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【エッセイ】単純な独身男性は、複雑に考えていた

1月に年が明けて3か月が経つ。
1月に今の職場にやってきて、3か月が経つ。
1月に文章を書く習慣をつけようとして、3か月が経つ。

私にとっての3ヶ月は、どれが一番しっくりくるだろうか。

社会人にとって3か月はとても早く、
新しい職場や仕事に慣れようとするとより早く感じる。
家に帰ってから、文章を書いているといっそう早く感じる。

文章を書く時間がない。
少しでも時間を捻出したいと思い始める。

そんな焦りに火がついた。
新しい仕事は、以前の仕事と関連性はあったが、一部しか生かすことができず、未経験に近かった。
そんな中でも、少しでも早く仕事を終えて帰る努力を始めた。
当然任された業務はしっかりとこなす。
そんな日々を過ごしていると、
もっと文章にかける時間がほしいと、焦りに拍車がかかる。
家に帰ることを邪魔するものが敵に思えてきた。
家までの道が敵、時間通りに来ないバスが敵、向かい風が敵。
大抵の敵は思い通りにならないものたちだった。

3か月が経つか経たない頃、
仕事中にこんなメールが来た。
自分のいるフロアの人たち全員に宛先がついている。
瞬間、私の目は鋭くなる。
『このフロアの面々で久々に部署を横断した懇親会をします。ぜひ奮ってご参加ください』
一度メールを閉じて、処理中の手元の書類に目を落とす。
回ってきた書類にはコーヒーのシミが点々としていた。


同じフロアにいても、違う部署の人とはあまり話すことはない。
あいさつはしても、名前を知らないという人はいる。
別の支店や階層の人は、なおさらわからない。
今回のフロア懇親会は、それらの人と関わりを持つにはいい機会だとは思う。

以前に、部署内での歓迎会があったが、開催は入社して2か月ほど経ってから。
部署が人手不足な上に、私の入社時期が繁忙期であったことが理由だ。

その歓迎会前に、私に参加できるかどうか確認があった。
業務の円滑化のためには行った方がいいと思ったし、
それに私のため歓迎会である。
断ることもできず、歓迎会を開いてもらった。
けれど、それほど距離感が縮まったようには感じられなかった。

部署内での仕事をやりづらいと感じることはなかった。
質問もしやすく、仕事を終えて帰れる人は帰ってください、という雰囲気で
今の自分にも合っていると思う。
不満はない。
だが、燻りがあった。

私は再度、フロア懇親会のメールを開き、参加の返信をした。


懇親会の日、会場に到着する。
人数は全体で30人ほど。
各テーブル6人程度で、それぞれ割り振られた席につく。
比較的大人数の飲み会は久々で、妙な緊張感があった。
この先の2時間を想像する。
テーブルには話したことのない人たち。
見かけたことはあっても、名前は知らない。
次第に聞こえる喧騒に身をゆだねた。

人混みの中で感じる孤独は七面倒だ。
孤独を解消するには、人のそばにいないといけない。
それなのに、人のそばにいて生まれてしまった孤独は対処のしようがない。
いつしか紛れるのを待つしかない、そんな風に思っていた。

でも、それは違った。
孤独は物理的な話ではない。
心の問題だった。

私は単純だった。
食事をしながら会話をする。
目の前の人の笑顔に包まれる。
それだけで私は一人ではなかった。
目の前の人の話がおもしろかったのか、自嘲なのかはわからない。
私も気づけば笑っていた。

私は寂しかったのだろうか。
職場で感じる孤独から逃げたくて、早く帰っていたのだろうか。

翌日から、仕事を率先して引き受けるようになった。
以前から、手が余ればそうしていたが、明らかにその頻度が増えた。
知らない業務にも携わる機会が増えたので、帰る時間は前より遅くなった。
それでも私は、文章を書く習慣は継続していたし、
むしろ書くことへの意欲はより増した。

思い通りにならないことを受け入れる。
それは現実を受け入れることだと思う。
というより、何かを思い通りにしようということがボタンの掛け違いを生む。
バスは遅れる時は遅れるし、風はどういう時でも吹く。
事実を事実として認める。
単純な私が、そんな単純なことを歪めてしまっていた。

しかし、それでも部署で感じる燻りは消えなかった。
むしろひとつ燻りが消えたことで、それが如実に見えてしまう。
私は燻りから立ち上る煙を見ないように、仕事に精を出した、
だからこそ、文章も書き続けた。

しばらく経った、ある日の始業前の朝の時間。
私はコーヒーを飲みながら、その日のタスクを確認していた。
すると、同じ部署の先輩から話しかけられる。
この先輩は物腰柔らかく温和な方で、実力もあり他部署の誰からも頼られている。
私もこの人には多くのことを教えてもらっており、最近では質問する回数も増えていて、なお頭の上がらない人だ。

手に何か持っている。
窓から差し込む春の陽ざしのせいなのか、代えたばかりの暖色の蛍光灯のせいなのか、元々柔和な先輩の笑顔が、普段よりも暖かい色をしていた。
「この本、差し上げます。昨日書店で見かけたんですが、うまく言語化されていてわかりやすいですよ」
差し出された本を、ゆっくりと受け取る。
自分の動作が緩慢になり、顔の些細な動きすらも感じとれる気がした。
先輩の笑顔が伝染し、自分が時間をかけて笑顔になっていくのがわかる。

私は単純だった。


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