#コラム
私の発信は、「思考の補助線」でありたい
先日、とある打ち合わせの際に「最所さんのnoteは思考の補助線のような存在ですね」と言っていただいた。
私の発信スタンスは、まさにこの一言に集約されるのかもしれない。
noteでもTwitterでもイベント登壇でも、何か公に言葉を発する際に心がけているのは、小林秀雄が書いたこの一節だ。
私の発信哲学は、「批評の神様」と呼ばれた小林秀雄の考え方をベースにかたちづくられているといっても過言ではない
「つかれた」も「不機嫌」も、すべて言葉で説明する
あちこちで仕事をしていると、「忙しいでしょう」「大変でしょう」とよく言われる。
大抵は真実がどうであれ「そんなことないですよ~!」と明るく答えるのだけど、まぁ時にはしんどいときもある。
特に親しい友人や自然体で付き合っている人たちの前では包み隠さず疲れているので、もはや「疲れてるねぇ」と質問系ではなく確定系で言われることも多い。
さらに私は疲れると口数が少なくなってわがままを言うタイプなので
「書くうえでやめてほしい2つのこと」をやめてみる
スマホアプリの中には読んでよかった記事たちがあちこちに散らばっている。GW中にそれをひとつへ集約すべく、保存されている記事をもう1度読み直し、このまま保存しておきたいものなのか精査することにした。
読んだ当時はとても重要だと思ったものも、日が経つと「もう読み返さなくてもいいかな」と思うものに変わることがある。それは例えば、編集者になりたての時に必要だと思った、スマホユーザーに合う「書き方」の決ま
表現力より、さらけ出し力?
文章で特に感じること。表現力はもちろん大事だけど、それ以前の問題として「さらけ出す」力ってかなり大事だよなと、このところ特に思う。
「さらけ出す」の意味は色々あって、必ずしも「私生活を暴露するすべき」だなんて言いたいわけじゃない。
私の思う「さらけ出し力」の一つ目は、「心のうちで自分がリアルに思ってることを言葉にすること」。ふだんから人に合わせるように話をしていると、これが案外むずかしい。