短編「Blue Land」
朝、小説を書き終えた。パソコンの電源を落とすと、けなげに暖気を吐き出していた鉄の箱はきゅるきゅると息を引き取った。ひとりになったぼくは、今日の約束を確かめた。
冬風がビュウとズボンの丈から露出した踝を冷やし、ここ平和通りでは赤信号に一度ひっかかると何度も通せんぼを喰らう。
あいつら三人は高校生男子の有り余る力をつかってペダルを踏み込み、ぐんぐん飛ばしていってあっという間に見えなくなってしまった。ぼくを待ってくれてもいいのに。
こなければよかった、と思いながら自転車に乗っている。
つい先ほどまで一緒に向かっていたのは小学校からの同級生。中学で一人が県外の寮に行った。高校では皆ばらばらになった。それでも運や不運がぼくらを繋ぎ止めて、よりべのない関係は果てることがなかったのだった。
今日の天気は悪くなくて、あと幾度とない機会を逃すことになんらかの怯えがあって、単純に友達に取り残されてしまうことが怖くて、あらゆる紆余曲折の言い訳を重ねながら、結局ペダルはちゃんと回るべき方向へぐるぐる回っているのだった。 止まってしまうのが怖いのだと思う。また漕ぎ始めるのはますます疲労がたまる。
寂れた駅前にやっとのことで到着して、みんなが待ってくれていたことにマスクの下で頬が緩む。ちょっと元気さを強調したつもりで「やあ」といった。早すぎる、と文句を付け加えることは忘れない。
やけに重厚な自動券売機へ向かう。諭吉を容赦なく吸引する姿はさながら門番のようだった。ここで買えるのはどこまでの切符だろう。日本の端っこで誰かと二人になれたとしても、結局自分で買うのはせいぜい岡山あたりまでの切符なのだろう。どこまでも地球儀は広がっているはずなのに、限界を勝手に知ってしまっていた。
本日の行き先である、去年の夏にも行った駅名をKから聞かされる。県内の、集落の中にある無人駅。二人が往復切符を買って、もう一人は片道切符を買っていた。そこに深い意味はなかったのだろうけど、ぼくは片道切符を買った。
電車は一時間に一本ほどしか出ないらしい。自販機で、カルピスと白いカフェオレを買った。甘すぎる組み合わせに後悔しながら、缶のカフェオレはその場で飲んで、ペットボトルはディパックに放り込んだ。
今日は、海へ行く。
どうしてこんなに寒いのに海なんか、と内心ぼやきながらも、なんとなく分かってしまう気がした。
ぼくたちは、長い冬を越しきるために夏で十分蓄えられなかった青春をもう一度埋めなおしたいのだろうか。この場合、ふつう青春は夏にしか得られないという前提になる。それとも、長い人生を越しきるためにはまだまだ不足している青春を貯蓄しておきたいのだろうか。この場合では、ふつう青春は思春期真っ盛りの高校生であるこの時期でしか得られないという前提。
夢の無いことを考えずとも、行きたいから行くと純粋な笑みで堂々宣言、それでよかったのだと思う。ませてしまった僕らはそういうわけにはいかずとも、この空間にいられる限りは悲観する必要はなかった。落ち着く雰囲気の漂うこの4人のボックスシートがぼくは好きだったのだから。 ませるというのも、善悪でいえばまあ良いのだと思う。恐れているのはその先だった。
電車で会話が進む。小学生からの幼馴染の話ともなると、夜の公園では当然昔話が大半だったが、今日はどこかへ向かう日だった。最近の事情が主だったし、行きたい大学の話もあった。Mを除いて、県外を目指していた。
話がヒートアップするぼくとMをまとめて、声が大きいときみは言う。他人の目なんか気にしなくていいのに、ちょっとむかついた。
この冬休みが明ければ九州の高校の下宿先に帰ってしまうKへ、空港に見送りに行くという約束をする。海と同様に、これも毎度のお約束だった。
あれこれ話しているうちに、負けたやつが海へ入る、という賭けが始まった。スマホのアプリでトランプの大富豪をすると、いつもぼくはKといい勝負をして一番か二番なのに、今日に限っては最下位だった。海に入るというのに、タオルを持ってくるのを忘れたことを思い出してしまう。
