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#コラム

人と違わなくていい、ただやるべきことをやる。

人と違わなくていい、ただやるべきことをやる。

答えのない問いを追い続ける。「自分とは何か」「生きるとはどういうことか」など、考えてもわからない問いにずっと向かい続ける仏教に夢中なのは、自分の生き方と大きくリンクしていると思ったから。その考えはもちろん今でも変わっていないのだけれど、「自分」に向かう問いがちっぽけに見えてしまうほど大きく、動かしようのない思想があることをドキュメンタリー映画『うみやまあひだ』から学んだ。

伊勢神宮の森を切り口に

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私の発信は、「思考の補助線」でありたい

私の発信は、「思考の補助線」でありたい

先日、とある打ち合わせの際に「最所さんのnoteは思考の補助線のような存在ですね」と言っていただいた。
私の発信スタンスは、まさにこの一言に集約されるのかもしれない。

noteでもTwitterでもイベント登壇でも、何か公に言葉を発する際に心がけているのは、小林秀雄が書いたこの一節だ。

私の発信哲学は、「批評の神様」と呼ばれた小林秀雄の考え方をベースにかたちづくられているといっても過言ではない

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「つかれた」も「不機嫌」も、すべて言葉で説明する

「つかれた」も「不機嫌」も、すべて言葉で説明する

あちこちで仕事をしていると、「忙しいでしょう」「大変でしょう」とよく言われる。

大抵は真実がどうであれ「そんなことないですよ~!」と明るく答えるのだけど、まぁ時にはしんどいときもある。

特に親しい友人や自然体で付き合っている人たちの前では包み隠さず疲れているので、もはや「疲れてるねぇ」と質問系ではなく確定系で言われることも多い。

さらに私は疲れると口数が少なくなってわがままを言うタイプなので

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自分なりの考えは、1枚の紙とペンから生まれる

自分なりの考えは、1枚の紙とペンから生まれる

noteを始める前、私は自分の考えを伝えるのが苦手だった。苦手というよりは、そもそも自分の考えを持っていなかった。

本を読んだり誰かと話をして、「そうなんだ」と思っても、そこで思考停止してしまう。何だろう、あの感覚は。心では動いてほしいと思っている脳が、全く動かないのだ。

そんな私がnoteを始めてから、大きく成長したことがある。それが、普段の生活の中で敏感に何かを感じ、思い、考えられ

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「書くうえでやめてほしい2つのこと」をやめてみる

「書くうえでやめてほしい2つのこと」をやめてみる

スマホアプリの中には読んでよかった記事たちがあちこちに散らばっている。GW中にそれをひとつへ集約すべく、保存されている記事をもう1度読み直し、このまま保存しておきたいものなのか精査することにした。

読んだ当時はとても重要だと思ったものも、日が経つと「もう読み返さなくてもいいかな」と思うものに変わることがある。それは例えば、編集者になりたての時に必要だと思った、スマホユーザーに合う「書き方」の決ま

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目に映るすべてをインプットに変える技

なんだか釣りタイトルのようなものをつけてしまったけれど、至極まじめに書くので許してほしい。

・・・

パソコンで日記を書き始めたのは、大学時代にヨーロッパをひとり旅したことがきっかけだった。

はたちそこそこの娘がひとりで旅をすることに対し、両親は反対こそしなかったものの、やはり心配しているようだった。そこで毎日のように日記を書き、Dropboxで共有することにした。

旅のあいだは書きたいこと

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表現力より、さらけ出し力?

文章で特に感じること。表現力はもちろん大事だけど、それ以前の問題として「さらけ出す」力ってかなり大事だよなと、このところ特に思う。

「さらけ出す」の意味は色々あって、必ずしも「私生活を暴露するすべき」だなんて言いたいわけじゃない。

私の思う「さらけ出し力」の一つ目は、「心のうちで自分がリアルに思ってることを言葉にすること」。ふだんから人に合わせるように話をしていると、これが案外むずかしい。

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