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摂食障害の思考を紐解く02

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

今回は摂食障害の当事者だった私が「思考」にフォーカスして、摂食障害についてシェアしていくnoteです。


ぐるぐる思考

摂食障害の発症の要因の一つに「心理的要因」があります。心の問題について、私は「悩み方の問題」だと捉えています。

悩みは誰にでもあるのです。心病んだり、精神疾患の発症の有無はどんな違いか?と考えると、悩みに対して巡らせる思考の姿勢や方向性、悩み方が正常な判断を鈍らせたりするのです。

その一つが「ぐるぐる思考」です。摂食障害さんに限らず、他の精神疾患や生き辛さの原因でもあります。


ぐるぐる思考とは、ネガティブな出来事や体験について繰り返し考え込んでしまう思考パターンを指し、心理学的には「反芻思考」、医学的には「抑うつ的反芻」とも呼ばれます。

引用:Google AI


引用:Google AI

私的、ぐるぐる思考のもう一つの捉え方は「飛躍した考え方」です。悩んで悩んで辿り着いた答えが、飛躍したアンサーの場合もあると思っています。



悩むという行為

悩んだ時って、自分の事だと思いがち。ですが、思考を紐解くと「誰に言われた・言った言葉」「誰かにした・された行動」「誰に思われる・思った見られ方」など "誰" フィルター越しの自分の姿に悩んでいたりしませんか?

誰かにどう思われる?心配が故に、コンプレックスになっていて。想像して下さい、この世界に私しかいなければ自分の欠点って、欠点にならなくないですか?誰かがいるから、比較して「差」となり「悩み」に変わるんです。

なので、頭の中で(誰かからの)自分の存在意義や価値観に答えを見出そうとしても、相手によって自分の姿の印象は異なるから「これ」というアンサーなんて存在しないに近いと思うのです。

なぜ悩むのか?(個人的な考えですが)それは、自分が「思い込み・納得」できると「自信」になって「堂々とした姿」でいられるからだと思います。

自尊心・アイデンティティー的な「私はこういう人間だ」という主張ができた方が「楽」だからです。

その為に「納得できる理由を探している」と表現した方が "悩み" そのものに、近いニュアンスに感じます。

例えば「容姿淡麗さ」という自分の納得のアンサーがあれば、どこか自信が持てる。「痩せる事に頑張っている」と思えたら努力の功績・勲章のような自分自身の評価になってくれる。

このように、自分の心の凹みや問題に対してリカバリーの方法を模索しますが "ぐるぐる思考" によって「本当に向き合うべき心の問題」とはズレてしまった結論・アンサーを導き出してしまうのです。

私が思うのは「悩む」とは「自分と向き合って考えている時間」です。そこに、無意識で「誰」フィルターがかかっていると「自我・主張・本音」世間で言う「自己肯定感」なんかも、揺らいで分からなくなってしまうんだと私は思っています。

自分の事で悩んでいるのか?誰かの為に悩んでいるのか?この区別が付かず本音すら、見失ってしまう。

摂食障害さんは「今が苦しい」と感じても「痩せを手放す」=「痩せている事で得ている自分の評価や価値観・他人からの存在意義」などの安心感すら手放す感覚になっているのです。


悩みの思考を紐解いて、考えの渦の目がどこにあるのか。何に心を掻き乱されているのか?考える時間が必要です。

カウンセリングなど誰かに話す行動や、文字に書き起こす事でも客観的に悩みを可視化できます。頭の中だけでぐるぐる思考を起こさないように考え方を変えてみるのも選択肢の一つです。


飛躍したアンサー

先程書いた通り、例えば自分の心の問題に対して「痩せていれば補える」と
いうアンサーも一つ飛躍したアンサーだと思います。

環境や考え方や寂しさ・孤独感などの問題は「見た目」から派生しているのではなく、受け止める心に問題があるのです。私やあなたの容姿が全ての悪事を招いている訳では在りません。

どこかで、生き辛さを感じて抱えて我慢してきた、それが限界に達した時に解決策として痛みを紛らわす「痩せ」を知った時。どんどん痩せていく体を見た時に、少し安心したり、気が楽になった感覚もあったと思います。当事者の皆さん、どうでしょうか?