今日こなければよかったかなと思う。
砂浜まで競争しよう、誰ともなしに言い始める。高校生男子のグループのこういうノリは好きではなかったが、ハンデをもらったので行けると思った。が、結果は残酷。与えられたハンデはあっというまに無いものとなった。また負けた。
今日こなければよかったかなと思う。
今は夏か、冬なのか、そんな地球規模の小っぽけなことにはこだわらず、寛大な心をもった青い海がそこにいた。砂浜を歩くのはほんの数人。瀬戸内海には島がぽつぽつと浮かんでいて、向こう岸も見えそうだったが、高校生数人が手を広げた内側よりもはるかに大きかった。ぼくらの手に収まるものなどそう多くはない。写真として切り取ってこの場にいない他人がそれを見ることで、この海は今日の海ではなくなる。。
ぼくはこの土に育てられたのだろうか。この土地で育てられた蜜柑ならたくさん食べた。所詮、陸はそう長く続かない。口に入れたものは、県外産や海外産のものが大半だっただろう。インターネットのコンテンツも、東京から海底ケーブルが瀬戸内海を渡って今治あたりへと入ってきたものだ。お世話になっているものとしてぱっと思いつくのはスーパーのフジと伊予鉄道くらい。実生活として、地元という意識が欠けている。
地元という必ず存在する場所の、枕元や膝元みたいな暖かそうな名前に守られたかったのかもしれない。いくら飛んでも跳ねても、土は向こうから近づいてくる。重力によって自然とそうなる。だが、だれも守ろうとはしてくれなかった。守ってくれたとて期限付きで、持続可能ではなかった。残酷なこの社会は個人のささやかを守ってくれないということを、事実として噛み砕くしかなかった。
やがて、守られることにおびえた。外界から海岸線へ、ゴミが流れ着いている。プラスチックのパッケージや板、竿のような丸太がある。ここに流れ着いたゴミがそうだったように、ぼくもきっと土を離れ、漂流を始める。
ぼくたちはこの海から生まれたのだろうか。そうだったら楽だと思った。泳げないぼくを認めてくれそうにない海だったから、ぼくからの気持ちだけでいい。つながっている。ぼくは高校を卒業してこの土地を離れても、かすかな祈りとともに海と漂流し、この四人は位置的にばらばらでも漂っているという共通点をともにすることができる。
結局、全員が海に足を浸からせることになった。
靴下を脱いでズボンを捲り、風の鋭い空中から海面に足を忍ばせると、すうっと低温に柔らかく包み込まれて、足の感覚が鈍くなる。空気と水の温度差からか存外と海原は温かくて、棲み心地が良さそうだった。考えていたあれこれ、どろどろぐつぐつしていた脳内の老廃物全部が水面に溶けだしていった。
来てよかったと思う。
きらきら光る綺麗な海を永遠の記録に収めるべく、スマホレンズを構えながら、構図によっては自分の脚が女子の脚に見えるんじゃないだろうかと試し始めて自分で自分が馬鹿らしくなった。
Kは楽しそうに、一人海で佇んでいる。一月の初めで本当に寒い。おかしくなるんじゃないかと思うくらいで、でも安心できる波際からは逃げ出したくならなかった。
きみはさっさと海から出て行ってしまう。Mも抜けていく。
海の感触に飽きてきた頃、広い海原へ向かって、去年の夏もやったことを同じようにやろうと思い立った。
「好きだ!!!」
叫んでみる。そこで、宛名がないことに気がついた。
「○○、すきだぁーーーーーー!!!」
叫んでみた文字は、Mの思い人の名前を借りたものだった。街の真ん中では普段できないことをするのは、わりと気分がすっきりした。Mの表情を窺ってみたが、愛嬌があると言えなくもないその表情はいつもと変わらなかった。
切手を貼ることもしなかったのだから、向こう岸の広島まで届くことはないし、あるいは愛媛のMの思い人の元へ帰ってくることもない。送り出した言葉は海を漂って溶けていく。
