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摂食障害の思考を紐解く03

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

今回は摂食障害の当事者だった私が「思考」にフォーカスして、摂食障害についてシェアしていくnoteです。



脳の萎縮と心理的要因

前々回から、発症の要因として「心理的要因」の悩み方の問題について書いてきました。思考を紐解いて、日常の中で感じる事・悩み方・ストレスが「病気になってしまう程の生き辛さ」に変わる事を書きました。

今回は摂食障害の渦中の事。実際に発症した後に「心の問題」がどう機能してしまうのか?について。


前回書いた「飛躍した考えとアンサー」は【低体重】によって深刻化していきます。

低体重になると、脳の萎縮が起こります。脳の萎縮によって思考に大きな影響が及ばされます。

脳の萎縮:集中力の低下・行動欲求の低下・判断力が鈍る・思い込みが激しくなる…etc

脳は心でもあります。「発達障害」など生理的要因の有無もありますが「脳」が "思い・抱かせる働き" は健康という基準が満たされている事によって正常に機能するのです。

低体重(飢餓状態)になると生命維持の為、体のあちこちの機能をゆっくりのペースに落としたり、止まったりします。

目に見えない体の内側の事です、痛みや変化を感じにくい事なのです。本人に自覚が無い事がほとんどです。

脳は、意識してコントロールできるものじゃありません。突発的で、無意識や当たり前の中の事です。脳の萎縮によって、思考の幅が狭まっている自覚もありません。


こうして、低体重や痩せが更に「飛躍した思考」にバイアスをかけていきます。

悪循環というか互いが悪影響を及ばしていて、サイクルになってしまっているのです。

低体重の深刻化・痩せている時間の長さが、より痩せを執着させて依存させます。話の理解度も、飛躍した所から問題の本題に戻していく作業も困難化していきます。

なので、回復期を迎える摂食障害さんは「ある程度の体重回復」があってからでないと、心理的要因(心の問題)にフォーカスして治療が行えないのです。


マイルール

当事者は生活の中で強いこだわりを持って過ごしています。これをマイルールと呼んでいます。

マイルールは自分との約束です。自信がない子や評価を受け入れられない子は「約束を徹底して守っている自分の姿」に安心したり、守られているように感じて、自信を得ているのです。

このマイルールは、自分を守る為の手段として選択した事なのです。多くの人が「目標」を作っているように、自分の為に決めた事の一つなのです。

ですが、目標の設定が細かく厳密であったり、守る為の生活が苦しさに変わり義務感となったり。健康を失って、低体重になる程「過剰」になってしまう事が「飛躍」している事になります。

本人は「元に戻る方法」が分からなくなっているのです。マイルールのない生活に不安を強く感じます。


なぜマイルールを守る事が安心感になっているのか?私の言葉でシェアしていきます。

自分の生き辛さの一つである「目標達成」などの成功体験の少なさから「自信や評価・自尊心」に代わってくれるマイルールなのです。

痩せる為のマイルールを守って、着実に体重が減っている事に「達成感=自信」となって、自尊心が持てるのです。ダイエットの快感とは、こういう事にあると思います。

どこまで痩せても満足ができないパターンもあります。自信が持てないのは「痩せている・太っている」などの容姿ではなく「心」にあるので、容姿の変化にも満足感が持てないのです。

マイルールを増やしたり、厳しくして自分に厳しくなってしまうのは「満足できないのは、痩せが足りないからだ」とぐるぐる思考と飛躍したアンサーに偏ってしまっているからです。

先程書いた通り、低体重になると「思考の幅」が狭まり「思い込み」が強くなっていきます。

もっと、もっと。こうして十分痩せていても、痩せを追求してしまうのが摂食障害さんなのです。


容姿ではない、元々持ってる心の凹み、心の痛みがある摂食障害さんにとっては「自尊心」って、簡単に得られるものでも、見つけられるものでもないように感じるのです。

これまで自信が得られなかった「過去の自分」しか、知らない。痩せている事で得られる快感や自尊心を知ったから「これしかない」と思っているとも捉えられます。

誰にでも少しのプライドや自尊心は必要です。特に摂食障害さんは自信が他で得られると、思っていないからこそ、今あるプライドを手放す事を酷く恐れています。


また、何かを「判断・決断・選択」する時に強い不安を感じる事から、毎日決まった事(ルーティーン)に沿っていれば安心できるからです。

決まった時間に、決まった量、決まったカロリー通りの食事をしていれば、良くも悪くも変化しないからです。

突然の出来事や想定外にパニックになってしまうのです。(カロリー表示のないご飯|g数の測れない食事環境|運動できない雨の日…etc)