「痩せ」という一つの形に、心救われていて、守られていて、自尊心になってくれているでしょう。これが摂食障害さんの思考なのです。


そもそもの「痩せに対して、抱く安心感」が飛躍した考え・答えなのですが「これ(痩せ)が全て」の摂食障害さんは、痩せが心の拠り所となっているのです。

私達が日常で強いストレスを感じた時。何をしますか?また、何を感じるのでしょうか?

例えば、仕事帰りに一杯呑みに行くのが軽いストレスの解消方の人がいて。毎日の喫煙習慣が、ストレスの緩和になっていたり。趣味に没頭する時間やペットと過ごす時間など。無意識にも自分の「好き」に頼って支えられて日常生活のストレスを緩和していませんか?

こうして自分なりのストレスの解消法に、一時的なリラックスを感じることができる人がいます。これは、飛躍でも何でもなく自己管理のできた解決策だと思います。

ただ、ある時に度が過ぎてしまい災いの元となってしまう事もある。いつしかお酒を飲まないとやってられない、タバコの本数が増えた。趣味に費やすお金や時間が自分の大事な生活費を払えないほど使い込んでしまう。

など、自分の一時的が長期的になって、犠牲を払う事になっても「自覚」が持てないのです。心のどこかで「まあ、大丈夫だろう」と思う、これが飛躍したアンサーです。

摂食障害さんも、ストレスや悩みの解決策として、行き着いた答えに「容姿を磨く」とか「制限したルールで生活する」など、最初は趣味感覚でいる方もいます。

これがいつの間にか生活の優先順位の1番上にあって、ストレスの大きさが悩みを深くさせてぐるぐる思考から、飛躍して「何よりも痩せが1番」と考えるのです。


また、私の考えはストレスの問題に対して「怒る」という感情が湧くのも一つの防衛反応だと捉えます。

摂食障害さんは「優しく繊細な心の持ち主」である事が多いのです。なぜ、共通しているのか?というと、怒りの矛先が「他者」ではなく「自分」に向いているからなのです。

明らかに相手のミスがあって起こった問題にも「私が気付いてあげたらよかったのに」とか、家族が落ち込んだりイライラしている様子を見て「私が何か悪い事をしたのかな?」など。

何、ミスしてんの?何、イライラしてんの?とか思えたりできない優しい子が頭の中で無意識に自分を「否定・責める」を行なっているのです。

優しさが仇となってストレスの一因、こういう飛躍した思考が心理的要因となって「生き辛さ」になるのです。


サポート側は「間違いを指摘する(痩せへの注意喚起や行動の制限)」というより、これまで一人で抱えてきた「心の苦しみ」に寄り添っていく姿勢を持ち合わせていかなければなりません。痩せていたい摂食障害の声ではなく、本音の声を聞いてあげましょう。

病気と本音の声を聞き分けていく内に本人にも自覚が芽生えたり本音の声が聞こえてくるのです。

飛躍していた考えに気が付いて、自分の本当の心の問題に「どうやって付き合っていくか?」と考えていく時間が回復期です。


最後に

私の経験談として、怒りっぽい自覚があってよくイライラしていたのです。先程書いた「問題の原因」に対して他者にも怒りを感じて、自分を守っていた事も、記憶にあります。ですが、すごく「後悔」してしまうんです。優しいからこそ、自分が抱いた怒りに腹が立つ。怒って良い事にも、罪悪感を感じてしまう。

あくまでも例として挙げたもので、色々な状況や個性よって違いはありますが、当てはまる思考のパターンがあり、多くの人が無意識に行う考え方なのです。

大事なのは「自覚」だと思います。思考はすぐに変わりません、ですが知らないより、知っている方が圧倒的に心のクッションになってくれます。自覚が持てただけでも、心が楽になると思います。

考え方の選択してして、参考になればと思います。





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