実を言うと、ぼくは思い浮かべるべきMの思い人には会ったことさえなかった。感情の欠けた言葉への相応の報いだったのなら、それでよかったのだ。
青い山がなかったし、ビル群の山もなかった。遮るものは何もなく、温室育ちの人間はまるで赤子の気分になりながら外気へ晒されていた。風が一際強く吹き、喉のうちの水分とともに時間と空間がまた海へ奪われていく。
なんだか寂しいな、と思っていたからか、つい先日、物語が心中で終わる漫画を読んだからか、どちらにせよ潜在意識に憧れとして深く刻まれているあこがれが呼び起こされてしまった。ある行動をとりたいと思ったので、こう呟いてみた。
「寒い」
後ろから軽くハグをして、きみとぼくの間には厚い装甲があるのだと悟った。冬の装いで身体をくっつけても体温が伝わることはない。ぼくのか細く骨張った身体では、きみを安心で包み込むことすらできないのだと。
「君が女の子だったらよかったのに」
きみから、そんな言葉をかけられた。へそ辺りにまわしていた手を離した。ぼくが女性だった、そういう可能性を思春期のうちに考えてみたことがないといったら嘘になる。男と女では何が違うのだろうか。可愛ければ、柔らかければ、全部上手くいくのか。ぼくたちはどうなれば幸せなのだろうか。そういえば、あなたがぼくに告げた言葉はちょっとずるいんじゃないか。海を眺めては考えが溶けていく。波音も思考を掻き消す。風も二人のつたない接触による余韻を吹き飛ばす。
ここが海でよかったのかもしれないが、家から数キロ外へ吹き出ただけでは常と変わることができないのかもしれない。僕の部屋だとしても、周囲を気にする必要がなくなったきみからぼくに接触を求めてくるだけだったのだ。ただ、海がある。砂がある。少々べたつく。きみの言葉はしばらく、塩がシャワーに流されようとも、ぼくのふくらはぎにずっと貼りついているのだ。
大層ひどい言葉だが、きみからもらったものだった。正直な気持ちを打ち明けてくれたことが僅かなりとも支えになった。
やっとMが自分で自分の思い人の名前を叫び、夕日がぼくたちの足と同じように冷たい海面に沈むのを見届けたころ。
なんとか足についた砂を落としてから、すぐそばにある道の駅へ入り込む。きみがおいしそうにじゃこ天を喰らっていた。ぼくはなんだか嬉しくなった。
Mは自家製ソフトクリームを食べいた。それを見て、炭ジェラートを買ってきた、灰色の増粘物は食べ物じゃないみたいで、冬に冷たいアイスを食べる自分がおかしくて、自分が人間じゃない気分になって楽しかった。人間じゃない可能性もいいと思った。
ぼくときみは自販機で缶コーンスープを飲んだ。冬の夕焼け空の下で温かくて甘くて、きみと同じものを味わうことができていて、人間でよかったと思った。
冬の夜は早かった。もうすっかり海辺の村は真っ暗で、来たときの駅を探すのも一苦労だった。やっと見つけて、駅に一つしかないベンチで電車を待って、ぼくたちは電車を待っていてあげたはずなのに、動き出すと止まらない。行く先はたかが知れている。
進む。社会人のように時間を守って、企業勤めの勤勉さで電磁反応を続けている。見覚えのある景色がうつる。誰も抱きしめてくれない。
灯と灯の間には、いつまでも使われない微妙な色の折り紙のようにかならず黒があった。一つの灯の下で一人、笑っているのだろうか。何人かで一つの灯に集っていれば、笑えるのだろうか。男二人でも笑えているだろうか。一人なら、笑えないのだろうか。人数に限らず、笑えない者はずっと笑えないのだろうか。そもそも、笑っていればいいのか。
眩い車内へ意識が戻ってきた。乗りこんだ電車にはわりと人の営みが宿っていた。きみもMも疲れ切っていて、帰りの軌道上に揺られた。Kは門限があって、一本前の電車で先に帰ってしまっていた。
この幸せな空間から窓をみる。どろりとした練炭のような得体の知れない色に満たされた外部を見つめながら、この夏が続きますようにと祈りたかった。
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