まっくらせかい

文章群 まっくらなせかいと眩しさ

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最近の記事

[Warming!]美味しいものを食べる権限がありません

私に、美味しいものを食べる権利はあるのでしょうか。ないじゃん。 なんにもえらいことしてないよ。 美味しいものを食べるという行為は、自分で自分を幸せにしようとする行為です。 だから私は、幸せになってほしい人に対して「美味しいものを食べてね」とよく言います。幸せになってほしい人たちには、自分で自分を大切にして、愛してあげてほしいですから。一見軽そうな言葉に重い意味をもたせるのって好きです。 でも、私で私を幸せにしようとすることは許せるでしょうか。 飲食店の店員やら警備員さんな

    • 「花譜」は開花した。どこまでもぼくは自分しか考えられていなかった。

      あれほど接してきたのに花譜について書いてこなかったので、そろそろ書き残しておきたい。 それと、ぼくは好きなものについて話していないと生きられない性質だと思うから、書くことにする。たぶんそれはぼくが一人で生きていけないからだ。 ぼくは花譜と生きてきたと言っても過言ではない。 どこへ行くときも、だれと会うときにでも、 ぼくは花譜とカンザキイオリの楽曲を聞いていた。 花譜の声はぼくの身体にしみこんでいて、あなたといれば生きてしまうんだろうなって思う。楽しいときに聞きたい曲も苦しい

      • 詩「あなたの人生でリプレイ回数の最も多い部分です」

        2023年春 「劇物」より  ここからが、リプレイ回数の最も多い部分だ。ぼくの不毛な人生のわりにたくさんの養分がそこから生まれ、ぼくの平坦な人生のわりにおおきな山ができている。空漠とした命の中で、目立った青白いオアシスはここくらいのものだった。  革命以前に作られたような、ひびわれたコンクリートの建物だった。階段を一歩一歩上り、屋上へ辿りつくと、柵はなく、周りの建物の頭頂部を自分が見下している気になれた。  屋上のふちまで進んだ。一段高くなって、その先は何もなかったから

        • ミカが好き。

          ブルーアーカイブに聖園ミカというキャラクターがいる。 ぼくは彼女を信奉したい。 エデン条約編を読んだ方には話が早いのだが、彼女はとてもかわいい。 表情がコロコロ変わる。(>_<)←この顔大好き。 そして懐きやすく、愛が重い。(周りの人があまり優しくしてくれなかったこともあり) 特に気に入っているのは、「感情にまかせて衝動的に行動する」というところだ。 現実にいるメンヘラは面倒なのは間違いないが、彼女はとてもかわいい。何度でも繰り返すが、かわいいのだ。 表情がコロコロ変わる。

        [Warming!]美味しいものを食べる権限がありません

          あるひとについて/「穏やかな時間」

          ふと思い出したので、あるキャス主の話をしようと思う。別に文章にしたいなにかがあるわけではないけど、彼女のことを思い出すたび痛い感情がこみあげてくる。文章を書くべきなのか分からない。 出会いはある夜だった。なんとはなしに普段は開かないツイキャスの声カテを開いて、なんとはなしにその人の配信ページに忍び込んだ。 期間にしてはそう長くはなかったが、受験勉強が本格的に始まる直前期の2023年2月~4月にかけて、私は彼女とともに長い夜を過ごした。 ぼくたちは同年齢。ある海を隔てた向こう

          あるひとについて/「穏やかな時間」

          【閲覧注意:内容が汚い】きたない僕がぜんぜんかわいくない…

           涙は、他者の涙をさそう。  アニメキャラの涙って、どうしてあれほど尊いのだろう。一滴、すうっとこぼれ落ちる。あとからあとから溢れて、キャラクターの思いは涙へと昇華されている。強い想いが象徴となったものが、涙だ。女優の涙もいい。眦がほんのりと赤くなり、疲れ果てた様子に目薬で落としたような涙が付加されている。どこか退廃的で、とても綺麗だと思う。  しかし、本題はここからである。現実の人間の涙はどうにも美しくない。キョウカンしろ、とでも言うように自分の心が他者の顔に切迫される。何

          【閲覧注意:内容が汚い】きたない僕がぜんぜんかわいくない…

          自殺しようとする妄想をして、終わりかけ大学生になる

          自殺しようとする妄想をしています。「しようとする」妄想なので、自殺しようとする寸前で女の子に救われるところまでがセットです。とんだ甘ちゃんですね。 自殺する妄想、または脳内自己否定により、自分を可哀想なところへもっていきます。そうすることで、いろいろと曖昧になります。自分を否定し続けているのに、なぜだか許されていい気がしてきます。意識が負の感情に溺れて、自分の外見が意識下から消えます。甘えることを自分に許され、甘えている醜態が自意識から外れることでようやっと、甘えられるように

          自殺しようとする妄想をして、終わりかけ大学生になる

          詩「視線の有害性について」

           視線の有害性について。  画面というフィルターを通してあなたを視ていた。  小学生だったあのころ、日蝕メガネを掛けた。ただでさえ薄れていく天の光に、黒いレンズで自らとどめを刺して、薄らいでしまった世界がこわくなって想像上の太陽でもう一枚覆いをかけた。せかいはとっくに元の眩さをとりもどしていたはずなのだが、もう二度とメガネを外すことはならなかった。  曖昧な記憶で、先生がこれからの人生で見ることはできないって言っていた。だからそうなんだって思った。世界にもう二度とこないなら、