回復期では「健康の為」だけじゃなく、想定外の事に対応できるようにマイルールを手放す練習もしていくのです。


マイルールを手放すという事は変化を受け入れなければいけません。体重を増やすという事です、見た目も変わるという事なのです。

その為に、マイルールで安心している「生活面」や補っている「心の問題」に気付き(自覚)向き合って、解決策を「痩せ」から逸らしていきます。

痩せている必要がないと感じられると、徐々にマイルールなどのこだわりも緩和していくのです。


比較と参考

ぐるぐる思考・飛躍した考え・アンサーの中でも本人の心を苦しめているのは「比較」です。多くの摂食障害さんから「他の人はこうなのに…」というフレーズを聞きます。

一旦は人がどうして、比較したり違いに悩んだりするのかをシェアしたいと思います。

人間は生まれつき、他者と比較するという生理的な機能を持っています。カナダで行なわれた調査では、誰かが宝くじに当たると、その隣人たちが借金を重ね、自己破産に陥る傾向が高まることがわかった。

https://toyokeizai.net/articles/-/678545?page=2

誰でも「比較」してしまう。私もします、そこで自分にどんな影響があるのか?が大事なポイントです。

人は「不公平」を嫌います。誰かの方が、自分より優れている事に多少の「不快感」を感じます。反対に、誰かより自分が優れていると感じれば「優越感」になります。


本能的な「比較とその影響」はわかったところで、この働きが「健康を犠牲にする」までに至る人は「心の問題」を抱えていると分かります。

心の「生き辛さ・自信が得られない自分」に対して、容姿でアンサーを導き出す飛躍した思考の中で、繰り返し自分と他人の比較を行なってしまいます。


言ってしまえば "痩せから得られる幸福感" って「誰かより優れている優越感」にも似ていて、自分が特別であり、自分が凄いんだって思いたい事にも近しいのです。

なので、少しでも自分より痩せている人に強いジェラシーを感じたり。自分より少ない努力の量で、自分より痩せている人を見るとやるせない気持ちになるのです。

これも皆んな同じだと思いますが、基本的に比較の上に成り立つ「自信・自尊心・プライド」だと思っています。

そもそも「痩せていれば幸せだ」というおとぎ話が語り継がれているのも「誰かより良い自分」でしかありません。今の言葉で「ルッキズム」と言います。

比較の上に成り立たせた自尊心やプライドは簡単に崩れてしまいます。誰かの心に自分の大事な物を預けているような事です。

それも、前から抱く自分への不信感から自分に重きを置けない「心の凹み」が理由であったりします。

心の問題を抱えている人は他人にも繊細で、比較の頻度も細かさも違うのです。重要さも、それが生き甲斐になっている人もいるのです。

少しの優越感や背徳感の為に、他人との比較・差別化をしてしまうのはある事。ただ、その報酬として健康を払うのは「飛躍した思考」だと思います。


少し考えてみて下さい。全く同じ人間なんていないので、どこかしら違いがあって自然なのです。見た目なんか100人いれば100人違うんです。

そこに「良い・悪い」の価値観を結びつけたらキリがない事。ある程度「成長(大人)」した時に執着心が見た目から違う事(仕事・家庭など)へ移行するのですが、成長中の青年期(若者)が多く発症するのは、比較の対象が少なく狭いからだと捉えられます。

また、参考にするというのもぐるぐる思考にとって危険な事です。比較にも似ているのですが、自分の本音より他人の行動を手本にしてしまうとストレスに繋がったり、思っていた通りにならない時に自分の行いを責めたりしてしまうんです。

例えば「カロリーやBMI・体重」などの具体的な数字を参考にする事。人によって健康のベスト体型も体重も違います、食事の好き嫌いがあるので、心満たされる食事も一概に「これ」と決まっている訳でもありません。

SNSの普及で、多くの情報・他人の生活や基準が見える事の影響もあります。これも社会的要因の一つで、心の凹みにフィットしてしまう原因なのです。


最近見かけるメンタリティーについても「趣味があった方が良い」とか「自己肯定感が高い方が良い」という言葉だけを受け取って、無理矢理に好きでもない事に集中してみたり、自分を好きになろうとしても、その時点で背伸びした状態で中々上手くいかなかったりしますよね。

自分にとってまず何が大事で、必要な事なのか。誰かじゃなく自分に尋ねて欲しい事です。


「私は私・誰かは誰か」と区別を持っていくのも大事な考え方だと思います。比較も参考も、区別と距離感を持っていくのです。

本当は比較も参考も上手に扱えたら自分にとって良いバイアスになるはずなんです。

でも、ぐるぐる思考があったり飛躍しがちな心の持ち主さんにとって、比較や参考はプレッシャーや悪い導きになって変わります。

今私が「やってみよう」としている事・信用している情報って私の為になる事なのか?そもそも、正しい情報なのか?取捨選択の意識も必要です。

低体重や思い込みが激しくなっている時に、こういった判断能力も低下しています。近くにいる人が「こっちだよ」って、導いてあげる事も必要なサポートです。


最後に

紐解いていくと必ず理由があります。無意識にも、当たり前や普通にも理由があるのです。

そこが心の問題であると自覚する事や、悩み考える方向性を「自分の為」に向ける練習が回復期なのです。

考え方の選択肢として、参考になればと思います。






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