナスになる』
と著書で述べている。

ここまで言うつもりはないけども、
コンプリートワークの考えは今回の執筆に通ずるものがあると思う。
完成させなければ、いくら面白いあらすじを思いついてもただの頭の中のイメージのまま。
完成させてこそ、他者に主張できる自己表現になる。

けれど、ストーリーを練って、キャラクターを作って、それぞれのシーンに意味をもたせて、なおかつ自分の表現したい一本の芯であるテーマを主張・表現する等々。
そして、誰のためでもない、自分のためだけに1か月単位の時間をかけて作業を続ける。
自己表現への強い意志がないと、できないことだ。

ハウツー本を読んでいただけではわからない。
まさに、言うは易く行うは難し。

短編

執筆中にずっとうずいていた。
短編を書きたい。
今回の挑戦の前は、2~3枚ろくに書くことができなかった私。

原稿用紙数枚でもいいし、数十枚でも、短編を書きたい。
そこで一度破綻のない話を作りたい。

今なら、それくらい書くことができる。
そんな自信があることがなんだかうれしい。

それと、自分が書きたいジャンルが何なのか。
何が得意なのか。
ファンタジーは自分に向いていないのではないか?
現代リアルのヒューマンドラマが向いていないか?
様々なことを試してみたくなった。
そのために長編は力が入り過ぎる。
まずは間違いなく、コンプリートワークできる分量に挑戦したい。

今の自分は、どうやって物語を書けばいいのかなんとなくイメージがつく。
それが良い手法なのかはわからない。
でも、以前よりはるかに創作の世界にのめり込んでいる自分がいる。
自分は意志を持って好きなことに取組める人間だった。
31歳が自分自身を知った瞬間だった。

よし、まずはプロットを作ろう。
そして、そのプロットに自分が日々考えているテーマを混ぜ込むことはできるか。
クライマックスでそれを証明できそうか……

テンションが上がってきた。
とにかく何かを書きたい気分。

何かまた思い出したことがあれば書き綴ります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?