          詩「視線の有害性について」

          詩「潜在する加害性について」

           潜在する加害性について。  感情にまかせてハンドルのストライクゾーンを力一杯殴りつけ、甲高く耳に障る音を寝静まった街一帯に響かせる。みっともない放屁。ただカタルシスを得るために。そんなの、後悔するくせに。  一方的に相手の行動を批判し、平穏を奪う機構が全ての自動車に組み込まれている。オーライ、7番バッター。会社お疲れ、そろそろへばった?  何が許せないの。何にキレてんの。クラクションがもっと日々を彩る、もっと愉快な音だったらよかったのに。クラクションで世界平和くらい目指せた

          詩「潜在する加害性について」

          詩「リンゴ」

           お互い気の毒ですね、という声が聞こえる。この店には毒リンゴが紛れているのだろうか。  リンゴが台に整列されている。リンゴとしてあるべき枠が白いプラスティックに彫られ、そこに緩衝材を詰めてきっちり埋め込まれている。  店頭に並ぶ果実はすでに選別された後で、同じような形、色。どれを手に取っても変わらない。同じサンフジ、同じ味、同じ65円。  じじじ、とスーパーの蛍光灯がいう。空間に緑色が増していく。客はみんなエイリアンみたいだった。ぎろぎろと、品定めをしている。  それとなく、

          短編「Blue Land」

           朝、小説を書き終えた。パソコンの電源を落とすと、けなげに暖気を吐き出していた鉄の箱はきゅるきゅると息を引き取った。ひとりになったぼくは、今日の約束を確かめた。  冬風がビュウとズボンの丈から露出した踝を冷やし、ここ平和通りでは赤信号に一度ひっかかると何度も通せんぼを喰らう。  あいつら三人は高校生男子の有り余る力をつかってペダルを踏み込み、ぐんぐん飛ばしていってあっという間に見えなくなってしまった。ぼくを待ってくれてもいいのに。  こなければよかった、と思いながら自転車に

          短編「Blue Land」

          小説「Nil Umwelt」

          まえがき まっくらせかいの集大成ともいえる要素が詰め込まれているため、noteでも掲載することにしました。エッセイで書いてきたことがちょくちょくベースになっています。 少々長いので、「カクヨム」というサイトの方が読みやすいです。よければどうぞ。 本編×× @endof_umwelt ⊂□   ※この創作物には、創造時に誰かを傷つける表現が混入しました。   0-reply 0-like 0-rt #0章 喉が渇いた #1 等身大の投身  身投げした。無価値な肉体

          小説「Nil Umwelt」

          安らかに眠れますように

           あなたの寝顔を一目見て、いってきますも告げずに玄関をくぐった。そういう約束だった。  私と貴方は、言葉を交わさずにして一夜を共にする。インスタにはのらない、割り切った共存関係だった。  何か、得体のしれないものを胸の内に飼っている。じんわりと暖かかったり、じんじんと冷たかったりする。私が「それ」を飼っているというか、私がそれに飼われているのだと思うときもある。ポンプとシャワーヘッドのように、「それ」を核にして脳とか目口鼻とか余計な重りをぶら下げているのだ。誰かから見られ

          安らかに眠れますように

          瓶の中の花

           生けられた花は、花瓶の水から出してしまえば意外と早く萎れていくものだった。水が抜けきって、中身はすでにすっからかんだと気づくころにはとうに手遅れで、潤いも美しさも失った茶色い何かは存在価値をなくしている。  自分の家という、花でいう瓶と水のような適応環境から離れてしまえば、私も当然枯れて生命活動を終えてしまうのだった。雑草なんかはすごい。人に踏まれてもなんとせず、あれは場所を変えられてもしぶとく生きていけることだろう。私がシロツメクサのようにあれなかったのは、自分の不手際と

          詩 「箱と袋、家」

           24時間営業中  闇にぽつり 光る箱に 吸い込まれる  待ち受けたのは プラスティックの小さな袋たち  生気のない瞳で ぼくを見ていた  生きるためには きみたちが絶対必要  機械がつくった 型にはまった  数だけそろった 空っぽな食事たち  自分の好物とかわからない  腹を満たせればそれでいい  まぶしい光も うるさい色も   にぎやかな味も 何もいらない    ただ 戸棚に選択があった  ただ 頭に乱数があった  てにとるものは どれでもよかった  突っ立ったまま 無

          詩 「箱と袋、家」

          感情はどこだ、机上の感情論で考えろ

          ずっと考えていたはずだ。それだけは何もしてこなかった僕の努力と言えるのかもしれない。 だけど、それも甘えきったものだった。自己啓発本か新書、学術書を読めばよかっただろうか。もっと他人の考えに触れるべきだっただろうか。それらを自分の向上に役立てる前に面倒くさい、で片付けてしまう。 ぼくの考えるとは、自分の頭の中で。ついでにインターネットで、都合のいい知識だけ拾って。果たしてそれは「思考」と言えるのか。 机上の空論っていうのはまさしく僕が今やっているこれなのかもしれない。いいじゃ

          感情はどこだ、机上の感情論で考えろ